モヤモヤ聞いてください

もうコロナ前の生活に戻ることはないと思います。
打ったことを帳消しにする魔法の薬でも開発されない限り。
これからは打つのをやめて人々が自然の体を取り戻すことができない限り。


海外では規制撤廃なんて記事も目にしますがすべてが無しになるわけではないようで、国外に行く際はワクチンパスポートが必要とか特定の場所ではマスクが必要とか、なにがしかの制限(未接種者の不利益)と次の世界的騒動につなげる伏線は残すようです。

初めに規制を厳しくして国民に苦しみを味合わせ、次に「規制は撤廃します!」と大々的に宣伝しまくり国民に安堵感を与えつつも少し制限を残し、次の騒動でまた煽って規制を厳しく、またまた規制緩和はするものの一回目に残した制限に上積みした制限を残す。
そうやって未接種者の不利益を徐々に増やしていくのでしょう。

打った人は見かけの自由が“与えられ”以前とほぼ変わらない生活を送ることができます。もちろん何も後遺症がなければですが。
仮に後遺症がないとしても多くの下級国民はいつ爆発するかわからない爆弾を持たされます。
その爆弾を爆発させないために、さらに多くの爆弾を繰り返し持ち続けていかなければなりません。それでも運が悪ければ爆発します。

一方ワクチンを打たない人は今後いろいろな制限を受けることと思います。

仕事に就けない遊びに行けない、社会との繋がりが遮断される。そんな生活になるのなら、これからは何を楽しみにし、どこでどんな暮らしをしていけばよいのでしょう。

ただどこで暮らしても最低限の人とのつながりは必要ですし、必要以上に人との関りを望まない人間はどこでも受け入れてもらえないでしょうね。
『田舎』にあこがれるのですが、田舎は都会の暮らしでは想像もつかないような『和』を求められがちです。同調圧力も大きいかもしれませんね。


こんなことを考えていられるのはある意味幸せかなのか、それともこんなにも孤独な人生とはなんとつまらないものなのか。


騒動が始まってから改めて知った「モモ」を読みました。


今は「私を離さないで」を読んでいます。


これも最近どなたかのツィートかブログで知りました。短い文章ですので、読んだことのない人はぜひ読んでみてください。

『戦争責任者の問題』伊丹万作 ~青空文庫~

いつの世も同じなんですね。


でも理不尽な世界を正そうとする気持ちは持ち続け、微力ながらも何らかの活動に参加したいと考えています。

ワクチン製造会社を始め、国も国お抱えの「専門家」も後遺症は絶対ないとは言っていません。国は後遺症の多くを認めてもいませんが。
ワクチン後になんとなく体調が思わしくない方、また周りにそのような疑わしき人がいる方、3回目の接種は保留にしましょう。

そしてその体調不良の原因がはっきりするまで子どもへの接種は止めましょう。