【ドラゴンクエスト ユアストーリー】ドラクエといえばⅤだよね♪ と考えている人間がユアストを見たらどうなるか ※注意! 肯定的意見含む【ネタバレあり】


ドラクエⅤはシリーズで初めて触った特別な作品で、もしかしたら私の初RPG体験だった可能性もあります。

確か、従兄弟から2冊の攻略本と共に譲り受け、母の目を盗んでプレイし、プレイできない時も攻略本の装備の挿絵を眺めて、次の冒険を夢想したものです。それは楽しい日々で、私のゲーム体験の中でも初期の記憶として残る大切な思い出です。


それを見るなんてとんでもない!

そーんな私がユアストーリーを見ることは大変危険な行為でした。
実際これまで避けてきました。

いわゆる“公式との解釈違い“で、アニメが原作を悪く上書きしてしまうこと、ありませんか? 
簡単なものだと声優が合ってないとか、色が想像と違ったとか、追加シーンでキャラクターの性格が変わってしまったように感じる、とかね。

原作のドラクエⅤはドット絵で、いわゆる「解像度が低い」ゲームですね。裏を返せば、プレイヤーが余白を自分の想像で補完することができます。

対するユアストーリーはどうでしょう。グラフィックや声など、確実な世界がそこに存在しますね。これはプレイ済みの人が見ることで自分の中の大切な「ドラクエⅤ」に上書きしてしまうかもしれない危険な作品なんです。


そもそもね、評判が馬鹿みたいに悪いよね!
Wikipedia ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

「(制作陣は)ゲーマーに向けて『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』というラブレターをしたためた。だがそれはゲーマーにとって、熟成させたゴミをプレゼントされるようなものだった。」

「ゲームを、フィクションを、人生をここまで愚弄する作品を私は他に知らない」

「世界観を完全に崩壊させる地獄の10分」

なにこれ、草も生えない。

こんなこと言われてる作品見たことあります?(このWikipediaのページ作った人はユアストアンチ、間違いない)
自分が今まで見た中で一番つっっっまらない&寒いと思ってる映画でもこんなこと言われてなかったよ。


でも人は好奇心の生き物、穴を覗かずにはいられないのだ!


見始めてやはり後悔!

やっぱりそうなってしまいましたね↑

途中まで書き留めていたいくつかの解釈違いを書いておきます。

・主人公は奴隷生活でもっとガタイ良くてムキムキなんですけど😡
・パパスが山田孝之の喉してる! 
・主人公がヘンリーに対して敬語……??? 彼らの間では奴隷生活の途中でタメ口発生イベントがあったはずなんだが(妄想)
・主人公チャラチャラするな〜〜〜〜
・ビアンカ、どうした……? ちょっと年上なだけで、大人になってもまーだお姉さんぶってくる困った奴だけど、芯が強くて真っ直ぐで、でも俺だけには時々弱いところ見せたりする女ではなかったか?(※妄想です)
・ブオーンが仲間になるシーン物騒すぎる。そんな生きるか死ぬかなの? モンスターか主人公が相手に歩み寄る感じじゃないの?
・(私の中の)主人公の性格では、そんな衆人環視の状況でふわふわした言葉でプロポーズとかしないし🖕(また妄想ですゴメンネ)

このあたりでめちゃくちゃ辛くなりました。
私のⅤは、主人公は、そんなんじゃないんだよ! って。
と同時に堀井雄二に「裏切ったな! 許せねえ!」 という感情が湧いてきました……。

メンヘラ化

ユアストって監督を中心に結構叩かれがちだと思うのですが、忘れてはいけない人がいますね。監修かつ、原作者としていっていい堀井雄二ですよ!
原作だけでなく、監修に名前を連ねているからには、作品に手を入れているはずだし、責任があるよね?

それを踏まえて考えてみると、この映画は原作者の死後作られたような二次創作映画(『ロード・オブ・ザ・リング』でさえ二次創作かも!)ではなくて、原作者がちゃんと関わって作った、公式中の公式作品なんです……。

私はお金は払っていたとしても作品は消費者のものではなくて、最終的にはやはり作ったその人の物であると考えているので、○×△(悪口)な作品でも、作者がそうしたいなら受け入れようと思っています。感想は自由だが、外野が変えようとしてはいけない。

言うのはどうかと思ったけど、まじでそうだよ!?!?

