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Lotus 1-2-3:計算の新時代を築いたイノベーター/ミッチ・ケイパー Mitchell David Kapor (1950-)

オフィスにLLMが浸透する世間の様子を見ながら、表計算ソフトが導入されていったときのオフィスの様子を想像する。1982年にLotus 1-2-3という表計算ソフトウェアを生み出したのがミッチ・ケイパーである。彼は電子フロンティア財団の共同設立者、Mozilla Foundationの初代理事長でもある。

初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトとしては1979年にVisiCalcがリリースされた。その後発売されたLotus 1-2-3はその多機能性や充実したサポートなどから絶大な支持を受け、WindowsがOSのシェアを占めることになるまで広く使われた。


幼少期と学生時代

1950年にニューヨークのブルックリンで生まれる。幼い頃から新しい仕組みやツールに強い興味を示し、学校の理科クラブでは電子工作に熱中した。高校卒業後にイェール大学へ進み、1971年に心理学の学位を得る。卒業後はトランセンデンタル・メディテーションを教えたり、地方ラジオ局でディスクジョッキーを務めたりと一風変わった経歴を積んだが、並行してコンピュータへの情熱を持ち続けていた。

職業の転機とソフトウェアへの道

1970年代後半、プログラマーやコンサルタントとして働き始める。当時はパーソナルコンピュータが急速に普及し始めた時期で、アプリケーションの可能性に魅了され、自身でも革新的なソフトウェアを作りたいと考えるようになる。ここで視野に入れたのが個人や小規模事業者でも扱いやすい表計算ソフトだった。

Lotus 1-2-3の成功

1982年にLotus Development Corporationを創業し、翌年にリリースされたLotus 1-2-3が瞬く間に業界のスタンダードとなる。当時はまだ操作や管理が難しかったパソコンに対して、機能がまとまった表計算ソフトは革命的な存在だった。集計とグラフ作成を一つのパッケージに組み込んだことで経理や統計の作業効率を大幅に向上させた。Lotus 1-2-3の躍進によって、多くのユーザーがパソコンをビジネスツールとして本格導入するきっかけとなり、その後のソフトウェア市場の拡大にも大きく貢献した。

社会的活動と個人の側面

ビジネスで大きな成功を収めた一方、インターネットの普及と情報倫理にも深い関心を寄せた。1990年にはインターネット上の表現やプライバシー権を守るため、Electronic Frontier Foundationを共同で設立。企業利益と個人の権利保護を両立させるにはどのような仕組みが必要かを考え続けてきた。趣味として瞑想とジャズを好み、静かな探究心とユーモアを併せ持つ人物像で知られる。

後世への影響と名言

表計算ソフトの普及によって、企業だけでなく個人でもデータを自在に扱い意思決定を加速する文化が根付いた。この流れは後にグループウェアやクラウドサービスの発展にもつながり、ソフトウェア産業全体を活性化させる起爆剤となった。
インターネットに関しては「Getting information off the Internet is like taking a drink from a fire hydrant.(インターネットから情報を得るのは消火栓から水を飲むようなものだ)」と語ったとされる(『Chronicle of Higher Education』 1994年12月23日付)が、データの氾濫と利用者の取捨選択の難しさを的確に表現した言葉として今でも引用されることが多い。

IT業界の急速な発展期を駆け抜けたその功績は、ソフトウェアを利用する側の視点に革新をもたらしたところにある。ビジネスと社会を結びつけ、テクノロジーの使い方を根本から変えたインパクトは現在も色褪せない。彼が示した「個人の創造性と情報技術の融合」というビジョンは、その後のスタートアップやオープンソースの隆盛にも明確に影響を及ぼし続けている。


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参照

unverified e-mail (see Image talk:MitchKapor.jpg), Public domain, via Wikimedia Commons

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