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ヤなことそっとミュートは、旅をする

はじめに

 女性アイドルグループ『ヤなことそっとミュート』通称「ヤナミュー」について、基本的なことはすでに各所で触れられているので、ここではことさら述べない。(気になる方は、kaijinchanさんの記事がうまくまとまっているので参照されたい。楽曲については、ass-atteさんのブログが非常に明るい。) 

 僕は2017年7月から、これを書いている2021年末の今に至るまで、ヤナミューの熱狂的なオタクとして生きてきた。そして、これからも、を歩んで行くにあたって、一度ちゃんと冷静にこれまでを振り返りたくなり、こうして筆をとっている次第。僕はヤナミューのライブを見た後に、よくツイッターで長文の感想(ポエムとも言う)を上げるふしがあるのだが、今回はこれまでで最も長いヤナミューへの言及になると思う(もし今まで僕が何を言っていたか気になるという奇特な方は、僕のツイッターを探してみてください)。
 結果から言うと、別にオタ卒とかではないので、関係者の方々(推しメン含め)にも安心してお読みいただけると思う。多分。

 これを読んでくれている皆さんは、ヤナミューのライブをご覧になったことがあるだろうか。もしまだないという方は、何とか万障繰り合わせ、ぜひ観に行ってほしいと思う。そのライブにどんな"価値"があるか、それが皆さんのお好みに合うかはいったん措くとして、一度目にされないことには、これから僕が言おうとしている事がうまいこと(少なくとも、十分に近い形では)伝わらないだろうから。いわゆる「百聞は一見にしかず」というやつだ。
 そうは言ってもヤナミューのライブの大半は東京近辺で行われるし、こういうご時世でもあるから現地には行きづらいとしても、配信はかなりの頻度で行われるので、まずはそれをご視聴いただくのはいかがだろう。

 そもそも、女性アイドルのライブってどんなだ?もしくは、ライブってどんなだ?というところが、「観たことがなくて全然分からない」という方、「ライブはまあ分かるけどアイドルは分からない」という方、「お前なんかよりアイドルオタク歴は長いんだ」という方、それぞれだろう。あえて詳細な説明は省き、なるべくシンプルに語っていきたいと思う。不明な単語がある場合はググってほしい。

 かつてのヤナミュー現場は「荒くれ者の現場」だった。リフト、ダイブ、モッシュ、圧縮、加えてMIX、コール、全てがあった。それはそうなるだろう、轟音で疾走感のある、爽快で良質なオルタナティブロックが聴けるのだから、そして、それを可憐なアイドルが歌うのだから。ヤナミューは、かの有名なBELLRING少女ハートを輩出したレーベルである「クリムゾン印刷」からデビューしており、そうしたルーツがあることも一因かもしれない。
 現在でもそういう要素は色濃く残っており、そこもまたヤナミューが根強く愛される理由でもあるのだが、一方で、いくつかの段階を経て徐々に、少しずつ現場は変化していった。

 まず、そんな現場だったから、2017年のとあるライブにおいて、大きな怪我人が出た。それを契機として運営は、現場で「人の上に登る行為」を禁止した(「人の上に登る行為」ってなんだ??と思われる方、ごもっともですが、そういうものです。)その時点で、ヤナミュー現場に過激さを求める一部のファンが離れた。これは僕がヤナミューにハマる前の話で、人づてに聞いたものだ。
 同様に、最近のコロナ禍においても、声出しや接触を伴うモッシュなどが出来ないため、そうしたハードコアな楽しみをしたいファンは少し疎遠になっている印象もある。その他、後述するがいろいろな出来事があり、そのたびにヤナミュー現場の雰囲気は少しずつ変化していった。

 イソップ物語の一つに「あなたが泉に落としたのは、この金の斧か?それともこちらの銀の斧か?」などと女神に問われる話があったが、僕は一度でもヤナミューに興味を持ったことがある人たちには、こんなことを聞いてみたい。

「あなたがヤナミューに興味を持ったのは何年の何月で、その時ヤナミューはどんな風に見えましたか?」

 別におまいつマウントが取りたいわけではない(おまいつがマウントを取れる行為なのかどうかはともかく、そして僕がおまいつと言えるのかも、ともかく)。ほとんどのアーティストに共通することだが、ライブは、アーティストは、それだけ時勢や状況に応じて変化しうるものだ。ヤナミューもまた、その時々で、異なる表情を見せてきた。その足跡を知りたいだけなのだ。

