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甘さと無知の無
2025/2.13
大学四年の2月。春休み真っ只中。人生の夏休み最後の余暇。
自由気ままに生きてきた人間が、社会に出る眼の前で、何をしようかと考えていたが、案外なんでもできてなんにもできない。いつも通りの春休み。な、気がしている。なんでもしてるー!って思っても、それが割といつもなんだから、一緒の日々だ。それでも最後という言葉が特別にしてくれる。やることなすことすべてが、「学生最後」だと思うと大事なものになる。最後という魔法の言葉は面白いものだ。勝手にいつもより多く色をくれるのだから。
時間があるとはいえ怠けてはいられず。お金もないし、時間もないから、さっさとしたいことを進めている。この日記的ブログも何度か書かいたが、ゼミの先生に書いてみたらと三年の冬に言われてからの今だ。遅くなってもやりたいことなのだからすればいいとは思う。だがこの動き出しの遅さ。本当に好きなものなら、すぐにするのに。すぐに済ますのに。やりたくても優先順位が低いものはどんどん後回しになる。悪い癖。なんとかしたいと思っていても、なんとかしようとしてないのだから変わるわけない話で。社会人になる以上覚悟は持たなきゃなと思っているが。まだ甘えてたいと思うのは傲慢だなあと思う。もう大人なんだよ。って言葉が言われてもないのに頭を巡る。嫌だね。
寄り道が行き過ぎなくらいいってしまったが、今日は甘さと無知の無、なんて話。
寄り道といったが前半の話に関係はある。就職が決まっていた自分は安心して生きていたが、引っ越しが必要な勤務地だった。なんとかなると思っていた。大学生になる時もしたことだから。だがまた違うことも多くあった。そんなのわかっていたことだけれども。なんとかなると思ってしまっていた。
親からの突然の電話。いつも通りペラペラと話す親の話はいつまでも変わらない。安心感以上に、これがめんどくて一人に逃げたのに。なんて親不孝な話は置いといて。引っ越しについて聞かれたときに、自分のバカが露呈した。なんだかんだしっかりした親に、久しく叱られた。
「甘すぎる」
何度も言われてきた言葉だが、今回はとても刺さった。自分でも理解してたことだから。
だがしかし、親からの言葉だったからか反発してしまった自分がいた。
「知らないからしゃーないやん。言ってよ」
我ながら馬鹿な返しだ。知らないなら聞けばいい調べればいい。なんとかなることも時間だけには逆らえないから。時間がもうない今はただただ自分が無知で甘えていたのがはっきりとした瞬間だった。
ありがとう、ごめん。しっかりします。と一言をいいさって電話を切った。親からは将来のことも聞かれた。何度も話したが、やはり子どもの夢物語ではある。基本応援してくれる親だが、そこにしっかりとした決意がないならちゃんと否定してくれるのが救いだと思う今は。自分は将来音楽をしていたい。けれどそんなに世界は甘くない。努力も人並みで、好きな気持だけだは限界があって。でも諦めたくない気持ちがある今は、まだ追っていたい。だから別の好きなことであるものを仕事に選んだ。だが今になって思うのはもう既に逃げてしまっている気がするのだ。夢のために仕事するだけ〜!と、言っている自分が情けなくなってきた。本気でやる人間が、そんな事言うのだろうか。言葉の前に行動もなにもないじゃないか。逃げ道と保険を作っただけで安心してはいないか。何をして、何をいま得ているのか。何をこっからしていくのか。もう大人だ。悲しいけど学生なんて夢は終わりだ。
何から何までハッとさせられた電話だった。親は偉大だものだ。
最後にここに残ったのは。いや、はっきり言うと何も残らなかった。22年の学生人生の終わりのとき。ここには無知の知もなく、無になった。
だがここで立ち止まるほど弱い人間でもなくて。負けず嫌いは自分が嫌なことを言われたときや失敗したときほど、なんだか燃えたりして。
それからの一時間でとにかくあらゆるところに連絡したり調べたりして、下を向きながらも一歩目を踏み出してみた。どこまでこの反骨精神が続くのかもわからないが、とにかく親に心配をかけて馬鹿にされ呆れられる人生はもうゴメンだ。そんなことしたくて家を出たんじゃないんだから。何が今できるのか考えてあれこれやってみようと思う。
やはり人は一人じゃ生きてけないと実感する。ケツを叩かれないと動けないような人間にはなりたくないが、なにか気づきをくれる人間はやはり必要で、知らないわからないなら人やらネットに聞いて頼るべきだし、開き直ってなんとかなるなんてこといつまでも言いたくない。そんな自分が一番嫌いで一番好きだから。適材適所、なんとかなるは使い分けが難しいものだ。
今日も生きてて楽しいね。しらんけど。
バレンタインの前日ですけど、甘さもあれば苦さもある、バランスのいい人生になりますように。そう生きれますように。矛盾を抱えた人生が一番素敵だったりするんです。きっと。そこに残るものが、打ち消されてなくなった無じゃなくて、知でありますように。得るものがありますように。
コンスタントにあげれてる日記ですが、今日も気づきを与えてくれる人がいて、孤独の毒は甘かったです。死にたくなっても生かしてくれたりするのが嘘ってものですから。