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長編小説「きみがくれた」下ー㉖

「笑ってた」


「なにもよりにもよって秋に出発することないのに」
 冴子はそうぼやきながらマスターの手作りクッキーに手を伸ばした。

 この秋おすすめの田舎風チョコレートクランチのソフトクッキーはマスターのイチオシだという。
 
「早く春にならないかしら」
「ははは!冴子ちゃん、まだ冬もきてないよ」
 
 客席には冴子が入れ替えたばかりの新しい花が飾られている。
 
 秋のバラは色が格別。微妙なニュアンスの組み合わせが見せどころだと冴子は得意げに話していた。
 

「マスターったら淋しくないの?そんなへっちゃらな顔しちゃって」
 冴子はハーブティーを一口啜り、マスターを見上げた。
 
「淋しいよ、もちろん。」
 
 窓の外は白い空。
 駐車場の花壇に亮介が植えたオレンジのコスモスが揺れている。
 
「僕だって、央人がどこへも行かずに、ずっとここに居てくれたらいいと思ってる」
「でも無理強いはできないからね」
 マスターはマグカップを片手にそう言った。
 
「まぁ、それはそうだけど」
 
「央人にとってここが――この街が、どんな場所か‥僕にはよく分かるから」
 
「それに、央人は僕の淋しい気持ちもよく分かってくれている。それでもここにずっとは居られない‥この2年、あの子もあの子なりにいろいろな葛藤をして、決めてくれたんだ。」
 
「僕はそれを尊重したい。やっぱりもうここには居られないと、どこか別の街へ移ると‥央人はその選択はしなかった。来年の春にはまたここへ‥この深森の街へ戻って来る。そう決めてくれただけで、十分だよ。」
 
 マスターのその言葉に、けれど冴子は素直に同意できない様子でクッキーをかじった。
 
「あの子には何一つ重荷に感じて欲しくはないんだ。出て行くのも帰って来るのも、央人の自由にしてくれていい。」

「戻りたくなったら戻って来ればいい。出て行きたくなったら迷わず出て行ったらいい。ただ、帰って来てくれさえすれば‥――」

「このまま永遠に会えなくなるのでなければ――それが何年先になろうと、僕は構わないよ」
 
「―――そう。」
 
 クッキーをかじりながら、冴子はおいしい、と小さくつぶやいた。
 
「マロンクリームとチョコがよく合うでしょう。今回はちょっと冒険してみたんだけど、これがなかなかうまくいったと自分でも思ってるんだ。」
 
「ええ‥とってもおいしい。」
 
 温めたらマロンクリームがとろっと溶けてまた違う味わいが楽しめるんだ、とマスターはにっこり笑った。
 
 


「僕にはヒミツのアイテムがあるんだよ」
 マスターは浮かない顔の冴子に自慢げにそう言うと、コーヒーを一口含んだ。
 
「秘密?って何?」

「秘密のアイテムだよ。ふふふん。」
 
 
 
 
“それに俺にはとっておきのヒミツのアイテムがあるからな”
 
 
“秘密?”
 
 
“言っておくがおまえには見せてやらないぞ”
 
 
 
「なんなの、それ?」
 冴子の怪訝な表情に、マスターはうれしそうにこう言った。
 
「‥見たい?」
「見たい!」
「央人には絶対に見せられないシロモノなんだよね」
「―――え?それってどういう意味?」
「ふふふ。」
「やだマスター、怪しい。早く見せて!」
 
 
 
“何?そのアイテムって”
 
“秘密だって言っただろ”
 
“見たい”
 
“ダメ”
 
 
“なんで、見せてよ”
 
“だからダメ”
 
“―――‥”
 
“おまえには絶対に見せない”
 
“どうして”
 
“見せたら秘密にならんだろう”
 
 
 
 
 マスターが母屋から戻って来ると、いつの間に冴子の隣に亮介が座っていた。
 ソファ席には美空と陽の姿も見える。
 
「マスター、お疲れ様。お邪魔します。」
「やぁ、いらっしゃい、みんなお揃いで」
 マスターは4人を見渡し、うれしそうに微笑んだ。
 
 いつの頃からか、霧島がこの街を離れている間は店に倉田家が揃うことが増えていた。
 そしてみんなで夕飯を食べ、大抵は美空が陽を連れて先に帰る。
 
 
 
