長編小説「きみがくれた」下ー㉙
「それから」
霧島はマスターと、そして亮介と約束した通り、毎年春になると深森へ帰って来た。
そして秋になる頃には再びこの街を出て行く。
「あの子もすっかり大人になったわね。行ってきますを言えるようになった。前じゃ考えられないことよ。」
「ああ。一人で電車に乗れるようになったし。」
「春になればちゃんと帰って来るしね。」
「亮介君、央人は一人で電車に乗れなかったんじゃなくて‥」
「分かってるよ。乗れないんじゃなくて乗らないんだろ。」
「いや、乗りたくないんだよ。」
「はいはい、そうでした。」
「秋にはいなくなっちゃうことにも慣れたけど、やっぱりちょっと寂しい。また春には会えるって分かっててもね。」
冬休み、子供たちは冴子の実家に泊まりに行く。
その間大人たちは夜な夜なマスターの店に集う。
「そのうち嫁さんでも連れて帰ってきたりしてな。くくく。」
「――――。」
「――――。」
「え?なに二人とも、その反応?」
亮介はマスターと冴子を交互に見た。
「何かしら、私今、ものすっごくイヤ~な気分。」
「僕も‥なんだろう、このモヤモヤした感覚‥。」
マスターは冴子の真似をして両手で顔を挟んで見せた。
「いやいやあいつだってもうそろそろそんなお年頃ってやつだろ?いつそういう子を連れて来てもおかしくない‥。」
「やだやだ、ちょっと、ヤメテ、その話題。なんか全然触れたくない。ゲエ出そう。」
「は?」
「私の中で央人はいくつになっても中1なの。そんなこと想像もしたくない。」
「‥なんだソレ。いつまでもガキじゃねぇんだぞ。あいつだっていっぱしの男として――。」
そう言う亮介の前でマスターは腕組みをし、考え込むようにこう言った。
「僕はね、これは‥多分、母親の気持ち?あと、やっぱり父親の気持ち‥どっちも混ざってる感じかな。ほら、息子を嫁に獲られちゃう母親の嫉妬心のような‥それと、大人として一人前になろうとする息子を喜ばしく思う父親の親心――あぁ、どうしよう。僕はどんな顔をしたら‥」
マスターは真面目な顔で亮介を見返した。
「いやそこはフツーに喜んでやってよ。めでたいんだから祝ってやれよ。二人ともなんなんだよそのカンジ。」
「ムリムリ!ダメ!嫌!私受け入れられない!絶対にイヤ!!」
「おまえなぁ。」
「だってどこのウマの骨とも分からない見知らぬ子なんか嫌でしょう?私きっと上から下まで何度もジロジロジロジロ見ちゃう。見定めちゃう。それでいろんなケチ付けちゃう。ナンクセ付けちゃう。たとえどんなにキレイな子でも、頭が良くても、料理が上手でも、優しくて可愛くておしとやかで人間性も申し分のない超いい子でも、も、すっごい理不尽なこと言ってなんだかんだこじつけて別れさせちゃうと思う。」
「・・・。」
「だって嫌でしょ。央人が‥――わぁ、嫌!想像しただけで吐きそう。あの子がこの人、と決める女の子がどんな子なのか、興味がないわけじゃないけど、なんか全然祝福できない。できる気がしない!」
「‥引くわぁ‥おまえはどの立場で何を言ってんだよ。見知らぬ子ってそんなん当たり前だろ。あいつが決めた子なら祝福してやれよ。おまえがとやかく言うことねぇだろ。」
「ダメよ。あの子に女を見る目があると思う?ないでしょ。ないに決まってるわ。誰にでも見境えなく優しくて、どこからともなくあちこちから女子が寄ってたかってくるっていうのに、その中からちゃんとした子を一人選び取ることなんてできるはずないでしょ。」
「あるとしたら仕方なくよ。どうしようもない理由が何かあって、それで仕方なく、どうにもならない情が移ってしまって、どうしても離れることができなくなって‥そういう刹那的な‥恋愛云々じゃなくて、それならむしろ納得がいくわ。」
