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長編小説「きみがくれた」上-①

「雨上がりの朝」


 ――あの人は、足跡も残さずに行ってしまった――



 いつものようにまだ暗いうちに目が覚めて、今朝もそこに霧島の姿はなかった。
 部屋の隅に古いギターケースも、黒いナップザックも見当たらない。

 ベッドから降りてドアの隙間から部屋を出ると、まだマスターの“夜コーヒー”の匂いが残っていた。

 渡り廊下を足早に進み、突き当りのドアを押し開けて店内へ降りる。

 ソファ席が並ぶガラス張りの向こうは黒く何も見えない。

 
 冷たい空気に身震いをして、まだ湿ったアスファルトの上に踏み出して行く。
 暗い坂道の端にはまだ水の流れが見えた。

 ここ数日の間降り続いていた激しい雨は昨日の夕方にようやく止んで、けれど桜の森公園の満開の花びらをほとんど散らし、白い砂を一面ピンク色にした。


「春の嵐」だとマスターが言ったのはまだ雨が降っていた午後で、母屋と店の間にある中庭の大きなハルニレの葉が雨風に激しく打ちなびいていた。
芝生の上は吹きとばされたニレの葉がそこら中に散らばって、ばあちゃんの薬草も強風と水の重さにうなだれていた。

“今夜の満月は綺麗だろうな”

 空が静かになった夜、マスターは店を閉め終わると、暗い窓の外へ目をやった。

 雨に洗われた空が大好きだったマーヤが、きっと喜びそうな夜だった。


 坂道を下りきって時計の街灯の角を曲がるとハルニレ通りに出る。
まだ人影はなく、辺りは静まりかえっている。
立ち並ぶ店はどこも閉まっていて、通りを走る車もない。

 緩やかな坂道になっている濡れた石畳の上には落ち葉がたくさん張り付いている。
 足早に前へ前へと進みながら、通りの向こう側、その先に目を向ける。
途中、立ち止まって後ろを振り返り、すぐに再び前へ歩き出す。


 霧島は外で偶然会うと、口の端を少しだけ上げ無言で“よぉ”とあいさつをする。
 長い前髪で隠れた瞳の表情はいつも見えない。
 けれどあの深く澄んだ濡れたように黒い切れ長の瞳が優しくこちらを見つめていることを、もうずっと昔から知っている。

 着いて行っていいとも、だめとも言わない、速足で歩く後ろ姿を追いかけた。


 二つ目の角を曲がると今度は急な坂道になる。
 昼間は車が多く行き交うプラタナス大通りも、今は薄闇に沈んでいる。
 通りを渡って最初の角を曲がり、その先の赤いポストでもう一度曲がる。
 そこからはもうまっすぐに進むだけ――そのうち草地や空地しかない「樫の森」に入る。

 ここは昼間でもほとんど人の姿はない。


 まだたっぷり水を含んだ土の道を、水たまりを避けながら進んで行く。


 霧島のアパートはこの樫の森の奥の奥、どんぐり山の麓に“かろうじて”建っている。
 砂利道にさしかかると濃い緑が茂る木々の向こうに“今にも森に飲み込まれそうな”“築50年越えのおんぼろアパート”が見えてくる。
 その建物は、亮介に言わせれば“いつ壊れてもおかしくない”古さで、霧島が住み始めたときから“既に”“外見はほぼ森”だった。
 かつて真っ赤に塗られていたはずの壁はすっかり色褪せて“土色”に変わり、真鍮だった外階段も青緑色の錆びだらけ、気を付けないと踏み外しそうな“トラップ”がいくつもある。
 それでも“洋館風のデザインはレトロ・モダンで味がある”し、“古い時代に造られたわりにはなかなかのもん”だった。
 部屋は“昔ながらの造り”で“畳一枚のサイズがでかい”から、“一部屋が無駄に広い”。“フローリングの洋間と畳の和室、十分な広さのキッチンと風呂にトイレ”があり、おまけに“今にも崩れ落ちそうなこジャレたバルコニー付き”だった。
 亮介に言わせれば“一人暮らしならあんな無駄に広い部屋が二つも必要ない”し、“高校生の分際で贅沢すぎる”。
 けれど“畳の部屋の大きな窓から入る朝日はすこぶるテンション上がりそう”で霧島の遅刻も減るだろうと鼻を鳴らした。

