心身の感受性(体癖)を手で感じる。
体癖とは、カラダのみならず、こころも含めた感受性のこと。
気の達人だった野口晴哉先生が整体指導を行っていく中で
カラダに備わっている心身の感受性を分類したものが体癖になります。
どうやら世の中には体癖を診断すると謳っている整体指導者や治療家がいるらしい。
ある先生に「あなたは〇〇種体癖と言われたんですが・・・本当なんでしょうか?」
と質問をされたことが何回かある。
面白いことにすべてが間違いだと断言できる診断結果だった。
体癖について著作を出している人がいるんだけど
その人は整体指導ができないらしい。
その人のもとから友人の整体指導者のもとに来られた方が
みんなそう言うんだそう。
ってことは手で体癖を捉えることが出来ていない。
そのレベルでも文章を書く能力があれば本は書けてしまう。
読み物としては面白いからね。
野口整体の人間の見方に魅せられて精神科医療に取り入れようと学んでいる精神科医の名越先生。
彼が監修した無料の体癖診断をやってみたら
ぼくの体癖の診断結果は五種だった。
よく考えられた質問で診断は構成されてはいるけれど、ぼくには五種体癖はない。
ぼくが今まで出会ってきて信頼のできる整体指導者で
体癖診断を売りにしていた先生はひとりもいない。
というかそんな整体指導者と会ったことがない。
一般人であれば体癖の本を読んで
人間関係に体癖を利用して楽しめるし
自分の取り扱いについての理解を深めることもできちゃう。
体癖が間違えていても何ら害はない。
整体指導者30人が日比の体癖が何か?
田総先生に質問されたときに
触れずに容姿を見ただけで判断して出てきた回答が3つに分かれた。
高潮時に濃く現れる体癖と、低潮時に濃く現れる体癖がある。
学んで、観察できる内容が増えていくと
初心の時に気楽に出来ていた体癖観察に迷うようになってくる。
だから、それは迷うよねと理解できる間違いと
それは不勉強というか、体癖が全く分かっていない間違いとがあって
体癖診断を売りにしている人は明らかに後者の間違いだった。
だから、冒頭の会話をしたときに
不勉強なのに体癖診断を謳っている人間がいることに怒りを感じてしまった。
怒りを感じている自分を内観してみると
体癖観察に自信が持てていない自分が見つかった。
その当時は整体指導を行っていても体癖に迷ったり、よく分からない人がいた。
体癖観察が育ってくるためには
手で感じとれることが育ってこなくちゃいけない。
感じて、見えるようになってくるほどに
人間の観察が丁寧になってきて
整体指導も丁寧に行えるようになっていく。
弟子同士の会話で
弟弟子いわく どうやったら体癖が分かるようになりますか?
兄弟子いわく 丁寧に観察すれば見えてくるんじゃないだろうか。
その会話を耳にした野口晴哉先生が怒ったようにいわく
丁寧に観たって体癖は見えません!
と、おっしゃった。
ようやく最近になって
ずっと迷っていた方の体癖が手で感じとれるようになってきました。
奇しくも、その方は亡くなられた整体指導者の先生の整体指導をずっと受けておられた方でした。
その先生の体癖観察は間違いなんじゃないかと思っていたんだけど
自分の手応えが育ってきたら
その先生の体癖観察の方が正しかったのだと分かってしまった。
やっぱり整体指導者であれば体癖は見るものじゃなくって
手で感じとるものなのだと改めて思い至りました。
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