「何か恥ずかしい弱みを握られてるとか、いわれのない借金させられたとか、何らかの何かで騙されて、ハメられて、そういうことに陥れられた結果、逃げることも断ることもできずに、なし崩し的にそうなってしまった―――とかなら、あり得るけど‥」
「コラコラ、まてコラ。おまえあいつのことなんだと思ってんの?そんなにか?あいつはそんなに世間知らずのアホなのか?あいつだって一人で社会に出てもう何年も経つんだ。30過ぎの立派な大人だぞ。好きな女の一人や二人、自分の意志で見極めて将来を共にする相手にはどんな子がいいかってちゃんと考えられるだろう。」
「昔みたいにいつまでも恋愛に疎い学生のままなわきゃねぇだろ。どんだけだよ。」
亮介はマグカップに口をつけ、コーヒーを一口啜った。
「僕は央人がそんなひどい目にあっていたらそれはそれで心配だなぁ‥」
マスターはそう言って苦笑した。
「おまえの妙な妄想で霧島を不幸な男に仕立てるのはヤメとけ」
「ウルサイわね。亮ちゃんに私の気持ちなんか分かんないわよ。あの子はね、いつまでたっても初々しい少年のままなの。何年たっても、央人が何歳になっても、おじさんになっても、それは永遠に変わんないの。」
「央人はあの頃よりちょっと背が伸びて超イケメンになってた程度で、私の中では何も変わってないのよ。あの子は永遠の中学生、それでいいの。」
冴子は同意を求めるようにマスターを見上げた。
「―――はぁ‥あいつも苦労するなぁ。こんな小姑根性300%の超ウルトラスーパーめんどうな女が近くにいるなんてさ。」
亮介はそう言ってマスターを見上げた。
「ははは。‥うん、でも僕も冴子ちゃんの気持ち分かるよ。」
マスターは自分のコーヒーを注ぎながらそう苦笑した。
「僕の中で央人はもっと小さいからね。なにせ生まれたばかりの赤ちゃんの時から‥お腹にいる時から見てるから。あんなに小さかった央人が‥と思うと、何とも言えない気持ちになるよね。」
「ふぅん‥まぁマスターはいいとして、冴子は小姑を拗らせすぎだ。」「俺は楽しみだけどな。いつかあいつが結婚して、家庭をもって、子供が生まれて、父親になって――子育ての事で悩んだりしてさ。そんで俺が相談にのってやってりして――見てみたいよ。あいつが作る家族をさ。」
亮介はそう言って目を閉じた。
「どんな風になっていくのかな――あいつが家族の中で笑ってるところ、あんま想像できねぇけど‥すっげぇたくさん笑える家族を作って欲しいと思う。」
そうしみじみと言った亮介に、マスターは静かに頷いた。
「央人なら、きっと素敵な子を連れて来るよ。」
「あいつめちゃくちゃ親バカになったらおもしれぇな!スーパー心配症な親父になったりして!そんなんなったら俺が代わりに鍛えてやる。」
「嫌がりそうね、央人。ねぇマスター?」
「ああ、ははは‥きっといい父親になるよ、央人なら」
マスターは冴子にそう言うと、楽しみだね、と小さく笑った。
「でもそれ以前に私たちにも紹介してくれるかしら。」
冴子はそう眉を寄せ、頬杖をついた。
「確かに。そこだよな。おまえのさっきの反応とか、多分あいつ隅から隅まで全部お見通しだろうからな。子供が生まれても会わせないっつうかそもそもそういう存在すらひた隠しにする可能性大だな。」
「――いいわよ。私はカンが鋭いってこともあの子にはお見通しでしょうけど、そこをかいくぐって察してやる。それでイジでも見に行ってやるんだから。私のお眼鏡に叶う女の子でなければユルサナイんだから。」
「うっわ、めんどくせ!マジ無理だわこんな小姑」
「ははは。きっと冴子ちゃんの厳しい目にも非の打ち所がないくらいの子を選ぶよ、央人は。」
「そうだよ。あいつはあれで案外慎重派だからな。おまえの助言のお陰で見る目も養われて‥」
「え?」
「あ――、いや、うん?ほら、社会に出て、いろんな人間と関わっていくうちに、な。」
亮介はマスターと軽やかに笑い合った。
けれど冴子は一人複雑な表情でハーブティーを啜っていた。