 亮介は霧島が学校に行かない理由も、遅れる理由も、それに行ってもすぐに帰って来る理由も知らなかった。

 
 今でもこの敷地の端に立つりんごの木は、最後に霧島がいなくなった年の、まだ寒くなる前に植えられた。
 今年もたくさん蕾を付けて、少しずつ花が開き始めている。

 りんごの幹の足元に点々と咲いているのは、ばあちゃんのスミレ――霧島がこのアパートに越してきた年、暑い季節が過ぎ、乾いた風が吹き始めた頃にマーヤが種を蒔いた――
 そしてマーヤが望んでいた通り、あれからほんの少しずつその数を増やしている。
 敷地の外の砂利道にも、隙間からいくつか花が覗いている。


 マーヤの“小指の爪くらい”の“すごく小さい”スミレの花。


 高校を卒業して数か月後、深森を出たマーヤが久しぶりにここへ帰って来たのは、このりんごの木が初めて花を咲かせた日だった。
 マーヤはあの日、満開のりんごの木の下で、とても満足そうに、そして本当にうれしそうな笑顔を浮かべていた。

 
 霧島の引っ越し祝いに、マーヤが贈ったりんごの木。


 
 霧島は高校一年の夏休みが終わってからこのアパートで一人暮らしを始めた。
 玄関のドアはいつも少しだけ開いていて、マーヤは昔と同じように「来たよー」と元気な声で入ってきた。
 ばあちゃんの家の縁側から上がってきていた、あの頃と同じように。

 マーヤはここへ来るといつも白いビニール袋を一つ下げていた。
 葉っぱのマークのエコマートは、アパートに来る途中にある。
 マーヤは台所のテーブルの上にその袋を置くと、中から紙パックのリンゴジュースとプリン、ペットボトルのソーダ水とシュークリームを出して並べ、マーヤの部屋に入って霧島の帰りを待っていた。

 あの頃マーヤはほとんどこのアパートに住んでいるようなものだった。
 引っ越しの日、マーヤの家から“布団一式”と花が咲いている植物の鉢植えを5、6鉢運ばされたのは亮介で、その他植物図鑑が数冊にタオルや歯ブラシ、着替えの服が数日分。
 それは“旅行より多荷物”で“引っ越しというより押しかけ合宿”だった。

 お祝いのりんごの苗木も亮介が“夏目に頼まれて”市場で買ってきた。
 まだマーヤの膝丈程の“ただの枝が刺さっただけみたい”な“ちっぽけで頼りない”苗を、マーヤは大切に育てていた。


 マーヤは小さい頃から花が大好きで、いつもばあちゃんと縁側に二人並んで植物の話をしていた。

 いつだったか、霧島が縁側のひだまりで寝ころんでいる傍ら、マーヤは庭のスミレの匂いにはしゃいでいた。

“フリージアだ!”
“霧島!”
“このスミレ、フリージアにそっくりな匂いがするよ!”

 ばあちゃんの大切な人からの贈り物だとマーヤが言っていたこのスミレは、ハルニレの木の中庭でも芝生の隙間のあちこちから花を覗かせている。


“霧島!”
“見てよ!ここにも咲いたよ!”

“すごいね!強いんだね!!”

 高校生の二人がよく一緒に過ごしていたハルニレの庭で、マーヤは幼いあの頃のように満面の笑顔で声を上げた。

 大きなハルニレの木の幹にできた“ちょうどいいくぼみ”がマーヤの“特等席”だった。
 そして“ちょうどよく”盛り上がった根っこをイスに、マーヤはこのくぼみに体を納めて座るのが好きだった。
 霧島は大抵芝生の上に足を投げ出し、地面に張り出した根に寄りかかってマーヤの取り留めのない話を聞き流していた。