 ただ、前述のような外的要因に影響はされただろうが、そうした公理とは別に、おそらく当初から、あるいはどこかの時点から、ヤナミューには"目指すべき方向"が定まっていたのだろうと思う。そうでなければ、そういう確信めいたものがなければ、今のヤナミューの世界観に見られる"強固さ"や"一貫した何か"の説明がつかないのだ。
 ヤナミューは、来るべくして、今の方向へ進んできた。時とともに少しずつ変わりながら、一方で、確かに何かのラインを貫きながら。ある時から明確に舵を切り、そして今もなお、その方向へ舵を切り続けている。
 その姿が、その進むべき方向こそが、いまだに相当多数のファンを惹きつけて止まず、それまでとは全く異なる層にも訴求し、ついには「アイドルでもオルタナティブバンドでもなく、"ヤナミューというジャンル"」と評されるような、無二の存在にさせているのではないだろうか。
 だとしたら、それって何だろうか?今の"ヤなことそっとミュートの凄さ"とは、彼女たちの進む先には、一体何があるのだろうか?

レイライン 綺麗な一筋の光 そのつづき
__________________ 「レイライン」

1 ヤなことそっとミュートは、旅をする


 ヤナミューは2019年1月に、史上最大規模となるZepp DiverCityでのバンドセットワンマン『THE GATE』を大成功に導くわけだが、それに向けて、3ヶ月連続で『ユモレスカ』シリーズが、2018年下旬から配信限定でリリースされた。それとともに、フリーライブツアー『TO THE GATE』が、全国3箇所で開催された。
 それまでヤナミューに対して、何かプラスの違和感というか、「轟音オルタナティブ清純ロックアイドル」という以外の、何か言いがたい魅力を感じていたのだが、その萌芽がついに開いたような感覚を覚えたのはこの頃だ。

 この『ユモレスカ』シリーズ三部作のジャケットをご覧いただきたい。

 受ける印象は人それぞれだろうが、僕はこう思った。

「もう、これは、もはや旅だ。」と。

 #1は荒れ狂う大海原に見えるし、#2は水路や聖堂の探検を想像させる。#3は、まるで雪原の先に出会ったオーロラのようではないか。
 実際、これらのジャケットを手がけられたみっちぇさんの作品には、旅というか放浪というか、「自己の手の届かない圧倒的な存在としての自然」を感じさせる標題が付いていたり、モチーフにされているようなふしがある。
 2019年のZeppワンマンのタイトルに冠された『THE GATE』は、言わずもがな「扉」とか「門」という意味だが、To THE GATEつまりそこへ向かう行為は、そこから飛び出ていくか、新たな場所へ向かうことに他ならない。

 ひるがえってみると、ヤナミューの楽曲には、"旅"や"旅立ち"を感じさせるフレーズの、なんと多いことか。

行こうと思えばどこへでも行ける
記したルートを破いて
自分だけの軌道を描いていける
__________________ 「sputnik note」
空を行くよ 世渡り鳥の夢想は
__________________ 「ツキノメ」
カバンにつめこんだ いつか思い出すように
旅立ちの朝 空は青くて
__________________ 「orange」
夢から目覚めた 僕は線をまたぐよ
吸い込まれていくふらっとプラットフォーム
グッバイシーモア あの頃の夢 
__________________ 「GHOST WORLD」
すべてを置き去ってこの部屋を空けよう
僕が僕であるワケを求めろ
__________________ 「No Regret」
遠く誰も僕を知らない街で
ピアノを弾いて眠る夜
内に向く目をかいくぐり外へ出る
なぜだろう 心は早る
__________________ 「Pastureland」
まだまっさらな荒野を進もう
終わることのないこの旅を
迎えに行こう それはどんな景色だろう?
__________________ 「ワンダーゲート」

 Zeppワンマンに係る上記の一連の流れは、ヤナミューの「旅立ち」を意図しているように思えてならないが、実はそれよりもっと前から、"旅"がヤナミューの遺伝子の一部に組み込まれていたようにも見える。
 振り返れば、ヤナミューは『BUBBLE』で泡の中から生まれ、『puddle』で水から出で、地面に水溜まりを作りながらその足で立ち、幻から聞こえてくるような『echoes』の響きに導かれて、ついに『THE GATE』までたどり着いた。扉の先の世界は、それを開けるまで覗き見ることはできず、扉を開けたからには、意を決してその先へ進むしかないのだ。