 
「きゃぁ!ちょっとやだ何よコレ!超カワイイ!!」
 
 マスターがキッチンで食事の準備をしている間、ソファ席では主に冴子が声を上げていた。
 
「いくつ?え?1歳?!ウソでしょヤバくない?!目ぇ真ん丸っ!何?人形?造り物?」
「ヤバ。これ超イケメン!この二人マジヤバい。」
 美空は冴子の横から覗き込みそう声を漏らした。

「え、こっちも‥ちょ、コレヤッバ!なんなの子の人たち」
 冴子よりも興奮した様子で美空はその写真に見入った。
「こんなん学校にいたら超ヤバいじゃん。え、マジで?一般人?」
 
 マスターが持って来たのは、自慢の「コレクション」だった。

「マスターこれ、あいつがガキの頃からずっと撮り溜めてたの?」

 亮介に聞かれ、マスターはうれしそうに、そして自慢げにこう言った。

「僕の“央人コレクション”だよ」
 
 
 
「やっぱ藤桜の制服かっこいいわぁ‥女子のこのリボンもめっちゃカワイイし。やっぱタータンチェックいいよねぇ!」
 美空は二人の隣に移っているほとりちゃんを指さした。

「つか央人お兄ちゃん、伝説のイケメンと言われるだけあるわぁ!見てよこれ!この嫌々前髪あげてる感じとかめっちゃ萌え!!」

「あ、見てみて、こっちの色白カワイイ系イケメンも超カッコいい!!貴族系、王子系?もうアニメじゃん。2次元じゃん。」

「いーなぁ、私もこんなイケメンがいる学校に行きたいなぁ~~!!この時代にここにいたかった!!」
「制服かわいいしぃ、これ着てるだけで3割増しじゃない?」
 そう冴子を覗く美空に、冴子はけれどアルバムを噛り付くように凝視している。
「あんたそんな理由で藤桜行きたいとか言ってるの?そんなんで成績アップのモチベーション大丈夫?」

「むしろそれがメインの理由、かつ最強のモチベーションだから」
 
 
「わっ、これいつの?小学校‥ってえ?マスター、あいつの運動会にも行ってたの?」
 
 
「制服は最重要事項。そこだけでモチベーションの9割占めてるから」
 
「うわっちょ‥コレ中学んときのお兄ちゃん?このちょっと影があるカンジいいなぁ!絶対モテる!この頃からこんなカッコよかったんだー‥!この前髪が長いカンジとかも、自分は別にイケメンじゃねぇし、みたいな、そういうことでわーきゃー言われたくないってカンジがまた萌えだわぁ!」
 この時代に同じ中学に通いたかった‥と美空は嘆いた。

 そしたら学校毎日楽しかった、もっと勉強も頑張れた。

 そうぼやく美空に、亮介は眉をひそめる。
「おまえなぁ、こんな奴らがいたらかえって勉強にならんだろう。イロコイにうつつを抜かして藤桜どころか高校進学自体危うくなるぞ。」

「何言ってるのパパ。イロコイごとは女子の最重要案件だから。アドレナリン出まくってなんだってがんばれちゃうんだから。」
 
 3人が口々に話している横で、陽は一人その写真の一枚一枚をじっと見つめていた。
 
「なぁマスター、もしかしてさ、夜な夜なコレ眺めてニヤついてんじゃないの?俺ちょっと心配になるよ?」
 亮介はキッチンに向かってそう言った。

「いいじゃない、確かにこれがあれば多少は淋しさがまぎれるかもね。」
 冴子はページをめくりながら私も欲しいくらいだわ、と言った。

「ほんと、テンション上がるわぁ‥!ねぇちょっと見てよコレ!」
 
 
「マーヤだっっ!!!」
 
 
 突然叫んだ陽の大声に、大人たちは息を呑んだ。
 
「マーヤは央人のトモダチだったんだ!!」
 
 陽の手元には中学の制服姿の霧島とマーヤが並ぶ写真があった。
 
 
「―――――え‥?」
 
 亮介と冴子は目を見合わせた。
 
 マスターもキッチンから出てきて様子を伺っている。
 
「あ、これもだ、ここも、ここにもいた。これもマーヤだ。とーお高校の制服着てる。ミクが行きたい高校。“カイメツテキにムリなとこ”だ!わははっ!」
 そう言って笑う陽の頭を美空が平手打ちした。

