情熱的な影を感じさせる空想家でありたい📝
憧れるのは藤子先生。
A先生の笑うセールスマンの世界観は子どもの頃には怖かったけど、
今はF先生のドラエもんの世界観の方が怖いと思う。
未来は発展して便利な道具に溢れているって思い込まされていたけど
このままいけば、物に支配される世界になるんだという闇があるんだぞと
笑うセールスマンが、それでいいのか?
と喝をいれるシーンが浮かぶ。
笑うセールスマンは哲学的で
ドラエもんは夢想的。
欲望の恐ろしさに気づける藤子作品。
未来を明るくする為に必要な教えがたくさん詰まってるんじゃないかと
この歳になって感じるようになった。
あらゆる人がドラエもんの便利な道具を買えて使える世界を
恐ろしい世界だと感じるのは私だけだろうか。
小さな時、火も包丁も危ないから大きくなるまで使ったらダメと、
過保護気味にそだった私は母にそう言われていた。
便利な道具は危険を孕んでいる。
危害をくわえるために使おうとすればできてしまう。
物は使いよう、
ドラエもんの道具なんか悪用したら地球何個あっても足りないし、タイムマシーンで
過去も未来も訳わからないことになるだろう。
水戸黄門や、遠山の金さん、鬼平犯科帳、暴れん坊将軍に、
権力者は悪事を見抜き許さないぞ
をみせられて育ってきたけど、
現実はその逆のニュースで溢れている。
魂友と現代の正義感ってひとりにひとつあるようになったから、人を傷つけることも正義であるひともいる、それを自分できづけない限りその正義感がもたらす結果がどうなるのかわからないんだろうねと話題になったことがある。
社会正義を信じられなくなった積み重ねが
ひとりにひとつの正義感になり、
時代劇は夢想的世界観になってしまった。
社会は正義をしめせなくなった。
こうあるべきは押し付け扱いになってしまったから。
一致団結はいつのまにか恐ろしいの対象になってたし。
それは良かったのか悪く働くのか
わからないけど、日本人の集団的無意識を
破壊と再生されたんだなということはわかる。
自虐史観に脈々と受け継がれてきた、大和魂を捨てさせられちゃったんだなと悲しくなった。
一人一人の精神状態がこの世界を作っているのなら
改めて、嘘でもホントでもない
空想の世界に身を置く方が精神状態を良好にたもて
夢や希望をみいだせるんじゃないか思うようになってきた。
光が強いほど闇も濃く作れてしまう。
光と影は表裏一体。
なにが大事なのかわからなくなった世界では
なにが光で、なにが闇なのか、
立場や考え方によって違うバラバラな社会が誕生した。
選挙にいかないのが多数派な国。
それがなにに正しさを見いだしたらいいのかわからないという国民の意思表示だとおもう。
光に希望を見いだしたいなんて本能的なものだとおもう。だけどその光がみえない。
真面目さが仇となったと、否定された世界線にきてしまったけど
真面目さが認められない上に平和な社会なんか作れないと思う。
私は真面目にぶっ飛んだことをいう、夢想家になりたい。
夢をみさせるような話を書きたい。
夜空の星が一番輝くのは、真っ暗な闇の中だったりする。
闇が深く濃いほど、送られている光は明るく強いものなんだを信じたい。
光は届くまでに時差がある。
この闇深さの元凶となる光とはいつ送られたエネルギーなんだろう
なんて空想していると、
小さな光の方が扱いやすいし希望がもてるななんておもう。
小さな幸せに目を向けそこに光をみいだす。
西田敏行さんが亡くなったときいた時
ショックだったけど、でもそれは西田さんが優しい光を放つ存在だったからこそ。
うちの職場も西田さんの追悼で、
もしもピアノが弾けたならが流れるようになった。
さみしさと同時に優しい空気になる。
纏ってるオーラが空氣をつくる。
noteもエネルギーを放つもの。
私は情熱的な影を感じる空想家でありたい。
光になれば伝えるのに時差もおきるし
実体の形が光だとつかめないから
影でいい。
得体のしれないおばちゃんが日々訳わからないことを熱く語っているが
面白いとおもう😆
ドラエもんの世界がきたときに、道具に滅ぼされる未来でないことを祈りたいし
出来れば道具が進化するより
人間そのものが進化している未来であってほしいとおもう。
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