 少し自分のことを書かせてもらうと、僕は学生の時、他にあまりやる事がないので(というより、わりかし目的を見失っていたので)、何度か海外へ一人旅をした。異国の地で、どこへ行くも何もするのも自由、頼れるのは自分だけ。見知らぬ風景、初めて食べる食事、嗅ぎなれない空気の匂いまで、何もかもが鮮烈な印象を僕に与えた。

 その後しばらく、社会人になっても一人旅ブームは続いたが、ある頃を境にそのブームは止んだ。アイドルと、ヤナミューに出会った頃だ。
 ライブに特典会にと足繁く通ったおかげで、旅をするような時間も体力も、金銭の余裕もなくなったというのはあるが、一方で、ヤナミューを追いかける事が、旅の替わりとして作用しているような気さえもする(まあ遠征もよく行くので、実質的に旅ではあるのだが)。
 ちなみにヤナミューは2018年にアメリカへ、2019年にはタイへ遠征しており、僕も遠路はるばる彼女たちを追いかけて行ったのだが、まさかパスポートをオタ活で使う事があるとは思っておらず、これはなかなか感慨深いものがあった(この時の事は、いずれ旅行記としてまとめたいと思うほど楽しい出来事であった)。

 「いつか遠くへ行ってしまったとき」を、ヤナミューは当初から、きっと見据えていたのだ。旅も、旅立ちも、おそらくヤナミューに内在されていた。僕はそんな「旅するヤナミュー」に魅かれているのかもしれない。

いつか遠くへ行ってしまったとき用
ふざけあって記したホロスコープ
今はないけど でもあるんだよ
__________________ 「ホロスコープ」

2 ヤなことそっとミュートは、RPGである


 さて、この章では、話はかなり脱線する。

 ヤナミューが旅をしているのなら、ヤナミューのメンバーは旅人だ。
2021年12月現時点で最新の衣装をご覧いただきたい。

画像1

 発表当時、よく使われた表現は「戦士みたい」みたいというものだった。

 「旅する」「戦士」とか、それはもう、、、RPGでは!?!?(※個人の感想です)

 RPG要素を取り入れたグループと言えば、"魔法少女になり隊"とか、アイドルグループにもいくつかあると思うが、実はヤナミューにも、RPGのエッセンスが多分に含まれていると思う、公式には全く言及されていないまでも(つまり妄想です)。
 例えば、メジャー1stアルバム『Beyond The Blue』収録の「最果ての海」は、FF6の崩壊後の世界を想起させる。

 あと、前述のアメリカ遠征時に間宮まにがアップしたこの写真、めちゃくちゃ『MOTHER』シリーズを思い浮かべてしまった(世代がバレるのはもうしょうがない)。

 あっ、以下はメンバーのジョブ設定でパーティ編成なんだけど(聞いてない)
・勇ましくも可憐な佇まい、月花に冴えるエキゾチックな女剣士、なでしこ
・負の感情で無限に闘えるが、その武技はどこまでも美しい暗黒闘士、間宮まに
・聖母のように慈しみ深く、東洋の王子のように凛々しい僧侶、南一花
・星を眺める羊飼いのような眼差しでこの世の真理に触れる魔法使い、彩華

(異論は認める。今度お話ししましょう。)

 子供の頃に遊び友達がいなかった僕は、RPGゲームのキャラクターに漫画やアニメの登場人物や憧れの人の名前をつけたり、それでパーティを編成して、ゲームの広い世界を旅することに喜びを見出し、没入した。戦い、傷つくも支え合い、勝利し、時には敗れ、裏切られ…それでも共に歩く「仲間」の尊さ、パーティーの素晴らしさは疑うべくもなかった。

 「am I」、「orange」、「sputnik note」、「ホロスコープ」、「オッド・ランド・オード」…
ヤナミューの曲を立て続けに聴いていると、現代の日常であったものがいつしかファンタジーの世界に飛び、宇宙に飛び、また日常の世界に戻ってくる、そんな虚実がぐるぐる取って代わる目まぐるしさの中で、ああこの感覚って、あの頃大好きだったRPGに似ているなと、ふと思ったりする。

ロールプレイングな生活 洗い流した
_______________「天気雨と世界のパラード」

 (洗い流されちゃった、、、)

