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変わりゆくもの、そして変わらないもの


 上記のエッセイのとおり、僕はおよそ5年ぶりに生まれ育った故郷に帰った。
 最初に再会したのは結婚式に招かれた旧友二人だった。幼稚園から中学まで、そして幼稚園から高校まで共に過ごした二人。二人から放たれた第一声が「全然変わってないね」で嬉しかった。それなりに時が経った。最後に会ったのはそれこそ、20歳くらいの時だったから。僕たちは7年ぶりに会い、まるでタイムカプセルを開けたみたいに美しく保存されていたあの頃の記憶を目の前に連れ出したのだと思う。だから「変わってないね」というその言葉は、合言葉になって時間をあの頃の青い日々に戻した。
 
限られた日、限られた時間の中で、僕たちは昔と今と未来を話した。表情とか、話し方、声、笑い方とか、あの頃のままだった。変わったのはみんな立派な大人になっていたし、やわらかい優しい人になっていた。人の立場や環境、そういったものを決して否定せずに、お互い偉いよなんて言ったりして、そこにはこの会わなかった日々のそれぞれの苦悩や苦労、人生が映し出されているみたいだった。そういった変化はすごく美しいと思った。
昔の恋の話なんかもして、実は誰々のことが好きだったとか、両想いだったとか、文通してたとか、若かりし頃の純粋な色恋話に、みんなで驚いたり、ときめいたり、にやにやしたりした。そんな二人も一人は結婚して、一人は来月プロポーズするという。人を好きになるということは純粋なものなんだなと彼らと僕たちの記憶の中から思い出した気がする。僕もまた誰かを好きになれるだろうか。

新郎にもようやく会えて、懐かしい気持ちが戻った。彼にも、話した瞬間、あの頃に戻ったみたいで懐かしい気持ちになったとLINEで言われて嬉しかった。彼に関しては立派すぎるくらい立派になって、刺激をもらった。出逢えたことを誇りに思う。

翌日、生まれてから高校卒業まで住んでいた場所に向かった。僕が住んでいたのは父の勤め先の社宅で、小学生時代の行動範囲が全て会社の敷地内だったので、のびのび過ごしていたと思う。家の目の前に公園があって、遊具もあれば、芝生もあって、桜の木も、僕達の時代の人間が買った小さめのサッカーゴールもまだそこにはあった。芝生に触れた瞬間に過ぎ去った月日を思い出す。虫取りに明け暮れたこと、母がごはんだよと呼びに来るまで、サッカーをしたこと、ひとりでひたすら練習したこと、秘密基地をつくったこと、落とし穴を掘ったこと。友達との別れがたくさんあったこと。
これからどんなことが起きて、どんな出来事があって、何者になったとしても、変わっていったとしても、僕の根幹は間違いなくここにあると言い切れる。
 ときには変わらないものに寄りかかって頼って、変わってゆくことを誇りに思って、受け入れて、抱きしめて。

またいつか、変わって、 そして変わらぬまま、この場所に戻ってきたい。


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