長編小説「きみがくれた」中‐㊹
「雪の朝」
霧島はあの夜の一件以来、亮介に何度もアネモネに呼ばれていた。
朝早く市場に連れ出されたり、“サービス束”作りを一人で任されたり、クリスマスの“アレンジメント”に使う資材の準備なんかもさせられていた。
亮介は電話であの日の霧島の様子をマスターに話した。
マスターはけれど驚いた様子もなく
「央人がやりたいことがあるなら僕はそれを応援するよ」
そう電話口で言っていた。
“おまえのそのカンジ嫌な予感しかしねぇよ”
亮介はそれでも霧島を“ほとんど従業員のように”扱い、“できる限り目を離さないようにしていた”。
霧島は普段冴子がやっている切り花の“水揚げ”も一人でやらされていた。
それに仕入れたばかりの花鉢をラッピングして店頭に並べたり、お客さんに頼まれて花束を作ることもあった。
霧島はどの仕事も亮介が“1回教えれば”プロ並みに”できた。
“当分は帰らねぇてはっきり顔に書いてあった”
亮介は“愚痴ひとつ言わずに”“全て完璧に”“支持通りに動く”霧島に、“むしろ不審感しかなかった”。
”やれといわれたことはやる”、”それで文句はないだろう”、そう言われている気がする。
”だから俺がどこへ行こうとこれ以上は詮索するな”
――そう霧島に体全部で言われてる気分だった。
「それがさ‥どれもみんなソツなく淡々とこなしてっちまうんだよな。しかもそのスピードも仕上がりも申し分ねぇときてる。」
きっともうすぐ行ってしまう。
「どっかひとつでもケチつけるとこがありゃな‥っとにかわいくねぇ」
その年初めて降った雪は一晩で深森の街を白く埋めた。
朝になっても窓の外には“削られた雲の破片”が景色を覆い尽くす勢いで降り続いていた。
あの時、もちろん冴子も“胸騒ぎがしていた”。
“ちょっと”
いつになく真っ直ぐに話しかけてきた霧島に、冴子は“言いようのない不安が過った”。
そして、二人の予感は的中した。
渡り廊下は音もなく、しんと冷えていた。
中庭は一面真っ白で、背の高い薬草もすっかり雪に覆われていた。
一度だけ、前髪の下の瞳がこちらを見た。
“ついて来てもいい”とも“ついて来るな”とも言わないその瞳を、ただ見上げることしかできなかった。
静かにガラス戸の外へ降りる霧島の背中を、それ以上追うことはできなかった。
行ってしまう
古びたナップザックと、使い古しのギターケース。
おそろいのパーカー。
その黒い後ろ姿は降りしきる雪の景色の向こうへ紛れてしまった。
きっと、しばらくの間は帰らない
白い足跡も、ズボンの裾が進んだ漕ぎ跡さえ、まるで何もなかったかのように元に戻った。
きっともう、当分は帰らない。
“霧島がそろそろいなくなることは、なんとなく分かるよ”
お別れの日は、いつもさりげなくやって来る。