なので公式との解釈違いで立ち去るべきなのは完全に私(私の考えでは)。


ユアストが誕生したことによって、ドラクエⅤの美しい想像の余地は消え、観測してしまったことでユアストの世界に定まりました。

主人公はあんなじゃない。ビアンカはあんなじゃない。ゲマはあんな……かも? でもフローラもあんなじゃないし、パパスも違う……。

堀井雄二氏がこの作品を作ったのは、ドラクエⅤの想像の余地を許さないということなのでしょうか……彼は自分の作った世界以外を想像する、私や、他プレイヤーのことを許すでしょうか……。ただただつらい。

……と映画を投げそうになったところでハッとしました。

これドラクエⅤの解釈のひとつなだけなのでは???

そして、電波を受信……

元々、方々の評判で最後がメタ的展開に落ちるだろうということは予想できていました。
そしてこのゲームへの愛ゆえに、あまりにも多い公式との解釈違いから、逃避をし、その先で答えを見つけました。

つまり、ドラクエⅤを起動している誰かの、自分の見たいように見ているドラクエⅤの世界をただ私は横で見ているだけなんだ! って。

同時に深い許しを感じました。誰の? 堀井雄二のだよ! 🌀▽🌀

まだ予想ですが、これに気づいた時にここまでのユアストの展開ほとんど許容できました。ほんとに(ウエメセごめん)。
ユアストは私のドラクエⅤとは違うから。そう考えるのもまた許されているから。

〜ここまでの解釈違い一覧再び〜

・主人公は奴隷生活でもっとガタイ良くてムキムキなんですけど😡
・パパスが山田孝之の喉してる! 
・主人公がヘンリーに対して敬語……??? 彼らの間では奴隷生活の途中でタメ口発生イベントがあったはずなんだが(妄想)
・主人公チャラチャラするな〜〜〜〜
・ビアンカ、どうした……? ちょっと年上なだけで、大人になってもまーだお姉さんぶってくる困った奴だけど、芯が強くて真っ直ぐで、でも俺だけには時々弱いところ見せたりする女ではなかったか?(※妄想です)
・ブオーンが仲間になるシーン物騒すぎる。そんな生きるか死ぬかなの? モンスターか主人公が相手に歩み寄る感じじゃないの?
・(私の中の)主人公の性格では、そんな衆人環視の状況でふわふわした言葉でプロポーズとかしないし🖕(また妄想ですゴメンネ)

↑この解釈違いもほぼ解決できちゃうじゃん!

で、ここから私の考えは飛躍していきます。

堀井雄二氏はこの作品でRPGの想像の余地を伝えたいんだ!🌀▽🌀9m って

自分の物語ってなんだよ?

話が変わりますが、私のRPGに求めるものについてきいてください。
簡潔に言いますと、

自分の物語として、ゲームの中に入ってRPGを体験したいので、私は主人公には喋ってほしくない

ということです。
そもそもこの話を人にしたことで、避けてきたユアストを見るという流れになったのです。

RPGをやる上で「自分の物語」という言葉は良く出てきますね。自由度の高いゲームについてきやすいです。

でも私の「自分の物語」を作るRPGは別に一本道でも構わない。ゲームに入り込んで、行間を補足して、自分の物語が作れれば良い(もちろんちゃんと面白くないとダメ😡)。


ここ10年〜15年のJRPGの流れは完全に自分に合わなくなっています。
頭身も、ディティールも上がり、主人公が自分の意思を話すことが増え、物語は主人公が私より持っている情報が多い状態ではじまります。
「おいおい、置いていくなよ!」って主人公に思うこともあり、「私が入る器」から、「相棒」に近い感覚になってきました。

これはもう仕方ないことです。
[はい/いいえ]しか喋れない頭身高い人間が、口だけパクパクさせて、相方に「へえ〜〇〇だって!?」って代弁してもらうシーンとかもう違和感ある……。

ハードの進化とともにRPG想像の余地は(そもそもRPGさえも)消えつつあります。そういう時代なんだなあ。

でもユアストはね、そのRPGの想像の余地を製作者はゆるしますよ……っていうのを伝えるための映画なんですよ🌀▽🌀9m !!おわかる!?

あっ見てごらん! タイトルもそういうことでしょ!?!?

えっ!? VR!???

 ?o?
おやおや……おやおやおやおや……。ここまで映画を一時停止して考えて考えて、考えてきたことが全部無茶苦茶にされて驚きました。

VRて……VRて……!!!