 ヤナミューに限らず、アイドルとそのオタクは一連托生なところがある。推しが卒業する時、オタクはそれこそ半身を削られるような、とてつもない喪失感を味わう。まるでこの世の終わりのような、というと大げさなようにも聞こえるが、実際それほどまでに大きな喪失なのだ。
 だからこそ、少しでも長く一緒の時を過ごせるよう、ファンは推し達の活動を支える。
 ライブアンセムが来れば必殺技が決まったかのように全力で喜ぶし、強者たちとの対バンや大箱ワンマンにて推しグループが圧倒的なライブをすれば、大ボスをやっつけた時のように達成感を感じるだろう。自分のことでもないのに。

 これは明言しておきたいんだけれど、あらゆるファンは、オタクは、自分ではない他人であるアイドルたちの生き様へ己の何かを付託することに、そしてそれを時に皮肉的に・冷笑的に扱われることに対して、後ろ暗さや恥ずかしさを感じる必要はないと僕は思う。
 所詮はゲームだ。だけど、人は一作のゲームから、一生を歩き続けることができるほどの熱量や喜びや思い出を受け取ることもできるし、その先歩いてゆく指針を決定づけられることだってある。ヤナミューを追い続け、そのライブに心震わせた日々のことを、共に旅した日々を、僕はこれから先も、決して忘れることはないだろう。

立ち返れば僕ら誰でも
所詮はただのキャリアだろう
次に繋ぐためのバトン 糸の中に組み込んで
「なすすべなく時は流れど 
 流れるのは僕の方だろう」
ずっと眺めてここで待っててもつまらないだろう

行けよ 走れよ 遠く連れてって
誰も彼もがパッセンジャー
__________________ 「Passenger」

3 僕らはヤナミューと旅をしている


 かつて「一生のうちにこれほど夢中になれる事はもうない」と思えるほど、ハマったバンドがある。BLANKEY JET CITYというバンドだ(人によっては、説明するほどおこがましいかもしれない)。
 伝説とも言われたこの3人が2000年に解散する時、「新たなる冒険に旅立つ」という発言がメンバーからなされた。僕は寂しさと喪失感を覚える一方で、そうした発言を頼もしくも感じ、彼らの旅立ちを応援したいと思ったものだ。
 その時と同じように、まさか20年後、今度は4人の少女たちの旅をファンとして見届けることになるだなんて、夢にも思ってもいなかった。けれど、そういう人たちに再び巡り会えたということは、自分の人生において本当に幸せな事だと思っている。

 ヤナミューは、結成5年目となる2020年、NHKの音楽番組『シブヤノオト』にてGENERATIONS from EXILE TRIBEや乃木坂46、OLDCODEXらと共演したり、テレビ朝日『関ジャム 完全燃SHOW』にて、私立恵比寿中学の柏木ひなたやフィロソフィーのダンスの日向ハルらとともに、なでしこが「令和アイドル界スゴいボーカリスト10人」としてフィーチャーされるなど、全国的な注目を集める機会に恵まれた。テレビ以外でも、読売新聞の夕刊に見開きで特集ページが掲載され、ファンとしては何とも言葉にならない、誇らしいような思いがしたものだ。
 2021年5月には、超新星のごとく現れた逸材、新メンバーの彩華が加入し、最近では二ヶ月連続大型ワンマン『DEPAYSEMENT』の第一弾を11月28日に渋谷O-EASTにて成功させるなど、見る人が見れば順風満帆、目下快進撃のようにも見えるかもしれない。

 オタクとしては実はここでちょっと遠い目をしてしまうのだが、その一方で、喜ばしいことばかりではない、いろいろな出来事があった。2020年3月25日のメジャーデビュー直後、新型コロナウイルス感染拡大の直撃を受け、メジャーデビューシングルを提げた初の全国ツアーとなる『Afterglow Tour』が全公演中止となった。その後暫く、ライブ活動がほとんど途絶える。
 コロナ禍の緊急事態宣言下においては誰もがそうだったと思うが、ファンもメンバーも、気持ちの糸を保つのに必死だった(これは、ヤナミューの活動状況とは基本的に関係なく、である)。とは言え、メンバーやスタッフの努力により、メンバー個人のツイキャスや配信ライブ、創意工夫をこらしたおうちチェキなど、今までになかったコンテンツが生み出されることとなった。特に間宮にいたっては、ツイキャス配信から生まれた完全自主製作偽ラジオ『間宮まにのヤなことFriday』が評判となり、ロフトプラスワンでイベントが組まれたほどだ(この件についてはミートコーンドリアさんが記事にされている)。
 それでも、先のような全国ネットでヤナミューのパフォーマンスが放映され、そこで興味を持った人々に、ライブやイベントなどの色良い情報をアナウンスすることも、満足にはできていない状況だった。

