「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑬』
「スミレ爆弾」
あの傑作だった夜の出来事。
高校2年の年で、あれは僕の一番の思い出になった。
あの時の霧島の顔――‥!
高校でも霧島は中学の頃とは違った意味で先生たちに目を付けられていた。
あの日は霧島が柳先生に呼び出されていたんだけど、土曜日の午後から面談なんてきっとすっぽかして帰ってきてると思いながら僕はアパートに行った。
あいつは部屋で寝ていて、僕もそのまま自分の部屋で寝ちゃったんだ。
そしてその夜“事件”は起きた。
パンッ!パンッパパンッ!パパパパパパパパパパ‥‥パンパンパンッパパンッッッ!!
ものすごい破裂音が鳴り響いた!
真夜中に突然バクチク並みにすさまじい音がして、僕は飛び起きた。
あれには本当にびっくりしたよ!何事かと思った!
音は霧島の部屋から聴こえた。
僕は襖を開けて、隣の部屋を覗いた。
真っ暗な部屋。窓から明るい月の光が見えた。
その窓辺のベッドの隅っこで、頭から毛布をかぶった霧島が固まっていた。
僕はあの大きな音に驚いたのと、霧島のビビリっぷりがおもしろかったのとで、大爆笑した。
あはははは!あははははは‥!!
“あーびっくりした!なに今の?!あははははは!!”
僕はひとしきり笑いきってから、お腹を押さえて霧島の部屋の電気を付けに行った。
見るとベッドの上の毛布の隙間に怯えきった霧島の目があった。
僕は毛布のおばけみたいになっている霧島にいっそうお腹を抱えて笑った。
霧島は手を叩いて笑い転げる僕に唖然としていた。
「あはははは!あははははは!霧島、びっくりしたね!ほんとっ…!!ああびっくりした!!」
少しだけ毛布をずらした霧島の顔の一部に汗ばんだ前髪が張り着いていた。
見開かれた片目が困惑しているのはよく分かった。僕は畳にうづくまって笑いをこらえながら霧島になんとか「大丈夫だよ!」とだけ伝えた。
“種だよ!スミレの種が弾けたんだ!”
霧島は毛布の中で息を殺していた。
“すっごい音だったね!ほら見て、こんな所にまで飛んできてる!!”
見ればあちこちにゴマよりも小さな黒い粒が飛び散っていた。
僕はそのひとつひとつを丁寧に拾い集めた。
霧島はベッドの上で固まったまましばらく何も言えなかった。
一体何が起きたのかって言うと、だいぶ前に僕がばばちゃんの庭から摘んできたスミレの包を霧島の部屋に置きっぱなしにしておいたのが、その夜突然弾けたんだ。
量的にはボール一杯分は余裕であった。だから飛び出した種の数はハンパじゃなかった。
“あーおもしろかった!”
“驚かせてごめんね!”
呆然としていた霧島がやっと声に出したのは
“スミレ爆弾”
僕はその言葉にも大笑いした。
恐る恐る毛布から頭だけ出した霧島は、ベッドの上にも見つけたその種をそっと指先に付けた。
部屋中に飛び散ったスミレの種を拾い集めるのにはだいぶ時間がかかった。霧島はその間中毛布にくるまったままベッドの上でじっとしていた。
やがて、霧島の部屋の低いテーブルの上に、奇跡の結晶が広がった。
もう一度寝直そうと言って、僕は襖の向こうの自分の部屋に戻ろうとした。
振り返ると、霧島はまだそのテーブルの上をじっと見ていた。
「柳先生になんて言われたの」
霧島が先生との面談をすっぽかしたんじゃないってことはなんとなく分かっていた。
「おまえのように協調性も社会性もない自発的行動も皆無な人見知りの淋しがり屋は社会に出たって到底やってかれんだろうなぁ、がっはっは」
霧島の棒読みみたいな口調に僕はまた爆笑した。
「先生、霧島のことよく分かってくれてるんだね!」
そう手を叩いて笑う僕に、霧島は毛布をはいで壁に寄りかかった。
「欠落してることが多すぎてもはや何も見えん」
「あはははは!そんなこと言われたの!あはははは!」
前に柳先生は霧島をからかうように
“どうじゃぁその容姿ばぁ活かしてぇモデルにぃでもなりゃあいいわぁ”
って言ったことがあった。
“今はやりぃのドクモぉとかの?”
“まぁーーあとりあえずそのぉ邪魔っけぇなぁ長げぇ前髪ぃ切れぇやぁ”
「読モやれって言われなかった?」
“ウチとこのぉ女子生徒がぁみぃんなぁよぉっ喜ぶじゃろぉの!”
“イケメンの持ち腐れじゃぁおまえはぁ!”
“もぉっと見せびらかしたらいいわぁ!”
“だあっはっはっはっは!”
「柳先生の口から読モって!あはははは!」
「あいつ悪口しか言わねえ」
毛布を被ったくぐもった声に、僕はなんだかうれしくなった。
“大丈夫だよ”
柳先生の言う通り、霧島なら雑誌のモデルにも外国のなんとかっていうショーに出るモデルにもなれるし、そういうのじゃなくても、どんな職業にも就けるよ。
「大丈夫だよ」
“霧島は何にでもなれるよ”
“僕が保証する”
霧島のネーミングセンスっておもしろいよね!
スミレ爆弾だって!
よっぽど衝撃的だったんだね!
僕はその夜弾けた種を、全部深森の街中に蒔こうって決めたんだ。
ねぇ霧島。
だって、ばばちゃんが大好きなこのスミレが街のあちこちで咲いたら素敵だと思わない?