てっきりSFCのドラクエⅤをプレイヤーはやってるんだろうなあって思っていましたが、まさかの未来VRでした!
あのゲームみたいに、プレイヤーがブラウン管テレビの前で座っている背中を見ると思っていた……。

じゃあビアンカのあの性格も声も、主人公のモンスター説得方法も、ユアスト世界の全て、誰かが(まああの映画の中でも方向を決めたのは堀井雄二だろう)作ったものってことじゃん!
ドラクエⅤを確定するな!

よくもだましたアアアア!(ヒストリアのいつもの画像)


再びメンヘラ化……?

次は大丈夫でした。ヨカッター。
なぜか、なぜなんだろう……。
確かにVRで、上のほうであげたことがほぼ当てはまらないような感じだったんですけど、やろうと思えば理由づけも可能だし、私の中のドラクエⅤとユアストは完全に切り離せたんですよね……。

もしかしたらプレイヤー個々の脳波を読み取って(なにそれ怖い)子供の頃見ていたドラクエⅤを再現してくれるかもしれないすごい機械かもしれないじゃない……? クソデカいし。

だから多分私があの機械に入ったら、キャラクターたちはミギー絵(ミギー絵!!)準拠だし、ビアンカは大の大人になってもまーだお姉さんぶってくる困った奴だけど、芯が強くて真っ直ぐで、俺だけには時々弱いところ見せたりする女だし、サンチョは玄田哲章の声だし……(パパスじゃないのかよ)。


ドラクエⅤの映像化、そして映画としてはどうなのか?

正直、尺の都合により細かい粗には目を瞑るとしても、ドラクエⅤの映像化として見ると問題はあります。
上で書いた私との解釈違いだけじゃなくて

  • サンタローズもグランバニアも全然出てこないから主人公の背景があやふや

  • まさかの! 天空城が出てこない!

  • マーサも天空人になってしまったことで、ビアンカが(ビアンカがね!)原作サブタイの「天空の花嫁」だったのだー! の必要性が消えた

  • 声優もどきがモニャモニャ喋ってて何言ってるかわからねえ(佐藤健の演技はオチを知っていれば大変良かったと思います。あとケンコバ)

  • アルスという名前はどうなのか……ロト紋の主人公「アルス」、あとリメイク3のデフォルトネームらしいけど……自分はロト紋のこと忘れてた? と思った。

  • 娘、確かにいたはずの俺の娘

笑っちゃった

……まあもう少し上手くやれたんじゃね? ってのは色々ありますよ! 

それに、単体の映画としては破綻している部分もあると思う。映画は見るけど、ドラクエどころかゲーム全然やらない人が見て「つまらん」「そんな語るような作品じゃない」と言っててやっぱり(;^_^?となりました。

ファン向け映画だから難しい?
ファン向け映画でもちゃんと楽しめる作品って結構あるからなあ……? たぶん私もいきなりプリキュアの映画とか、ゆるキャン△の映画見ても「よくわかんないけどおもしれー」ってなると思う。(※注 この部分を書いた時、ゆるキャン△の映画が流行っていたので唐突に出しましたが、この部分真実かぁ? と今になって思ったのでアマプラにちょうど来てたので見ました。よく登場人物の関係とかわかんないけどめっちゃおもしれー! アニメも見ようかな!)

万人もゲームファンも拒否していて誰向けだったんだろうこの映画は……。

そうなんです……この映画はドラクエやったやらないに関わらず、多くの人に自分も見ても良いと思わせたのが大きな間違いでした。
この映画が向けたメッセージは一部の人にしか刺さらない。それならもっと映画の表面を面白くしないとダメだったと思うんだよね。劇場に行った人なんて2000円近く払って見てるし。

私もこの映画、何回も見るかと言われたら、見ない……かも。
面白いかどうかだけじゃなくて、解釈違いの人のゲームプレイ動画、見ないでしょ? それと一緒。

そもそもドラクエⅤが映像化向きじゃなかった、と思う。映画の起承転結に当てはめるには三章立てて長いし(起承起承転起承転結って感じだ)、シリーズの中だとキャラクターが立ってて批判の声も大きくなるし(ほら見ろ! しかばねがそこかしこに!)。

でも込めたメッセージ(恐ろしいことに、ここまで語っていて私の想像の枠をこえていないのですが)は伝わりました。もう少し制作側の手腕があれば、届けたい人にもっとメッセージが届けられたのでは? と思わないでもない。

作中作という危うい表現からの救い

この映画は「実はゲームの中でした」が一番か二番目に批判の的となりました。
この表現って嫌われますよね~。諸刃の剣どころではない、作品の評判に与えるものは害のほうが圧倒的だと思います。あのゲームもあのゲームもこの映画もね。