 ヤナミューの歴史の中で、ファンを含めた関係者が何よりこたえたのは、メンバーの脱退だろう。2019年8月、少し引っ込み思案な妹分としてグループ黎明期から初期メンバーと歩みを共にし、稀有な魅力を開花させてZeppワンマンの立役者となったレナが、脱退。
 あわせて、運営主体のDCG ENTERTAINMENT設立当初からのスタッフであり、「お母さん」的存在としてファンやメンバーのケアをしてくれていたコンポーザーのタニヤマヒロアキ氏が、同じ頃離脱したとされている。
 ここで落ち込んだ空気を刷新させたのが、新メンバー凛つかさの加入、及びUNIVERSAL MUSICからのメジャーデビュー発表であった。持ち前の明るさでコロナ禍においてもファンの心を暖めてくれた凛つかさであったが、2021年3月、大学院への進学を理由に脱退する。
 必ずしも誰もが納得する別ればかりではなかった。何人かの古くからのファンの反応やその後の去就を見てきて、僕は率直にそう思う。もちろん、ヤナミュー自身もまた、大きな傷を負ってきた。今もなお癒えない傷を。

 ヤナミューは時に「(ライブアイドルの)優等生」と評されることがある。個々人のパフォーマンスの高さ、楽曲のクオリティの高さ、デビューから短期間での爆発的躍進、運営の手堅さ(加えて、肌の露出の少ない衣装や、ファンが逆に心配になるほど浮いた話のない、いわゆる「清純イメージ」)のためだろうか。
 ただ、個人的には遠からずとも当たらずというか、何となく正確な表現でないような気がする。同じくよく言われる「真面目」というのも、その通りだけど、少し違う気がしている。
 あえて言うなら「がむしゃら」だろうか。ただひたすら、自分達のステージやパフォーマンスに向き合う、素直に、あるいは愚直に。時々、他のグループが器用に/無難に、こなせる/こなしてしまうようなところを、何故か不器用だったり、時にへたっぴだったり、あるいはその事にも気づかないようだったり、そんなところがある気がする。メンバーは普段はゆる~い感じ(SEの「ヤなことFriday」の登場シーンからも明らか)の姿を見せてくれるけれど、一方で、ある一面では張り詰めすぎな気もしているので、もっと脱力してもいいのでは、と勝手に気にしてしまったりする(差し出がましいことだが)。

 でも、それは正しいのだ。というか、自然なことなのだ。がむしゃらに生きようとすることは。だって、この海は、この現実の世界は荒れ狂っているのだから。

 2020年、コロナ禍。緊急事態宣言。人の集まるイベントが行えない事は、アイドル界のみならず、エンターテイメント業界全体に大打撃を与えた。この期間に、無念にも活動を終えたアイドルグループがいくつもあった。仮定の話をしても仕方がないが「もしもコロナが無かったら今頃は…」と思わせるような、実力も人気もあるグループにおいても、例外ではなかった。
 もちろん、コロナの影響は、そんな(経済的・業界に限った)損失では済まなかった。仕事を失う人、家族にも友人にも会えず孤立する人、不幸にも命を落とす人、人生の大事な機会を奪われる人、大事な人を喪う人、後遺症に苛まれる人……誰もが急激に変化する状況への対応に疲弊し、錯綜する情報に翻弄され、一寸先も分からない日々。
 今もなお、先は見えない。

 もし、そんな世界を、まるで超越者か何かのように、飄々と海の上を滑るように駆け抜ける存在がいたとしたら、周囲は羨望の眼差しを向け、その姿にすがる事だろう。
 でも、普通の人間には、そんな芸当は出来ない。出来るはずがない。そんな風に見える存在がいたとしたら、実際は彼/彼女もまた足掻いているか、あるいはひたすら、虚飾で塗り固められているかだ。

1秒後さえ未定の私を 偶然でも奇跡でもない
ただ飢えが生かしていく
_______________「am I」

 「am I」に、ヤナミューを象徴するような印象的な振付がある。
 4人は荒れ狂う海で放り出されないよう、必死で互いの身体に捕まっている。気まぐれのようにやってくる巨大な波に、時に無情にも打ち砕かれ、引き離され、それでも無我夢中で、散らばったものをかき集めるかのように、必死に縋りつく。

