長編小説「きみがくれた」下ー㉗
「流れる時間のなかで」
その夜のメニューはきのこたっぷりのポルチーニクリームパスタと、蒸し野菜の特製アボガドソースがけ。
それにベビーリーフとカリカリベーコンのサラダとコンソメスープ。
「マスター、霧島の寝顔まで隠し撮りしてたの?」
亮介はパスターをフォークに絡ませながら呆れ顔で尋ねた。
「しかも何枚か別バージョンがあったけど」
「あはは。うんうん、だってかわいかったから。」
「つかうちの車運転してるとこもあったし。いつ撮ったの?望遠?」
「うそ、どうやって撮ったの?」
冴子は陽のサラダにドレッシングをかけてやりながらマスターを見た。
「店でサービス束量産してるとことかも写ってたし、マスター自分の店ほっぽって何してんの。盗撮?」
亮介はおもしろそうにそう言って苦笑した。
「ディナーの準備急いで終わらせて様子見に言ったら、ちょうど撮れそうな感じだったから。」
マスターはどこか得意げにそう笑った。
「いやいや、マスター霧島のこと好きすぎるだろ。ヘタしたらただのヤベぇやつだよ。」
「ほんとね、もはやストーカーね。」
冴子はそう言って笑い、でも気持ちはよく分かると頷いた。
「つかさぁ、高校より前の写真てどうしたの?絹子さんにもらったやつ?」
「いや、ほとんど僕が撮ったものだよ。」
「え、でも小学校の入学式のやつとかもあったけど?運動会のも何枚もあったな。あれ多分1年からいつぐらいまで?」
「うん。3年生くらいまでは毎年行ってたよ。」
「俺あん時が10年ぶりくらいのの再開だと思ってたよ。」
亮介はそう言ってパスタを頬張った。
「ねぇ、マスターはもうずっと昔からあの子を遠くから見守ってきたのね」
冴子はスプーンとフォークを持ったままマスターの顔を覗いた。
「あの子と絹子さんの生活を邪魔しないように、気を付けながら‥もうずっと長い間、あの子のことを‥」
「そうなの、マスター?」
「きっとあの子の印象に残らないように、近づきすぎないようにしてきたんでしょう。」
冴子の真っ直ぐな眼差しに、マスターは静かに頬を緩めた。
「なんで?別に隠す必要なんかねぇだろ。普通に父ちゃんの友達だって言やぁいいじゃんか。」
亮介はマスターと冴子を交互に見ながら不思議そうな顔をしている。
「不用意にお父さんの話を持ち出したりしたら、あの子を混乱させるだけ‥そうでしょう?」
「混乱?」
「マスターが央人に自分の存在を知られたら、どうしたってお父さんのことを話すことになる。でも小さなあの子に――絹子さんがそれを伏せている時期にわざわざそんなことすることもない。そう考えたんじゃない?」
「親父さんのことを話さなくたって、いくらでも言いようはあったんじゃねぇの?別に本当のこと言わなくてもいいじゃねぇか。それこそ‘楡の森’でお店をやってる人だよ、てことで通るだろ。」
亮介はサラダを口に入れながらそう言った。
「うん‥そうだね。ただ――僕が央人のいろんな行事を見に行っていたのは小学生くらいまでだったし、ちゃんと全部話せるときがくるまでは、いいかなと思ってたんだ。あまり踏む込まない方が、央人のためにも、そして僕のためにも。」
「マスターのためにも?」
「僕は央人に嘘はつきたくなかった。もし僕がただのマスターとして央人の前に現れたとしても、やっぱり‥僕自身が、ただのマスターでいられない気がしたんだ。」
「それに、聖の想いを尊重したかった。央人を絹子さんに託した、あいつの気持ちを。――僕にできることは、それくらいしかなかったから。」
あの頃は自分のためではなく、聖のために撮っていたような気がする。
マスターはそう言って淋しそうに笑った。
「聖さんはきっと、当時まだ自分のお店をもつ夢を追っていたマスターに子供を預けるなんてことはしたくなかったのね。マスターの夢を応援する気持ちの方が強かったのよ。」
「それに、絹子さんに預けることで、志緒さんの母親のような存在でもあった絹子さんに、愛情をたっぷりもらって育ってほしかった。」
まだ前髪の短い、幼い頃の霧島がアルバムの中にはたくさん写っていた。
「聖さんは周りの人たちにとって一番ベストな選択をしたんだわ。」
冴子はそう自信たっぷりに言い切った。
「マスターはその気持ちを察して、陰から央人を見守ることにした。二人の想いはたとえ直接話さなかったとしても、通じていたのね。」
冴子はそう言うとうれしそうに微笑んだ。
「あの子は本当にたくさんの愛情を受けて育ってきたのね‥」
「聖にも、志緒ちゃんにも、感謝してるよ。央人をこの世に誕生させてくれたこと―――。」
“感謝の気持ちは、巡るんだよ”
「それに、聖が僕と友人になってくれたこと。志緒ちゃんも、僕を霧島家のすぐ側に居させてくれた。こんなにも思い出深い、大事な人たち‥そんな存在であってくれたこと。」
「僕に、一人では味わうことができなかった感情をくれた。喜びも悲しみも、彼らとでなければ感じることができなかった特別な気持ちを経験させてくれた人たち――。」
「二人には、本当に感謝している。そして、僕は央人にも感謝しているんだ。こんなにかわいいと‥大事に守りたいという気持ちを持たせてくれたこと‥自分の人生の一部として、何よりも優先してその幸せを願いたいと‥」
「―――そう思わせてくれる存在になってくれたこと‥―――」
「僕にそんな気持ちをもたせてくれた彼らに、個々rから感謝している。」
僕は幸せ者だよ。
マスターはそう言ってにっこり笑った。
“マスターにも幸せになって欲しい”
“僕は十分幸せだよ”
「―――うん。そうか。」
亮介はマグカップを手に取り、マスターに向けた。
「それなら、俺もうれしいよ。」
“俺のせいでマスターの人生が”
“これが俺の人生だよ”
「私も。」
冴子はおしぼりで目元を拭った。
「マスターが幸せなら、私もうれしい。」
「ママ、大丈夫?」
美空は傍らにアルバムを閉じ、冴子の顔を覗き込んだ。
「大丈夫よ、ありがとう。」
「ほら見て、これ、スゴイよ。本物のロックバンドみたいな写真!」
美空は冴子にアルバムを開いて見せようとした。
「うん、あとで見る。食べながら見ないのよ。汚したら大変でしょ。」
目を潤ませながら小言を言う冴子に、マスターは「ありがとう」とにっこり笑った。