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megumi
「不整脈ですね」
と、言われた。健康診断で、聴診器をあてられて。
心電図の検査で、これまで引っかかることはあったが、聴診器でじっくりと音を聴かれて言われるのははじめてだった。
「トントン トトッ って。自分でもわかりますか?」
「時々、分かるときがあります」
寝ているとき、ドキっと心臓が動くときがある。バクバクしている時もある。
「危険な不整脈ではないので、大丈夫でしょう」
今日は、午前中は健康診断、午後は休みをとっている。
体重は予想よりも3キロ少なく、身長は3センチ伸びていた。
血液は採れるまで時間がかかり、血圧は2回もエラーを出して84/41という数値が採用された。そして不整脈。
健康診断を済ませ、さて、どこに行こうか。
軽い食事をとろうか。
図書館へ行くことにした。
返却期間が2週間も過ぎた本があるのだった。
カウンターで返却すると
「借りている本がまだ2冊ありますね。返却期間が二週間過ぎているので、カードが使えません」
と言われた。
軽食をとろうとした図書館の喫茶店は「Close」という札がかかっていた。
この後どう過ごそうか。せっかく街へ出てきたのだから、買い物でもしようか。それとも、本を家まで取りに帰ろうか。どちらの案も気が進まなかった。
だから実家に行こう、と思った。
私の実家は、車で1時間半ほど離れた場所にある。
山に囲まれた田舎である。
父が「部屋の壁紙を張り替えたから、見に来い」
と言っていたのだった。時間がとれずに、見に行くタイミングを逃していた。
今からなら行ける、と思い、一旦アパートに帰って、着替えを済ませて出発した。
・・・
車で実家に帰るのは2度目だった。車を買ったのは1年前のことだ。前回は道に自信がなく、ドキドキしながらの運転であったが、今回はそうでもなかった。
途中、大きなバイパスの道路を通る。そこを過ぎると、海岸沿いの道路を道なりに進む。それから街中に入っていき、馴染みの道を通って行けば着くのだ。
大きな道路を過ぎたところにあるコンビニでコーヒーとお菓子を買い、父に連絡する。
「今から帰ってもいい?」
「いいけど、車で帰ってくるのか?」
「うん、もう、バイパスは越えたんだけど」
「なら大丈夫だな。着くころにまた電話して」
海岸沿いを走る。天気がよく、海の青がはっきりしている。
二胡という中国の楽器のCDをかける。
以前通っていた太極拳の教室で流れていた音楽だ。
その教室では音楽をかけて瞑想する時間があった。それは静かで気持ちよく、落ち着く時間だった。運転も瞑想に似ているかもしれない。あまり考えることをしなくてもいい。目の前の風景、道をただ見つめているだけだ。
・・・
実家に着いたのは午後3時頃であった。
外の物干しに洗濯ものが干されている。くたびれた雰囲気で。
「ただいまー」
と玄関を開けると、部屋は暗かった。
「誰かいないのー」と言っても、返事もなかった。
散らかった居間。食べ物が無造作に置かれた食卓。
誰もいないならピアノを弾いていよう。
私はピアノの置かれている部屋に行き、楽譜がなくても弾ける曲を弾く。
しばらくすると父が後ろから来て、声をかける。
「電話にでなかったな」
「ピアノを弾いていたから気がつかなかった。どこに行ってたの?」
「山に歩きに」
「お母さんは」
「組合の旅行でN市に行ってる」
「ふうん」
「壁紙の部屋は見たか?」
「まだ、見ていない」
私は父と二階の部屋に上がった。
二階は母の部屋がある。
母は掃除ができない。整理整頓ということが絶対にできない。掃除をして、と30数年言い続けても、片づけることはなかった。だから母の部屋はこれまで、モノに溢れ、洋服がぐちゃぐちゃに置かれ、布団が山になっていた。私たちはその様子をあきらめの気持ちで「ぶた小屋」と呼んでいた。
その「ぶた小屋」の部屋からモノが消えていた。洋服ダンスしかない。そして、壁紙が新しい白いものになっていた。壁紙を張り替える際に父が全力で片づけたのであった。
「えー、すごい、お宿の一室みたい」
だが、その他の2つの部屋は洋服や布団が拡散し始めていた。
「あ、でも、少しずつぶた小屋化してるね」
父は、壁紙の細かなところを指して、
「見ろ、こういうところもやったんだぞ」
と話してくれた。色々話してくれたが、大変な中頑張ったんだぞ、ということを要するに言いたい、ということが伝わってきた。
今夜はこの、「元ぶた小屋、お宿の一室」に泊まることにしよう。
・・・
食卓を片付ける。食べ終わった食器を洗う。残っている食べ物はラップをして台所に持っていく。
ただそれをすれば、食卓は片付くのだ。それからコーヒーを淹れる。
「ねえ、歴史研究はどうなった?」
とにかく父は定年後、地元の歴史を調査することに力を注いでいた。
「今は、K神社だ」
「K神社?」
「昔、この地域で縄文土器が発掘された場所があるだろ、あの辺りにK神社というのがあったんだ。この辺の神社はなくなるときにS神社に統合されるんだが、K神社が統合されたという記録は残っていないんだ」
そう言って、父は数枚の地図を持って来て、説明してくれた。
「江戸時代の地図で、ここに道があるだろう。その周りは田んぼや畑だ。でも、この道の通じるところは「原野」と記載されているんだ」
