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「芸術至上主義」から「生活至上主義」へ


※本投稿は、2024年9月22日文学フリマ札幌9で刊行した『ぼくは、芸術至上主義をやめた』の一部抜粋となります。

2020年、私は短大を卒業して、社会人になった。

その頃、私は漫画『BANANA FISH』(著:吉田秋生)や漫画『SILVER DIAMOND』(著:杉浦志保)また、ドラマ版の『ハンニバル』シリーズをよく観ていた時期で、2月〜5月にかけて、並行していわゆる「未完の大作」を書いていた。

(私がどんな作品を書いていたかは、このタイトルの共通点を挙げれば想像にたやすいはず……)

社会に出て、私は小説のあまりの「書けなさ」に絶望していた。

金曜日の夜には、次の出勤まで40時間余りあることに安堵していたし、土曜出勤の日には、あと20時間余りしかないことに苦しんでいたし、月曜の朝は、これ以上作品世界に身を浸していられないが、もどかしかった。

あんまりに小説が書けないので、泣きながら会社までの道を歩いたこともある。

 当時の私は、「芸術至上主義」だったと思う。

 書くことや、生み出すことが、この世界の何よりも美しくて、素晴らしいものだと信じてやまなかった。それゆえに、書けない自分が、作品に没入していられない自分が、苦しくて仕方がなかった。

けれど結局、書くことが人生でいっとう美しい行為であると信じれば信じるほど、自分自身が、書くことが苦しくなっていった。

「芸術至上主義」が当時の私にもたらしたのは、「書けない自分に価値がない」という思考と、書くことそのものに蓋をすることだった。

2020年の夏、私は筆を折った。
それからは、社会をやり過ごす日々。

書かないでいても、自分はなんとなく上手くやっていけるのだと気づいた。

しかし、何も生み出せずにいたら、書かずにいたら、なんとなく人生はぼんやりと薄らいでいくように思えた。

その頃の自分は、社会や他人に押し付けられた人生を生きていて、それをどうにかしたいと思いながら、どうにもできなくて苦しんでいたように思う。

2021年のお正月の長期休みに、2019年に書いたとぎれとぎれの短編『ガラスの靴』という作品を、『ワン・モア・ロストタイム』として長編小説の形にブラッシュアップした。
(小説すばる新人賞の一次を落選し、今はネットの海を漂っている。)

2021年は豊作の年で、長期休みの度に作品を書いた。GWには、今回出す予定だった『食卓メランコリア』の初稿を、お盆休みには、長編の怪異小説を書いた。(こっちは完結しているが、推敲の後、新人賞に応募したいので詳細は伏せておく。)

結局、このときも、長期休みにまとめて長編小説を書くスタイルを貫いており、私は「芸術至上主義」からは、脱却できていなかった。

この後、2022年に、青信号を歩行していたら、乗用車に突っ込まれ3メートルほど吹っ飛ぶ交通事故に遭い(幸い無傷で済んだ)北海道神宮に厄祓いに言った帰り道、「そうだ、京都行こう」と思い至り、京都巡礼の旅に出た。

これは数奇な縁だと思うのだけれど、自分の小説の舞台にした伏見稲荷大社でも、貴船神社でも、私は二十六番のおみくじを引いた。

特に、伏見稲荷大社で引いたおみくじが辛辣で、「凶のち吉」内容は以下の通りである。

「このみさとしは、他人の意のまゝになりすぎて、身を亡ぼす兆である。一日も早くたて直しをしないと人生の敗者となる。今が最後の機会である。」

ぎくりとした。身に覚えがありすぎた。

前述した通り、そのときの私は、他者に押し付けられた人生を生きていた自覚があった。

さすが、伏見稲荷大社の主祭神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様はは私のことをよく見ていらっしゃるなと、青ざめながら笑ってしまった。

伊丹空港を飛び立つときに、北海道に帰ったら、一人暮らしをしようと決めて、その年の冬に、やっと私は自分の人生の責任を負うための準備を終わらせたように思う。

2023年は、「生活」をするだけで精いっぱいだった。

そして、2023年の終わりに「そうだ、大学行こう」と思い立ち、現在に至る。
こうして言葉で書き連ねていくと、人生の変遷がわかって面白い。

2024年の今、やっと私は今までの創作スタイルをやめて、社会生活を送りながら、小説を書くというスタイルを獲得しようとしている。

その営みのきっかけに、大学に入学したことも大いに影響している。大学に入っていなければ、私は未だに長期休みの度に、長編小説を書くようなゲリラ的な執筆を繰り返していたかもしれない。

「生活」の中で芸術をやると決めて、わかったことがいくつかある。

小説を書くというのは、ある日突然何かが降ってくるというわけではなく(もちろん、そういうときもあるが)基本的には、毎日きちんと机に向かうとか、アイデア出しを繰り返すとか、自分の書いた文章に対して、絶えず懐疑的な姿勢でいることだとか。

毎日地べたを這いずりまわるような、地道な作業の上に成り立っているというのが、実感として改めてわかった。

それは無から有を生み出していく、クリエイティブな魔法の力というより、イメージとしては筋トレに近い。日常的に小説を書くという営みは、感覚的には、腹筋を毎日するとか、プランクを一日何セットするとか、そういったものに近いように思う。

ありきたりなことばだけれど、小説を書くことも、1パーセントのひらめきと99パーセントの努力……というか日々の積み重ねなのではないかと、ぼんやり思う。

そして、そんな1パーセントのひらめきを掴み取って、作品に落とし込んでいくためには、やっぱりそれを活かして調理していくだけの、日々の地道な筋トレが必要なのではないかと、ぼんやり思う。

何かを書くことが、世界で一番美しいものであると思っていたころ、私の生活と人生は、すごく困難なものだった。

今、私の心は少しだけ軽い。

日々、一文字でもことばを連ねることができれば、それはいつか小説になる。
小説になり得ることばの塊になる。

その事実は、私に「書くこと」を昔よりも簡単にさせていて、「書くこと」自体のハードルを下げている。

書くことと、それに付随する作業や時間は、「生活」の真逆の場所にあるものではない。
生活の中に、毎日筋トレのように、地道に、少しずつ、ことばを書き連ねていくという営みがあるのだと思う。

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