投げられたボールを受け取らなくていい
SNSを休んでいた時期、いくつかの本を読み、これからのことを考えました。そして、自分が自分としてリラックスしながらnoteを利用したいから「通知とコメント欄をチェックしない」ことにしました。
少し弁明をさせてください。どこかの誰かに批判されるのを恐れているからでなく、今まで仲良くしてくださってた方が、戸惑わないように。
「人が投げたボールをすべてキャッチすることはない」
これは10年以上前に、自分の人生を変えた「小さいことにくよくよするな!(R・カールソン著)」のなかの一節。
この文庫本は2000年に発売されたようで、まだSNSが盛んになる前。携帯電話が普及しだす頃かな?(以下、編みかけ部分は本文より抜粋)
私たちの葛藤は、人間の問題におせっかいにも口出しすることから起きる場合が多い。だれかに悩みごとを打ち明けられると、それを受けとめなければと考えて応じてしまう。
(中略)投げられたボールをキャッチすることはない。それを覚えておくとストレスがかなり解消される。(中略)こっちが餌にかからなければ、相手は別の人を釣ろうとするだろう。
だからといって、けっしてボールをキャッチするなというのではない。そうしたいときにすればいいという意味だ。(中略)もっと穏やかな人生を歩むためには自分自身の限界を知ることが必要だし、自分が参加することには責任を持つことも必要だ。
SNSが普及してから、人々の個人的な感情を目にすることが格段に増えました。宛名のない愚痴も、悩みも、自分のタイムラインに流れて来るようになり「ボールを投げられる機会」はフォローが増える度に増します。制限しなければフォローしてない相手からでさえボールが飛んで来ます。
自分の場合、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)の部類に入るらしく、このボールが目に入ると"受け取る?"と立ち止まって悩んでしまいます。相手が悩んでいるようなら尚更。ボールを受け取らない選択をしても「無視しちゃった、相手は傷つくかも」と、後ろめたさがつねにありました。
ツイッターではミュートが出来るので、自分で情報量を調節することができました。ただ、リプライ、コメントとして投げられる場合は「自分が話しかけられている=自分宛のボール」。気軽な会話でさえ、返事に30分以上費やす事も少なくなかったです。
コメントをいただけて嬉しい素直な気持ち、相手を尊重したい心、そして自分が嫌われたくない下心と恐れで、こういう返信方法をとっていました。
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ひと昔前のインターネットは、未知の世界が楽しく、そしてとても不便でした。なんせ、遅い。自分が所有していたパソコンは起動ですら30分以上かかっていましたから。
若かったので、ちょっと倫理に反するようなサイトも気になる。しばらく考えてホームページをクリック…表示されるまで時間がかかる…
やっぱ、見るのやめよう。
そうやって、判断する時間がありました。でも今は骨髄反射的に指が反応したらパッと表示されてしまう。迷う、やめる間も無く。
携帯電話が普及し、いつでも互いにボールが投げられるようになりました。そしてスマホが普及し、SNSでつながる時代になると、みんなこぞって"自分から"ボールを拾いにいくようになりました。
誰でも快適にSNSを使いこなせているわけじゃないとおもいます。苦しい人や面倒なひとはボールを拾わなくていいんじゃないでしょうか。ボールバッチコイ!な人もいると思いますが。
ボールを受けとらなくていい。拾いに行かなくてもいい。そう考えるだけで、少し気が楽になるかもしれません。
繰り返しますが、自分は通知とコメント欄のチェックをしないことにします。もしかしたら、いつかのボールを拾い上げるかもしれませんが、いつになるかは自分にもわかりません。ごめんなさい。
でも、これを決めただけで、すごく気楽に帰ってこれました。
また顔を出します。