確かに、原野と書かれた空間が地図の中あった。
「きっと、『ここは昔、神社があったから、田んぼや畑にしないようにしよう』ということがあって、原野になっているのではないかと俺は思っている。この辺りに神社があったということは分っているが、もっと正確な場所を俺は突き止めたい」
「今日の午後はそこに行ってきたんだ。その、原野の付近には今は空き家があって、植木が埋まっていた。その部分は小高い丘のような形状になっていて、石が置かれてある」
「でも、数百年前なんでしょ。当時の石が表面にあるとは思えない」
「でも、その後に目印として置かれたのかもしれないだろう」
昔の資料や今の土地から「昔はこうだった」と推測していくと、その土地の見方がぐっと変わる。何もなかった場所に、意味が現れて、それを感じながらその場所を見たり歩いたりできる。てくてく表面を歩いていたのが、もっと深く泥の中をぐいぐいと歩くような気分になると思う。
・・・
「説明をありがとう。ところで、昼何も食べていないから、私はお腹がすいた。おやつとして、ご飯を食べるね。その後、夕食をつくるから」
「俺もご飯を食べる」
「夕食はこの後作るんだよ」
「俺もおやつとして食べる」
というわけで、炊飯器の中に残っているご飯を私と父は食べた。
父が冷蔵庫から、たくあんや、野沢菜漬けなどを出してくる。いかそうめんや、いかの佃煮も出して食べはじめる。このままでは夕食になってしまいそうだ。そうはしたくないので、私はおかずを遠慮する。しかし、タンパク質が足りないと思ったので、ロースハムを見つけてそれを1パック食べる。だいぶ食欲が満たされた。
台所で夕食の準備をしていると、母が帰ってきた。
「洗濯物いれてくれりゃいいのに」
と、洗濯物を抱えて家に入ってきた。
「ごめん、気がきかなくて」
「おまえも私と同じだな」
母は乾いていない洗濯物を、室内に干し始めた。
「ねぇ、今日、どこ行って来たって」
「まって、洗濯干しているから話ができない」
洗濯を干し終わると、
「G館。庭を見てきた。パンフレットもらった、見せるね。ご飯どうする?肉買ってきた」
「ご飯はもう作っているよ。その庭のパンフレット見たい」
母はカバンからチラシやパンフレットを取り出した
パンフレットの中にN市の地図が載っているものがあった。
「ねえ、お母さんは昔N市住んでいたんでしょ。場所はこの地図でいうとどの辺なの?」
「N市○○町 〇―××…」
私はスマホの地図を開いて、母の言う住所を入れた。
「この辺り」
「うーんと、ここに菅原神社があるだろ。菅原道真。学問の神様。その近くの、ここだ」
「郵便局が近くにあるね。その時もあった?」
「あった」
「勤めいていた保育園はこの辺だ」
それは、住んでいたところから離れた海岸近くの街だった。
「このアパートから通ったの?」
「その時は引っ越していた。でも遠かったから、毎日同僚の車に乗せてもらって行っていた」
「ふうん」
今度この辺を歩くときは、また風景の感じ方が変わっているんだろうなと思った。
・・・
「おやつでも食べるか。不味いコーヒーならあるから飲んで」
母は言った。私は戸棚から大量のドリップコーヒーを見つけた。
「これ?不味いの?」
「不味いんだ。私は嫌いだ、この味。そういえば、お父さんが…」
と、話しだして母は笑い始めた
「ドリップコーヒーの口を開けずに、ただお湯を淹れて、浸して飲んでいたんだよ」
父はドリップコーヒーの飲み方を知らなかったらしい。
「お茶と同じさ。薄い味がしたな」
父は言った。
「まったく、ばかだね」私は笑いながら言った。
「そういえば体温計のスイッチを入れないまま測って、なかなか音が鳴らないと怒っていたこともあった」
きっと、父は興味のあるところは非常によく見るが、興味のないところは全然見ない(見えない)という目を持った人なのだろう。
私は不味いドリップコーヒーを淹れて飲んだ。苦味やら酸味のある味で、妙な香りもする。これを母は不味い、と感じたのだなと思った。私は飲める味だった。
「なんで洗濯物いれてくれなかった?」
「洗濯物には気づいていたんだよ。でも、昔から、お母さんに反抗しようとする気持ちがあって。それが癖になって無意識に働いたのだと思う。ごめん」
「なんだ、それ。あ、米をやるよ」
「新米?」
「まだ精米してきてないんだよ。明日の朝行ってこようか」
「朝も早いし、無理はしなくていいよ」
「いいよ 行くよ」
・・・
夜は「元ぶた小屋」で寝ることにした。下の部屋から父が観ているテレビの音が気になってなかなか眠れない。
どうやらテレビをつけたまま寝たようだ。だが、母が深夜に起きて食器を洗うことが日課になっているから、その時を待てばテレビは消えるだろう。
ぼんやり天井を眺めながら、私は緊張がほどけて安心感に包まれているのを感じた。
私はかつて、父と母に大切にされていないと思っていた。例えば、気持ちの弱っているときの私を気にかけてくれるようなことをこの人達はしてくれなかった(できなかったのだと思う)。それぞれがいつも自分のことに精いっぱいだった。
でも今はこう思う。父や母は私がどうであろうと、いいとか悪いとか価値をつけずに、無条件に受け入れてくれる。それは当たり前すぎて気づいていなかったが、すでに注がれていた恵みなのだ。
それが私の土台が求めている安心のかたち。