「チワワちゃん」にはなれないけど
MVを見てるみたいな映画、と話題になった「チワワちゃん」を観てきた。
チワワちゃんいう20代の女の子の死をきっかけに、ティーンエージャーの脆く、刹那的な関係性と大人になっていく工程を描いた青春物語である。
「チワワちゃん」を観て『こんなパリピな大学時代を送ってなかった…。』とかいうコメントが多く、私も同じ感想を持った一人だけれど、こんなパリピ生活は送っていなかったにしろ、チワワちゃんをはじめとするこの物語の登場人物に共感できる部分が多々あったので、私の感情からこの物語の登場人物の感情を考えてみたい。
他の女とキスする彼氏を見たチワワちゃん
盗んだ600万円で行ったパーティーで、彼氏の吉田くんが他の女とキスしているところをみたチワワちゃんは、怒ったり泣きわめくかと思ったら、なんと他の知らない男とキスをし、濃厚に絡み合っていく。
あの行動は腹いせでも見せつけでもない。だって見せつけだったり相手の嫉妬心を煽ろうとするのなら、目の前でやります。『私にだって男の1人や2人くらいいるのよ』と言わんばかりにキスします。でもチワワちゃんは、あえて吉田くんのいない部屋で、他の男にキスをした。
これは恐らく”孤独の紛らわし”なんだろうなと。
見せつけでもエンターテイメントでもない。自分自身は最も愛する人以外にも必要とされているという確認作業に過ぎない。そうしないと、自分は誰にも愛されていないのではないか、世の中から必要としてくれる唯一の人間にも裏切られるのではないかという恐怖から逃げるために、チワワちゃんは他の男にキスしたんじゃないかな。
私自身も目の前で彼氏が他の女とキスしている姿を見たその日の夜、そういえば他の男に抱かれに行ったことがあり、後になってなんであんなことをしたんだろうと考えたときに、自分自身を守るために、自分を優位な立場だと思うために、こっそりと他の男を求めた記憶があります。その自分と重ね合わせてしまいました。
『また会おうね』という友達ほど、二度と会わない
確か劇中でキキが放った言葉。
キキの予言通り、あの時つるんでたメンバーは集まらなくなり、それぞれの人生を歩み始めます。
600万円を手にしたあの夏、もうこれ以上ないくらいに楽しい3日間を過ごしたメンバーは、『このメンバーでこれ以上楽しいことが起こらない』と確信したのではないでしょうか。
”もうちょっと一緒にいたい”と思うくらいがちょうどいい、とよく言いますが、このメンバーにとって”もうちょっと”がないくらい、あの夏が忘れがたい夏になった。
永遠にあの思い出を塗り消さないように、楽しい思い出を宝箱に封印するために、『また会おうね』という言葉を宝箱のカギにして、自分の心の中に閉まってしまう。
でもこの物語の最後は、チワワちゃんを葬るために最後にメンバーが最集合します。バスに乗って旅に出たあの夏のように。それはチワワちゃんというキラキラした存在を自分の頭の中から消すために。閉まって、苦しくならないために。あの夏の思い出を塗り替えるように、チワワちゃんの葬りのためだけではなく、自分たちのためにも最集合するように私には見えました。
誰もチワワちゃんを知らない
この物語は、チワワちゃんの死後、本当のチワワちゃんの姿を主人公の聞き取り調査を元に知っていくというストーリーです。
そして、いかに人間は人間を一面からしか見ていないのかを思い知らされるストーリー。
だけどそんなのはこの社会じゃ普通なんですよね。可愛いインスタグラマーの本当の私生活は私には知りえないし、友達の彼氏の前での一面は知らないし、親の会社での顔も知らない。
私たちは社会が存在する限り人間を全面から知ることは不可能です。
それでも私たちは知りたいと思い、向き合い続ける。それが情というものですよね。
この物語で、チワワちゃんを本当に愛していたのはミキなのではないでしょうか。
最後の最後までチワワちゃんを知ろうとした。たとえそれに終わりがなくても、全てを知ることが出来なくても。
そして最後に車窓からチワワちゃんの走る姿を思い浮かべ、自分が見ていたチワワちゃんを、自分が好きだったチワワちゃんの姿を見て、笑顔を浮かべる。
全てを知れなくても、目の前の姿を愛するだけで、私たちはいいのだとメッセージをくれている気がします。
おわり