見出し画像

美しい人

routineが苦手な私のroutineのひとつとしてこのところ毎朝散歩する。

いつも通る緑道、いつもの穏やかな景色、
と思って歩いていたら、
いつもおたまじゃくしたちの成長を楽しみに覗く小さな小さな小川に、
サイズ感も存在感もむちゃくちゃ不相応な大きな鷺が一羽佇んでいる。

ほぉ!
と声を出しそうになりながら、
あなたもなのね、
と最近勝手に鳥にご縁を感じている私はまた色々メッセージを受け取る。

不相応。
ここじゃない。
ここにいてもいい。
私にふさわしい場所。
私が居心地の良い場所。
それを感じていい。
求めていい。

優雅に佇む彼女(かどうか知らないけど)は、
私が2mばかりの至近距離で興味津々にありがたく眺めていることに気づいてないわけないだろうが、お構いなく、
一瞬飛び立って小川を俯瞰して、すぐ戻ってきた。

深さ10数cmほどしかないその川をゆーっくり闊歩する様はやっぱりここを通るようになって4年で始めて見る不思議な光景。

優雅だわぁ、と思った次の瞬間、
くちばしを水に突っ込み、
一瞬でザリガニを捕らえて
バリバリと大きな音を立てて食べたかと思ったら、飲み込んですました顔。

ショックでぽかんととしている私には目もくれず、
またゆったりと3歩ほど歩いたと思ったら、
今度は結構な大きさのザリガニをバリバリと、
と思ったら、まるで星の王子様に出てくる蛇のように、
長い喉にザリガニの形がそのまんま、
少しずつゆっくりと飲み込まれていく。

おー、なんてことだ!!

毎年春先にここでたくさんのおたまじゃくしが孵り、
小さなザリガニたちと一緒の姿を見るけれど、
いつもいつの間にか誰もいなくなる。

ご近所の猫たちか日中に網や水槽を持ってやってくる小さな子供達が家に連れて帰ってしまうのだろうと、
ずーっと思ってた。

あなたでしたか!!!

犯人は思いがけない想像だにしない人だった。

自分が最近頭から離れない一件がよぎった。

悪いのはあの人じゃなかったんだ。
私が勝手に作ってたんだ。
私だったんだ。

最初はあらま残酷な、と思ったけれど、
そうなってるんだな、と妙に納得した。

「私であるために必要なんです。」と。

ザリガニは犠牲者でなく、鷺に活かされることを選ばれたのかもしれない。
ザリガニに生まれた瞬間からこの運命を負っている。

結局10mほどの距離を歩きながら3歩ごとに1匹くらいの割合で、
結構な量の朝ごはんをお召し上がりになり、
なおすっと佇んで、
バサッと羽ばたいて行かれた。

なんと。
すごいものを見せて頂いた。

この一部始終の劇場を見せて頂き、
どこかストンと楽になっている自分に気づいた。

私は私でしかいれないの。
我慢も無理もしなくていい。
できないの。

辛いものは辛い。
欲しいものは欲しい。
自分に嘘はつけない。

優しさを言い訳にありたい自分を封じ込めない。

ありたい自分がしないだろうことはしない。
できない。

それは美しくない。
自然でない。

自然であること
ありのままであること。

ありのままの自分をまず自分が受け取ることで自分が拡がっていく。
世界が広がっていく。
繋がっていること、ひとつであることに気づく。

自分に対しても、
目の前の人に対しても
そんな潔さ美しさを感じていたい。

#ありのまま #波紋 #然っている #自由 #豊かさ #私であること #authenticity #私が拡がる時





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?