自傷、というもの
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
”日々を生きる人”です。
私は、精神病患者です。
初診時の診断は、
「身体症状症」 そして 「うつ病」
現在の診断は、
「気分変調症」
月1の通院と服薬で過ごしていますが、一時期とても症状の悪い頃がありました。
毎日死にたくて、何度も死に方を考えて、それでも実行するほどの勇気はなくて。
そんな自分を毎日あらゆる角度から責めていました。
何のために生きているのか、なぜ死ぬことはいけないことなのか、
ずっとずっと考えていました。
そしてその頃、私が毎日のように耽っていたのが、自傷行為です。
市販薬や処方薬の過剰服用、
ピアスを開ける特殊な針を腕に刺して血を抜く、瀉血。
時に死んだように眠ったり、時にグルグルと回る視界を眺めたり、
時に幻覚を見たり、記憶を数時間失くしたり。
針を刺して流れる血を、ただ眺めたり、
ペットボトルを満タンに満たそうと躍起になったり、
連日の瀉血で勢いがなくなれば、いたるところに針を刺して勢いよく出血する場所を探したり。
そんなことばかりして、長い夜から目を背けていました。
大量の錠剤を一度に飲み込むとき、喉がミチミチと音を立てます。
その音が、私には心地よかった。
生きている罪が、その瞬間だけは許されている気がしました。
何錠飲めばどうなるのか、几帳面にも記録を取っていました。
何を飲めばどうなるのか、必死に調べていました。
記憶にある中で、一晩で300錠ほど飲んだ時が最大量だったと思います。
その時は、朝6時前に部屋から出て、居候していた伯母夫婦に迷惑をかけました。
かすかに残っている記憶では、べらべらと次から次へ意味も脈略もない話をしていました。
伯母夫婦には隠れて自室で飲んでいましたが、
当たり前ですが伯母にばれました。
辛かったんだよね、こうするしか出来なかったんだよね、と
泣いて抱きしめてくれました。
それでも私は、止められませんでした。
今度は彼氏の家でやるようになりました。
伯母には、もうやってないよと嘘をつきました。
止めてないどころか、新しい市販薬や処方薬に手を出したり、
瀉血に手を出すようになりました。
彼氏が寝ている夜中、
キッチンでビニール袋を広げて、その中に抜いた血を溜めて眺めました。
自分の血管から、赤い血が流れるのが不思議でした。
こんなにもどうしようもない、生きる価値のないような、罪人の自分に、
普通の、立派に生きている人たちと同じ赤い血が流れているのはなぜなのだろうと。
用意したペットボトルに血が溜まっていくと、少し安心しました。
けれど、500㎖のペットボトルが満タンにならないことが、とてもとても許せませんでした。
何も出来ない、クズのような私が、
生きていてもいいかなと思うために、ペットボトルを満たすのは必要な儀式でした。
たとえ、連日の瀉血で貧血を起こしていても、儀式は行わなければいけないと思っていました。
過剰服薬と瀉血は、大切な禊の儀式のようなものでした。
彼氏に止められても、止められませんでした。
「このままじゃ本当に死んじゃうよ」
それでもよかったんです。
むしろそうしたかった。
積極的に死ねないから、消極的な死を望んでいました。
もうこの頃には、「死ぬんだ」と思っていました。
家の近く、とは言っても音なんて聞こえるはずのない距離に、駅があります。
そこを走る電車の音や、電車の近づくことを知らせる踏切の警告音が、
その当時の私には聞こえていました。
「電車の音がする」
「死なないといけないから、行ってくる」
何度かそう言って、明け方に家を出ていこうとして、彼氏に止められました。
ふと思い立って、缶ジュースを買いにフラッと外に出たことがありました。
「どこ行くの!!」
物凄い慌てた様子の彼氏が、後ろに立っていました。
当時の私には、その様子が理解できず、ジュース買うだけなのになんだろうと思っていました。
今になって考えればわかる事ですが、
それくらい、当時の私はいつ死んでもおかしくない状態だったんでしょうね。
間違いなく、一番精神的に壊れていた時期だと思います。
現在は落ち着いていますが、やはり沈み込むことはあります。
そんな時、少し思ってしまうことがあります。
「あの時、死んでいれば」
世界は変わったでしょうか。
また、明日を生きます。