「黙れバカハル。無理じゃないから。」

「痛てぇなバカオンナ!ミーハーバカ!」

「なによっ!ちょっと勝手にめくんないでよ!ゆっくり見たいんだからっ!!」

「なぁんだよオイラにも見せろ!」

「あんたが見たってしょーがないでしょっ!」

「はなせ!オイラも見るんだぁ!」
 美空は陽からアルバムを奪い、届かないように両手を上げた。
 
 
「‥おい陽、おまえ今なんて?」
 亮介は美空からアルバムを獲ろうとしている陽を後ろから捕まえた。

「わぁ!なんだよヤーメーロ!」
 首に腕を回され、亮介に羽交い絞めにされた陽はそこから逃れようと抵抗する。

「答えろ。おまえなんで夏目のこと知ってんだ。」

「もぉっ!はーなーせ!はーなーせーよぉぅっ!!」
 
 亮介の腕の中でもがく陽の手を、冴子が掴んだ。

「陽、あなた確か‥幼稚園の時?も、“マーヤ”って――‥」
 冴子の言葉に、亮介の腕が緩んだ。

「―――あ‥―――」

 その隙に陽はするりと体を交わし、ソファから飛び降りた。
 
「ほら、前にこの子、急に店の前で“マーヤ”って叫んだことあったじゃない。確かほとりちゃんもいて‥驚いて‥――。でもあの時は美空が、虫のこととか何とか言って――。」
 冴子は美空の手元を覗き込んでいる陽に目をやった。
 
「おー!ヒロトが黒い制服着てる!おもしれぇ!こっちはすげぇ小っせぇ!コドモだ!ヒロトがコドモだ!」

「これは小っせぇマーヤだ!ヒロトとマーヤはコドモの時からトモダチだったのか!」

「もぉうるさいなぁ!!イチイチイチイチ大きな声出さないでよっ!!バカサル!!」

「へんっだうっせぇオニババア!!AAAカップ!!」

「はぁ?!何言ってんのバッカじゃないの!!AAAって何よそんなわけないでしょエロガキ!!」
 美空は顔を真っ赤にして陽の頭をソファに押し付けた。

「いでぇなやべろっべちゃばい!!」
「黙れチビサル!!」
 美空は陽の上にのしかかる勢いで攻撃を続ける。

「やべろっデブ!ブタおんだっ!」

「こら、二人ともそのへんにしとけ。――美空、今どきはペチャパイくらいが丁度いいんだぞ。」

 この亮介の一言に、美空は鬼の形相で振り向いた。

「――や、あれ?」
「ちょうどいいって何?サイテー。キモイ。大キライ。どっか行って。」

「‥亮ちゃん、バカ。」
 
 倉田家の様子をカウンターから眺めていたマスターは、アルバムを一人占めして満足そうにしている陽の近くへ歩み寄った。
 
「陽君、それで、“マーヤ”はどんな風だった?」

「?」
 テーブルの傍らにしゃがんだマスターに、陽は「なにが?」と首を傾げた。
 
「陽君はマーヤに会ったんだよね。マーヤは元気そうだったかい。」
 
 そうマスターに尋ねられ、陽は考え込むように天井を見上げた。
 
 その様子に冴子も亮介もそろって目を見張る。
 
 
 すると陽は、両手を上げて大きく左右に振り始めた。
「こーやってぇ、ぶんぶん手ぇ振ってぇ、」

 大人たちは陽の仕草に注目した。
 
「すっげぇ笑ってた!」
 そう陽は満面の笑みをマスターに向けた。
 

「―――――‥‥‥」
 冴子は両手で目元を押さえた。
 
 
「――――そうか‥すっげぇ笑ってたか――――‥‥」
 マスターはそう言ってアルバムの写真に目を落とした。
 
 

 マスターのコレクションにはマーヤの笑顔が溢れていた。

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