ひかりの里山移住ものがたり
2021年2月末。
わたしは、大分県の耶馬渓という里山に移住しました。
千葉県生まれ、千葉県育ち。
縁もゆかりもないこの場所に、なぜ私は移住してきたのか。
人生を振り返ってみます。
<海外にあこがれた小・中・高校時代>
海外の暮らしに憧れを抱いて育ちました。海外で働きたい、英語を話せるようになりたい、などたくさんのあこがれを持ち、大学は国際関係を学べる東京女子大学へ進学。
<商社で働きたい、大学1年生>
「将来は海外でで働きたい」という夢と「田舎の過疎化」という問題を、つなげて解決できないかと思い、商社で働くことを夢見る。
<価値観を揺さぶられた、ニュージーランド>
『田舎といえば農業』という、ざっくりした連想から農業系のインターンへ。インターンをしながら、ニュージーランドの農家さん(父の紹介)の元へ、2週間ホームステイ。
そこで、大きく感じたことは、都会での時間の流れの速さと、ニュージーランドでのスローライフという時間のギャップ。大学2年生のわたしの価値観が大きく変わった瞬間の一つでした。
<人生を変える出会い>
大学3年生。ニュージーランドから帰国してすぐ、同じインターン生からのお誘いで、農業系イベントに参加。そこで、太とそーちゃんに出会いました。
2人から、これからいろんな地方をめぐるということ、いろんな農家さんに会いに行くということ、そして将来、太のゆかりの地である耶馬渓という里山で百姓になりたいという話に魅了され、彼らに同行することに。
そこからいろんな里山を見に行ったり、九州の農家さん巡り、一軒家の外装のペンキ塗り、などたくさんの時間を共にしました。(あと、そーちゃんとお付き合いすることにも!)
このころには「外から地方の問題解決」を考えるよりも、自分自身が実際に中に入り、ワクワクしたり、楽しく、心地よい場所をつくりたいという思いが強くなっていきました。
そして二人とたくさんの時間を過ごした私は「将来移住したい!」と思い、耶馬渓へ移住することを決意。
<その後>
耶馬渓へ移住といっても、
自分が里山で何ができるのかわからなかったり、
仕事があるか不安だったり、、、
あとは一度は企業で正社員ではたらいてみたい!という思いから、いわゆる一般的な就職活動をしました。そして、「住」に興味をもった私はニトリでの採用が決まり、ニトリへ就職。そして11か月後、私は会社を退職し、耶馬渓へ移住しました。
これが23歳までのひかりの人生。
今後の投稿では、それぞれの時期に何があり、私は何を考えたのかを書いていくので、ぜひまた読んでもらえるとうれしいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
次回もお楽しみに❁