 そういう姿を見ていると、僕はあらん限りの力を込めて、彼女たちの乗る船を押し出してやりたいと、そんな思いに囚われることがある。少しでも遠くへ。海の凪ぐところへ。どれだけの推進力になるかも分からない、きっと、すぐにでも波に掻き消されてしまうような、どうしようもない無為な力だ。それでも、旅はどこへ行き着くのか、その行く末を知りたかった。
 そして、僕と同じような気持ちを持ったファンは、少なからず存在している。僕は彼らと船を見守っている。どうか彼女たちの旅に、少しでも穏やかな幸福がもたらされるようにと。

 彼女たちの足取りは力強く、一方で、その道のりはとてもタフだ。だけど、旅というのは不思議なもので、道のりが厳しければ厳しいほど、見られる風景は貴重なものになったりする。
 彼女たちの歩む先では、そこでしか見られないような風景が、きっといくつも見られることだろう。

はっと振り向いて見渡せば
ならんだ足跡
_______________「レイライン」

 もしあなたが今、向かうべき方向を見失っていたり、一人で歩むことに挫けそうになっているとしたら。しばし、彼女たちの旅に一緒についていってはいかがだろう。ヤなことはそっとミュートしてしまうし、神様なんかではない普通の人間だけど、一瞬の光に照らされた彼女たちが、時おり天使や妖精にも見えることがある。そんな経験、他ではちょっと得られない。
 遮塔の東、少しの留保もなく燃える星たち、一面の牧草地、雪景色、雲の上、底のない穴、そして謎の最深地、虚の巣。心には聖杯があり、滲み出す花火がある。持っている地図がどれほど小さくても、行こうと思えばどこへでも行ける。
 もし道を分かつ時が来たとしても、夢から覚める時が来ても、彼女たちとの思い出を胸に、どこまでも歩いていけるだろう。ひと時の同行でもかまわない。旅とは元々そういうものなのだから。僕もまた、いつ別の道を進むとも限らないが、今しばらくは彼女たちと歩みを共にしようと思う。その進む先でしか見られない風景が、その先には広がっているのだ。

進んでいくことも 振り返ることも
ぼくらにはきっと淋しいことだけど
進んでいくことが 振り返ることが
ぼくらにはきっと必要なことなんだ

「これからどこへいこうかな」
『ぼくらのちいさな地図』

終わりに

 二ヶ月連続ワンマン『DEPAYSEMENT』第一弾の感想を述べようとしていたところ、全然別の話になってしまった。まあ、いずれは何処かでまとめようと思っていたので結果オーライとしよう。
 『DEPAYSEMENT』はツイッターの反応を見る限り大好評で、間違いなくメンバー全員渾身のステージだったし、僕も例に漏れず「やっぱりヤナミューは良いよなあ…」という思いを新たにしていたところだった。

 一方で、観るたび贅沢になってる自分もいて、グループがより遥か遠くを見通すに当たって、この会場ならもっと実験的なことを試しても良かったんじゃないか、とも思ったりした。メンバーが米粒ぐらいにしか見えないような場所にヤナミューが立つとしたら、どんな風景が見られるだろうか、それに繋がるような。例えば「遮塔の東」は、あの場所でならどう演出されただろうか……と考え出すと、キリがない話であるが。

 2021年12月24日、クリスマスイブ。『DEPAYSEMENT』の第二弾、バンドセットワンマンの日だ。きっと、2021年を締めくくるにふさわしいライブになることだろう。
 間宮まにさんの好きな作家、J.D.サリンジャーの代表作である『ライ麦畑でつかまえて』のとあるシーン。妹のフィービーが、雨の中、回転木馬に乗ってはしゃいでいる様子を見ていた主人公ホールデンのように。ぐるぐる回りつづける姿が、無性にきれいに見えたみたいに、「全く、あれは君にも見せたかったよ」と、いつか語れるようなシーンになるんじゃないかと、そんな気がしている。

真っ暗で読めないこの先の日々だって
照らしては温めた

夕空が綺麗なのは 私の願いこの想いを
きっとあなたと結んだから
暗くなる世界 囲んだガラス玉は儚くて でも
手を伸ばせばまだ暖かなまま一等光る
空にフィラメント たどったなら帰ろう
__________________ 「フィラメント」

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