はじめまして、村田拓輝(むらたひろき)です。
初めまして、こんにちは
私は大阪府松原市に在住の村田拓輝(むらたひろき)と申します。
まずは、2025年新年明けましておめでとうございます。
今年の干支は巳年という事で私も一皮も二皮も蛇のように脱皮を繰り返して
成長できる年にしていきたいと思います。
今回はそんな私のプロフィールとなぜ政治の世界に足を踏み入れようとしているのか、そんな事を書いていこうと思ってます。お時間の許す限り読んでみてください。
プロフィール
2000年9月8日大阪府松原市に生まれ、幼少期から高校卒業まで松原市で過ごし、その後上京し帰阪、現在は東京のベンチャー企業で松原市に住みながらフルリモートで働いています。
【学生時代まで】
小学校は天美南小学校、中学は松原第二中学、高校は藤井寺工科高等学校に通い、約18年間、松原市で育ってきました。
【社会人1年目】
高校卒業後は上京し新卒として大手ゼネコンのグループ会社にて耐火被覆、ALC工事という仕事に従事。建設業界でのプライドを持って働いてる職人さん達と地図に残る仕事をし、自分は誰の為に仕事をしてどういった部分に仕事の楽しさを見出すのかに気付かされた大事な一年だと思っています。
【エンジニアとしての一歩】
その後、元々興味があったプログラミングの道へ。独学での勉強を経て、大阪のシステム会社でインフラエンジニアとしてキャリアをスタート。本当は開発という実際にプログラミングを書いてシステムを動かす仕事がしたかったのですが、この時の私はプログラミングを実務として何も実績がなかったので、サーバーやネットワークと言った縁の下の力持ち的ポジションでキャリアをスタートします。
【プログラマーになるまで】
インフラエンジニアとして仕事しながら、プログラマーとして活躍する為に
朝昼晩、仕事の休憩中から寝るまで独学でプログラムの勉強をしていました。そこで転機が訪れ、東京のCG要素技術を使って建築設計ができるプラットフォームを作っている会社からお声がかかり、大阪から東京へまた戻る事となります。その会社でプログラマーとしてファーストキャリアを飾ることとなりました。
【政治家を志すまで】
紆余曲折あり、現在は様々な用途で使う事ができるフォームが簡単に作れるツールを提供している東京のベンチャー企業に転職をし、そこでプリセールスエンジニアというお客様の課題をシステムの力で解決するまでのソリューションを考えるという業務を松原に戻ってきてフルリモートという形で自宅で働いています。
そこで、東京から大阪に帰ってきた時に活気がなくなっている地元の駅周辺や松原から都会に行く事を選択していた地元の仲間たち、そのような様子を見て自分を育ててもらった松原で自分の力で何か力になる事はできないかなと色々と考えました。
民間から変えていける事と行政側から変えていける事この二つを軸と考えた時に、民間側では自分が地元にいい影響を与えられる事業を、そして行政側から変えていくには政治家になり変えていくしかないと思いました。
そこで松原市でご活躍されている政治家の方達の事を私は恥ずかしながら知りませんでしたので、調べてみる事にしました。そこには18名の方のお名前があり、1番年齢が高い方で73歳そして1番低い方で43歳でした(2025年1月13日時点)。年齢が全てではなく年の功という言葉もございますが、令和7年のこの時代でそこに平成生まれの方がいない事に衝撃を受けました。
働き世代への支援やデジタルの力を活用し自分を育ててくれた松原という街をもっと魅力的な街にしたい!!
そう思い政治の世界に飛び込む事を決めました。私は現在24歳まだまだ経験不足な上に生意気ですが、東京で培ったITの知識と現職の方に負けない松原愛でチャレンジしていきたいと思っています。
最後に
私はまだ24歳の若輩者です。しかし、生まれ育った松原市をより良い街にしたいという思いは誰にも負けません。
まずは一市民として、松原市の様々な課題に向き合い、市政について学んでいきたいと思います。
このnoteでは、そんな活動の記録や、松原市の魅力、市民の皆様の声など、私が感じたことを率直に綴っていきます。 経験は浅くても、プログラマーとしての知識と若い世代の視点を活かしながら、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。 皆様からのいいねやコメントでお考えをお聞かせいただけましたら幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。