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平成生まれがジュリー沼に落ちるまで

 私がジュリーに出会ったのは、中学2年生の秋頃。
 当時、母からおさがりのipodをもらった私だったが、当時音楽にかなり疎かったもので、そのipodを持て余していた。知っている曲と言えば、ドラマの主題歌か、学校で歌う曲、親が車で聴く曲か、祖母が働くカラオケ屋で聴く演歌くらいであった。 そんな私は好きな曲こそ無いが、学生が眠い目を擦り、満員電車の中をイヤホンで音楽を聴きながら登校する、そんな姿に憧れがあった。実際試してみると、自分が少し大人になった気がして優越感さえ覚えた。
 ただ依然として、好きなアーティストは愚か芸能人にすらあまり興味がなかった。しかしipodに入れる曲もないし、好きな芸能人にキャーキャー言っている友達の姿を羨ましく思っていたので、遂に私は誰かのファンになることを決意した。とは言いつつも、さて一体誰のファンになろう。数日考えた挙句、私は某男性ボーカルグループのファンになることに決めたのである。なぜ彼らにしたのかと言えば、当時彼らの人気は絶頂で、ドラマや映画の主題歌になっていたり、学校でも課題曲にされることが多く、いくら音楽に疎い私と言えど知ってる曲はいくつかあった。
 私は半年程彼らのファンを続けた。本当に彼らが好きだったかと問われれば、大変失礼ながらファンを名乗る程ではなかった。誰かのファンである自分、それに満足していただけのように思う。

 そんなある時、私はジュリーに出会った

 とはいえ、ある日突然出会ったのではなく、ジュリーの曲自体は以前から知っていた。母がたまに車で『勝手にしやがれ』を聞いていたのだ。

 私が子供の頃は、まだガラケーを使っている時代で、車で音楽を聴くにはCDが必須であった。車には何十枚というCDが積み込まれ、母は一枚のCDにお気に入りの曲を入れ、オリジナルのプレイリストを作っていた。その中の一曲が『勝手にしやがれ』だったのだ。私は子供の頃からこの曲が好きだった。男は強がっているが、本当は彼女のことが本当に好きなんだろうな、子供ながらにそんなことを考えながら聴いていた。
 しかし、時代が変わり今までのようにCDをどっさり積み込まなくても、車で好きな音楽が聴けるようになった。

 母が作ったプレイリストを聞く機会も減り、すっかりジュリーのことも忘れていたある日、何を思ったか私は無性に『勝手にしやがれ』が聴きたくなった。私は早速YouTubeを開き、まずはじめに観た動画は、レコード大賞で『勝手にしやがれ』を歌うジュリーの姿であった。しかしながら、画質が非常に悪く、ジュリーの顔はあまりよくわからなかった。ただジュリーの美貌を知らない当時の私は、久しぶりにこの曲を聴けただけで大変満足であった。横に出てくる関連動画を見てみると、他にもいろんなジュリーの映像がおすすめされていた。次はもう少し画質の良いもの、そう思いクリックしたのは『憎みきれないろくでなし』。よし今度はだいぶ映像が綺麗だ、頬のほくろもよく見える。ただ気になるのは、帽子を斜めに深く被り、顔が半分も見えないことだ。それでも十分男前であることはわかるのだが、顔に傷でも負ってしまったのではないだろうか。真剣にそう考えた。そんなことを思いつつも、曲はサビへ、、、『憎みきれない〜』と両手を頭の後ろへ、曲に合わせてその細く綺麗な指でこちらを指差し、『ろくでなし〜』と共にその指をぐるぐると回す。まるで少年がトンボを捕まえようとするみたいに。いや、それよりももっと優雅に、しなやかに。


 私はそこから動けなくなってしまった。私が本当にトンボであったなら、いとも簡単に捕まってしまっただろう。


 私はこの瞬間に沼に落ちたのである


 例えるなら、正月特番の『ウルトラマンDASH』で、太巻きのマグロだけを射抜いたアーチェリーの古川高晴選手並の正確さで、私のハートのど真ん中を射抜かれたのだ。私は本当に雷に打たれたような衝撃を受け、しばらくPCの前でただただジュリーを見つめるしかなかったのだ。しかし、登校前にそのような出会いをしてしまったものだから、まだ余韻に浸っていたいのにも関わらず、ちょうど8時。学校へ行く時間が来てしまった。私は突然の運命的な出会いに、少々戸惑いながら学校へ向かった。しかし、いくら授業に集中しようとしても、頭の中でジュリーがずっと指を回し続けているのだ。これには参った。

 その日のことは、今でも鮮明に覚えている。気づけば私のipodの中は、ジュリーの曲で埋め尽くされていた。ジュリーのファンになって約10年。ジュリーファンの中ではまだまだ新参者である。ただ、これだけ夢中になれる人に出会ったこと、そしてジュリーとの出会いが私の人生を大きく変えたこと、とても感謝している。

 ここまで読んでくださった皆さん、ご拝読ありがとうございます。
 非常に稚拙な文章で読みにくいところもあったと思いますし、文字に起こすと、表現が陳腐になってしまい、なかなか伝わりきらないところもありますが、自分自身を見つめ直す機会として、書かせていただきました。
 私はジュリーと同じ表現者を志す身です。もちろんきっかけはジュリーです。どういう経緯で、具体的には何がきっかけで、表現者を目指し始めたかは、また別の機会に書かせていただきます。
 私は時々夢を見失ってしまいそうになります。モチベーションを維持できなかったり、何がしたいのかわからなくなってしまいます。そんな時、ジュリーのコンサートへ行くと、霧が晴れたように自分は何がしたいのか、何をすべきなのかがはっきりするんです。自分が思っていた以上に、私の中のジュリーの存在は大きく、ジュリーにたくさん支えられていることに気づきました。
 表現者を目指しているとはいえ、私などにはジュリーと仕事をする日などは訪れないでしょうが、70歳を過ぎてもステージを駆け巡っているジュリーに負けないように、日々精進して参りたいと思います。

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