 塗装が剥げ落ちた錆びだらけの階段を、朽ち落ちた穴を避けながら足早に上り、一番端のドアの前まで歩いていく。
 ドアは今日も閉まっていた。

 腐った木製のドアは所々木の皮がめくれ上がり、“シャレたドアノブ”だけが“かつてヨーロッパ調だった”ことを“かろうじて物語っている”。

 
 このドアは霧島がいなくなってからもしばらくは少しだけ開いたままになっていて、いつでも自由に出入りできた。
 けれどある日、冴子がカギをかけてしまった。
“半開きなんて物騒”だと怒った冴子は、けれど“あの子が帰ってきたらカギを探しに誰かしらのところへ来るはず”だから、“あの子が来たら知らせること”と、“逆手に取った名案”をマスターと亮介に言って聞かせた。


 ドアの前に腰を下ろし、そこからりんごの木を見下ろして時間を過ごす。
 まだ明けきらないこの時間、砂利道の向こうに人影はない。

 
 引っ越しの日、ばあちゃんの家にあった霧島の荷物は亮介の真っ赤なミニキャブ一台に“余裕でスカスカに納まった”。
 マスターは引っ越し祝いに洗濯機を贈り、亮介はベッド―――“あの店で一番いいヤツ”だと自信たっぷりに言っていた―――を贈った。
 それは“超快眠☆目覚めスッキリ!枕&マットレス!!スペシャルコラボセット”という名前で、けれど霧島にしてみればそれは“亮介の単なる自己満足”であり、その“圧”は“恩着せがましくてうざいだけ”だった。


 霧島が普段からあまり眠らないことは、マーヤでも知らない。


 亮介は霧島を“かわいくねえ”とか“クソガキ”とかぼやきながら、それでもその“一番いいヤツ”の“ポテンシャル”をいくらでも自慢気に話していた。

 冴子はほとんど自分のために冷蔵庫を買った。
 あの“大きすぎる”“一般家庭用冷蔵庫(4、5人家族用)”は、ある日何の前触れもなく、突然アパートに届いた。
 そして案の定霧島は、その“送りつけられた”冷蔵庫を“ただの嫌がらせ”だとこぼしていた。
 その横で、もちろんマーヤはお腹を抱えて笑っていた。


 アパートをあとに、次はエコマートへ向かう。
 霧島とマーヤがよく行っていた“葉っぱのマークのエコマート”。

 あの頃、霧島は毎朝月見山へ登る前にここでソーダ水とシュークリームを買っていた。

 店の入り口から中を覗くと、棚の陰に一人店員の姿が見えた。
 その他には誰もいない。


 ばあちゃんの家があった「椴の森」へ行く途中、その草の道はたっぷりと水を含んで避ける場所もない。
 太陽の光が少しずつ広がり、見渡す限りの畑と空地の緑を照らし始める。 

 遠くに民家がいくつか見える。
 けれどここも、人の姿はほとんど見えない。


 霧島がまだずっと小さかった頃に一軒だけあった“なんとかストア”がなくなってから、“この地域の人たちは遠くの町まで買い物に出なければならなくなった”。
 霧島はお気に入りの“りんごちゃん印のりんごジュース”が飲めなくなった。
 マーヤは霧島が“偶然捨てなかった空き瓶”を眺めながら“ぼくも一度飲んでみたかった”と言っていた。
 ビンのラベルのイラストを見て、“赤いほっぺにチョウネクタイ”“にっこり笑顔のりんごちゃん”
 そんな唄も歌っていた。

“あれ以外ならどれも同じなんだって”

 けれど霧島は“放浪”のたびに、見たこともないリンゴジュースを持って帰ってきた。


 あぜ道は踏むごとに水を跳ね足を取られる。

 ここには昔ばあちゃんの家があった。
 今は背の高い草が生い茂るばかりで、周囲との区別がつかなくなった。
 手前に立てられた看板の木の柱はツタに覆われ、白かった部分はあちこち茶色い錆びだらけ、文字は所々剥げ落ちている。


