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整頓は1日にしてならず

2024年にやりたい10のこと

で挙げた、家の整頓を本格的に始めた。


私が一人暮らしなら自分だけの判断で取捨選択できるが、同居老親や巣立った姉達のものが山のようにあると勝手に処分を進められない。こだわりの強い家族相手にそんなことをしようものなら待っているのは地獄である。姉の力を思い知らされて育った三姉妹の末っ子は、絶対にそれだけはしてはならないと刷り込まれているのだ。

足を傷めて以来寒さに弱くなった母が、気落ちしがちだったメンタルも含め8割がた回復したので、ようやく昼間は暖かくなってきた日曜に念願だった2階の納戸に手を付けた。(5月も終わろうというのにまだ朝夕に冷えるのは困りものだ)
今の家に引っ越した時に適当に荷物を詰め込んで以来、ほとんど手を触れていない。どころか、先日母の実家の蔵から着物や漆器を持ち込み物は増える一方だった納戸である。整頓があまり得意でない母は現実から目を背け続けていたが、齢80を迎えとうとう観念してくれた。
だがこの母、片付けが滅法苦手でいざやろうとするとすぐに投げ出してしまう。そこで。

「僕が作って!俺が戦う!」(無印ガンダムビルドファイターズ)ではないが、母が判断して私が片す!システムを採用。

まず納戸の茶箱に溜め置かれた亡父の服を箱ごとに大きなビニール袋に詰め替える。脚に不安のある母を納戸に呼ぶのは避けたいし、母を現実逃避させないためには大事な一歩である。
次にその袋を1つずつ1階に降ろして開封、母の思い出話を聞きながら要・不要の確認をした。
私が子供の頃に見慣れたジャケットもあれば結婚前に母とのデートで着ていたスーツもあり、懐かしい記憶を話すことで納得した上で処分できるようだった。
それが終わったら目の前でビニール袋の口を縛り、玄関へ移動させる。その場に置いておくと、やっぱり捨てるのは……と意を翻してしまうからだ。
父が亡くなってから衣類を手放せるようになるまで、20年以上かかった。きちんとお別れできるようになるのは、愛した分だけ時間がかかるのだろう。

しんみりしながら全ての袋を仕分けし、少しばかり広くなった納戸を眺め、なかなか辿り着けなかった奥の棚に手を付けた

見たこともない写真の山が現れた。

父の幼少期からの写真が、順不同の袋に入れられたままの登場である。
たまに裏に日付や行った場所が記入されているが、何の情報もないものも少なくない。
その量に恐れ戦きながらとりあえず年代順に揃え始めるが、父が若い頃の入院時に持ち出したであろう選りすぐり幼少期セットがあったり、学友に焼き増ししてもらったのか似たような写真が別な袋から現れたりで3歩進んで2歩下がるような進捗状況に陥った。
 

戦後生まれのはずの父の学生時代の軍服写真は
学校祭の仮装行列の記念写真らしかった。
戦後14、5年もするとコスプレ扱いにできるのかという驚き。


(あと母と結婚する前に付き合ってた彼女達とのデート写真が出てきて少しばかり気まずかった。思い出は整理しておいてくれると助かるんだが……)
戦中生まれな割に本当に写真多いな父上!!

母はこういったものの整頓をしようとすると混乱してしまう質なので戦力にならない。
なんとか順番を揃え、次の缶を開けた

今度は母の古い写真が大量に現れた。

あなた実家から持ってきた古い写真はアルバム1冊分しか持ってきてないって言いましたよね?????(隣の母に言えない言葉を胸の内で叫ぶ)

母も戦中の山村生まれにしては大量の幼少期の写真があった。
聞けば親族が写真や時計修理の店を経営していたそうな。母は長子であったから、それは可愛がられて撮影されまくったのだろう。
それにしても多い。ついでに誰が身内で誰が他人なのか全くわからない。
これはさすがにどうにもならないので、母に写真を預け裏に但し書きを入れてもらった。
母より年上の人は母方にはほとんど残っていないので、母がいなくなったらもう誰もわからなくなってしまうのだ。
途中で母が根を上げたので、写真の整頓はまた後日となった。
(ついでに結婚前の母が父以外の人とやりとりしていた手紙も山のように出てきた。自分も古い手紙は処分しようと固く心に誓った瞬間であった)

実家の古いものは 親兄弟が元気なうちに整頓しないと 詰む。
(割とガチな教訓)

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