しかし、私はこの映画が作中作で良かったと心の底から思います。

もしただのドラクエⅤの映像化だったらどうでしょう……? たぶん上手くやれば楽しいものになっただろうし、評判も今よりずっと良いと思います。今みたいにこの映画に怨嗟の声上げてる人もいないんじゃないかなあ。
でもたぶん私や一部の人は少なくない公式との解釈違いに苦しんだと思うんですよね。だってただの映像化なら、それが公式が正解を出したドラクエⅤだからね。

完璧なる映像化も見たかったけど、この映画が作中作だからこそ、私の中のドラクエⅤは守られ、メッセージも受信できたんだと思う。

あとこれね~ショックを受けた人たちへの励ましにはならないと思うんですが、作中作ってわかる時のシーン、だいぶマイルドじゃなかったですか?

私も本当は作中作だったのだ! 苦手なんですけど、それってキャラクターが自分が虚構の中の存在と知ってアイデンティティが崩れるからなんですよね。

でもこの映画は真実を知った時、リュカはそういえばそうだったなという反応だし、ビアンカと息子は作中作の事実を知らずに終わる。
そこはすごいキャラクターに優しいなって思いました(視聴者に優しいかどうかは……)。

良いところもあったよね

リュカの旅ダイジェストとか、ラストあたりのバトルシーンは派手ですごい良かったなあ(娘の戦い方も見たかったなあ)。
ヘンリー参戦も、原作のあそこでバイバイも悪くはないけど、子供の頃はみんな再登場を期待していたよね。ヘンリー参戦ifだよね……。

自分のプレイとリンクして好きなシーンもあります。
主人公がフローラに本当の気持ちを気づかせてもらってやっぱりビアンカに求婚することになるシーンがありましたね。

私も似たようなことがありました。私はビアンカ派ですが、前もビアンカだったから、今回はフローラと結婚しようかな……みたいな。
でも結局フローラの問いかけに「はい」と返しそうになってやめて、ビアンカとまた結婚してしまうんですよね。
何周してもビアンカと結婚しちゃう。
ここ尺取りすぎだけど良かったなあ。
でもデボラとは結婚したことあります。

思えば、リュカ騒動で久美沙織女史を最初に尊重しなかったのは本当にもったいないですね(結局どうなったのあの問題)。
「子供の頃からずっとそうしてる」ってプレイヤーが言っていたけど、そういうことじゃんね。ここ愛(アルスって子供に名付けたのもプレイヤーがロト紋派ってコト……???)。


タイトル回収

まとめ。
「ユア・ストーリー」というタイトルに込められた製作者の思いはなんなのか。
私はRPGへの自分の考え方もあって、「RPGはあなたの物語なのだから、余白を自由に解釈して良い」「あなただけの物語なのだから誰かの影響を受ける必要はない」と受け取りました。

だからこの作品にドラクエⅤをめちゃくちゃにされて、打ちのめされた人も、あなたのなかにある「あなたのドラクエⅤ」と「ユアスト」に線引きして良い(でも残念ながらそういう人はこのクソ長い感想を読むことは無い)。

なのでユアストを途中で辛くて見るのをやめてしまった人が心配。最後まで見ないと傷が傷跡として残ってしまう(最後まで見てしぼうさせられる可能性もありますが)。

なぜ公式との解釈違いが辛いのか、やっぱりそれって「自分の作った世界」を否定されるからだと思う。
でもね、ユアストはそうじゃないんだよ! 各々の解釈をゆるす、真逆の作品なんですよ。

このもう誰もユア・ストーリーの話なんかしない今、この映画を見れたのは幸運だったと思います。もし公開当時に見ていたら、流されやすいし、大きな流れのある側にまわっていたかも?

──ここから下と上を書いている間に長い時がながれた──


※注 今さらですが、この映画を正面から見た上で自分の意見で拒否する人のことはまっっったく否定しません。気持ちもわかってあげられるつもりです。少し天秤が傾けば私もそちら側だったでしょうから。


11月現在。ちまたではゴジラを山崎監督がメガホン取るということで再びユアストーリーのことが話題にあがって、大勢の人が面白おかしくまたくさしています。

でもこの映画を自分の言葉で批判できている人……どれくらいいるんだろう🤔?
そんな悲しいインターネットを見て少し暗い気持ちになりました。

上手く多くの人に伝えられ無かったみたいだけど、この映画にはゲーマーへの愛は、RPGをやって育ってきた人への愛はそこにあったと思います。
私は確かに受け取りました。


おわり

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