 今はもうここには誰もいない。

 マーヤが大好きだったあの家も、二人が登った椴の大木も―――。


 裏手へ廻り山道へ入ると足元はさっきよりも深くぬかるんでいた。

 濡れた落ち葉が積もる水溜まりを避けながら、泥で汚れた足を動かし登っていく。
 すっかり歩き慣れたこの道も、目的地までは昔よりだいぶ時間がかかるようになった。
 特にこんな雨上がりの歩きにくい日は、途中で何度も休憩を挟みながら上を目指す。

 薄紫色の空に明るさを帯びてきた空を見上げると、けれどまだ朝焼けには間に合いそうだった。


 坂道の先を行く小さな二人の後ろ姿。
 駆け上がる軽い足取り。
 振り返るマーヤの幼い笑顔。


 古いギターケースを担ぐ背中。
 葉っぱのマークの白いビニール袋。
 一度も振り返らない霧島の、土を踏みめる静かな足音。


 水滴まみれの草の葉を掻き分けながら、その“秘密基地”へ抜ける茂みを進んで行く。
 体中水浸しになりながら、いつもの開けた野原を目指して。


……―――と、鼻先を突き出したその瞬間、微かな甘い香りに触れた。


 それは今まで一度も出会ったことのない匂いだった。
 足を止め、鼻を寄せる。
 背の高い木々と短い草が生えているだけのこの場所に漂う、初めての香り―――。

 果物のように清らかなその香りは、風の中だけにあった。
 周りを見渡しても、いつも通り何もない景色が広がっているだけだった。


 やがて、その香りを見失った。

 そして、もう二度と戻ってはこなかった。


 
 真っ赤な太陽が空の下から現れて、眩しい光が野原全体を覆い始める。
 夜から朝へ、二つに分かれた空が移り変わっていく。

 そよ風が頭の上を心地よく流れていく。

 ここは、霧島がまだずっと幼い頃から“秘密の場所”だった。

“一人だけの”その場所に、霧島はマーヤを連れて来た。

 
 
 あの日初めてここへ来たマーヤが大はしゃぎしていた姿を今でもよく覚えている。

 草の上にランドセルを放り出し、そこらじゅうを走り回った。
“空が近い”“空が大きい”と、大きな声で飛び跳ねながら、“山の中にこんな広い場所があるなんて”と叫びながら、“陽当たり抜群で気持ちいい”と両手を空に広げながら。


“こんなにすてきな場所は他にないよ”

“ぼくたちの秘密基地にしよう”

 
 振り向いたマーヤはくるりと大きな瞳を輝かせた。

 
 それ以来、二人はよくこの場所で一緒に過ごしていた。
 小学校の修学旅行のおみやげにマーヤがくれた万華鏡は、銀色の、霧島の小指くらいの大きさだった。そのお揃いの小さな“ストラップ”を、二人はこの広い野原の真ん中でいつまでも覗いていた。
 いつもは無口な霧島の“すげぇ”と小さく漏らした声に、マーヤがとびきりうれしそうな笑顔を浮かべていたこと、草の上に並んで座る二人の背中と、どこまでも高く、青く澄み渡る空の輝き。

 あの銀色の万華鏡は、それからしばらく二人のランドセルにぶら下がっていた。


 中学の入学祝いに霧島はばあちゃんから古いギターをもらった。
 それを初めてマーヤに弾いて聴かせたのもこの場所だった。
 
 手書きの“歌詞カード”の丸い文字、慌てて草の中に隠したお気に入りの青いテープレコーダー。


 亮介に宇宙の話を聞いてから、二人は夜もここへ来るようになっていた。

 あの夜いつものように“来たよー”と縁側から上がってきたマーヤが“裏山に行こう”と霧島を誘い、ばあちゃんには“ちょっとそこまで”と言って出て行った。

“今夜は満月だよ”
“あそこならきっとここよりずっと大きくきれいに見えるよ”

 あの夜の満月にマーヤは“今まで見たことないほどスケールが大きい”と感動し、“迫力満点”で“怖いくらいにきれい”だと見惚れていた。

“ここは僕らの月見山だ”

 あの日からここは“二人の”「月見山」になった。

“こんなにすてきな場所は他にないよ”

