長編小説「きみがくれた」中‐58
「雪の日」
ソファ席の下は、暖かい店内の中で丁度良く涼しい。
ガラスの外は真っ白で、目の前を覆う程の雲の欠片が舞っている。
今朝はあの日と同じ匂いがした。
白い空、白い景色、止め処なく降りてくる白、白、白――――。
“雲の欠片”が全てを覆い尽くしていく。
ガラスの向こう側へ広がる白い世界
あの日黒い後ろ姿は降り注ぐ白に霞み、たちまち見えなくなってしまった。
足跡はまるでそこに誰もいなかったかのようにあっという間に消えていった。
「この雪じゃぁもうお客さんは来ないだろうな」
いつの間にマスターがそこに立っていた。
今日は車も危ないからテーブル花の納品は遠慮したとマスターは言った。
けれど冴子はこのくらいの雪なら平気だとここへ来るつもりだったこと、
でもやはり心配だからまた今度でいいと断ったこと。
「こんな大雪の日は思い出すな――‥」
白一色の窓の外を眺めながら、マスターはぽつりとそうこぼした。
マスターは、ただ霧島の帰りを待っていた。
あの日、お客さんが誰もいない店内で、二人はカウンター席に座っていた。
マスターは霧島に何かを渡そうとしていた。
けれど霧島は受け取らなかった。
“これはおまえのものだよ”
“好きに使っていいんだよ”
「そこは寒くないかい?そろそろ奥の部屋へ行こうか」
真っ白な空から真っ白い欠片が後から後から舞い降りてくる。
“真夏に降る雪”
いつかマーヤが話していたアザミの綿毛は、こんな風だったのかもしれない。
“雪は雲の欠片なんだよ”
もう少しここで外の白い世界を眺めていたかった。
霧島を最後に見送った景色にそっくりなこの白い世界を
霧島が行ってしまったあの日を昨日のことのように思い出す匂いを
霧島がまだここに居た頃に戻れそうなこの夢見心地を
ふと、ガラスに赤い光が映った。
振り返ると離れた位置にストーブが見えた。
マスターがコーヒーを煎れる音は、遠く、店内に流れる曲に紛れた。