 月明りの下満面の笑顔で夜空にそう言い放ったマーヤの隣で、霧島はただぼんやりと宙を眺めていた。
 


 あの頃毎朝一人でここへ来ていた霧島は、草の上に腰を下ろし、持ってきた白いビニール袋を横にギターを弾いていた。
 
 いつもソーダ水のフタは最初に開けて、それから同じ曲を何度も何度も繰り返し弾いた。
 
 気が済むまで引き終わると、必ずソーダ水を飲み干した。
 
 決まって苦しそうにむせながら、それでも一口ずつ含んでは顔をしかめ、どうにかペットボトルを空にした。
 
 そうして最後にシュークリームを頬張って、ギターをケースに納めると、太陽が真上に昇るまでの間呆然と空を見上げていた。

 
 今もここには何もない。


 風が空高く昇っていく。
 あの涼しい乾いた風が吹いた日。


 差し出された指先
 耳の後ろを滑る冷たい温もり

 さよならの予感

 
 ここには思い出が多すぎる。


 ここには、思い出が多すぎる。


 山を下りる霧島のギターケースの持ち手に万華鏡が揺れるたび、太陽の光が反射していた。

 木漏れ日の下、一度も振り返らない霧島の、静かな足音。



 月見山をあとにして、もう一度霧島のアパートへ立ち寄ってみる。
赤と黒のランドセルが連なる道、水溜まりで飛沫を上げる黄色い長靴の群れ―――。

“今にも森に飲み込まれそうな”“おんぼろアパート”のさらに森の奥へ、黄色い帽子が繋がっていく。
「樫の森」の向こう側、どんぐり山を越えて、幼い二人も通っていた「樫の森小学校」を目指して。


 アパートの部屋のドアは閉まっていた。
 霧島はまだ帰っていない。

 見下ろすと空地の向こうへ駆けていく子供たちの笑い声、風に揺れるりんごの葉、無数の蕾と、開き始めた薄ピンク色の花―――。



“霧島”
“僕、出発の日決めたよ”

 霧島はマーヤがいなくなるより少し前に姿を消した。

“ごめんね”
”きっとしばらくは帰って来ないかもしれない”

 マーヤはこの街を出る直前まで一人このアパートの部屋にいた。
 何日もずっと家に帰らず、黙々と大量の折り紙を折っていた。霧島の部屋にある低いテーブルの上で、朝から晩まで、何日もずっと。
 山盛りの色とりどりの折り紙は、畳の上にもテーブルの上にも散乱していた。

“いいこと考えた!”

“そのうち分かるよ”

 部屋中にばらまかれた色彩の真ん中で、マーヤはうれしそうにいたずらな笑顔を見せていた。

 傍らにはいつもあのお気に入りの青いテープレコーダーがあった。
 そのラジオからは毎日天気予報が流れていた。

 
 マーヤは時折ラジオに付いていた銀色の万華鏡を覗いていた。

 ある日いつものようにテープレコーダーから万華鏡を外して窓の外を覗いていた時、マーヤが不意に“わ!”と声を上げた。
 驚いて顔を上げると、マーヤの満面の笑顔がそこにあった。

“いいこと考えた!”

 静かに、丁寧に折り紙を折り進めていたマーヤは、いつもとてもうれしそうだった。

 作ったのは部屋の端から端を往復するほどの輪っかのリースと、何種類も花の形、七色の三角形が連なる“タペストリー”、真っ赤なりんごと緑色の葉。
 折り紙から一枚一枚切り取った“原寸大”の“桜の花びら”は持ってきた“お菓子のカンカン”と海苔の箱に満タンになっていた。
 そして“りんごの花びら”は霧島のベッドの上にどっさり盛られた。

 マーヤの腰の高さほどある大きなコルクボードには、二人のスナップ写真をたくさん貼り付いていた。
 その周りを飾る赤い折り紙を折りながら、“これはアザミ”とマーヤはにっこり微笑んだ。


“僕がいない間、霧島を頼むよ”

 最後にそう言い残し、マーヤは行ってしまった。


「青いパーカー」に「デニムのパンツ」、「ネイビーのリュックサック」と「登山用の茶色いブーツ」。


 出発の朝、あの日もマーヤはいつものようにうれしそうに笑っていた。

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