インシビリティが日本の職場の問題になる可能性
◯◯ハラという言葉は日本の職場(とくにホワイトカラー)に浸透しているのではないだろうか
ハラスメント防止はいきいきと働くことができなくなることを救うという点で重要なことである
一方で「インシビリティ」というのが、今後の日本の職場で問題となっていくのではないかと思う
「ハラスメントは減ったんだけれども、何か職場の雰囲気がよくない」
「うまく言葉に表せないんだけど、何か職場の関係が”繕い”っぽく感じる」
という方はご一読いただきたい
インシビリティとは
こちらの記事にあるように「インシビリティ」とは悪意のない無礼・無作法な言動のことである
ハラスメントまでもいかないし、ハラスメントグレーゾーンでもない。かといって品格のある言動が見られ奨励される職場でもない
そんな職場が当てはまるようだ
インシビリティの悪影響
インシビリティはその行為を受けた社員らに悪影響が出る
上記の記事ではインシビリティに該当する行為を受けた人のうち、20%近くが退職したとあるし、別の文献では以下のようなことが書かれている
また、インシビリティ行為を受けた人は、同様にインシビリティ行為をする傾向にもあるため、職場の風土を悪化させる
「朱に交われば朱くなる」ということだろう
このようなインシビリティの要因として、上記の記事では「性格特性」「生育環境」「個人の価値観(先入観・偏った価値観)」の3つをあげているが、職場ということにフォーカスして掘り下げてみたい
インシビリティがなぜ起きるのか
ハラスメントに対する指導側の忌避感
ハラスメント防止が口やかましく言われたターゲットは上司が中心であったように思う。業務上優位な立場である上司は、すでにパワハラの3要件の1つを自動的に満たしており、あと2つ満たせばパワハラ認定されるという逆に弱い立場である。
そこに2つ目の「業務上必要かつ相当な範囲を超えているかどうか」が加わるのだが、インシビリティというのはこの2つ目に対して、微妙なラインにある
そもそも無礼や無作法というのは業務上絶対に必要であるかというと言い切れない部分がある、フランクな話し方でよいとか、忙しかったら無視するのは仕方がないとか、そのような風土がある文化であれば、そこに異を唱えるのは業務上不必要な言動とみなされるおそれがある
「ハラスメントで訴えられるのが怖くて指導もできない」
という言葉に象徴されるように、上司はハラスメントしてはいけないというミッションが課せられるとともに若手に対するビジネスマナー、仕事の進め方の指導の責任も負う、そしてそれらはハラスメントリスクのあるものであり、ダブルバインドの状態だ
だから悪意のない無礼・無作法を取り立てて指導するようにはならず、むしろ黙る方向になっているのではないだろうか
インシビリティが許された若手が中堅になって問題化
そのように指導がされなかった若手がやがて、後輩を受け入れて指導する立場になっていく
そうすると、以下の記事にあるように、ハラスメントリスクのある社員になっていく
インシビリティが悪であるということは教えられていないし、行為自体も悪意のあるものでないため、本人らは気付きようがない
そして、ちょっとした言動でハラスメント認定されるリスクを負っているのである
人材不足がインシビリティを助長
人材不足の中では「育てられる側=売り手市場」となるため、不要な人材を簡単には切り捨てるわけにはいかない。
そういった中で、誰を優先的に育てるのか
礼儀正しいが、仕事は主体的に進められないタイプ
仕事は主体的に進めるが、無礼なタイプ
後者が優先されるのではないか。礼儀は金にならない
かの渋沢栄一は「士魂商才」といい、二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」という思想を残した
言い過ぎかもしれないが、道徳なき経済が台頭しはじめているのではないかと思う
インシビリティに歯止めをかけるには
インシビリティの概念に気づく
冒頭に示した通り、インシビリティは直接的な被害はないものの、社員や職場に悪影響を与える。
まずは無礼・無作法な言動が企業価値を下げているということに気づくということであろう
ちょっと嫌だなと思っても我慢できる程度であるから、見過ごそうと思うと、知らぬ間に周囲の社員のエンゲージメントが下がっていく、そういったメカニズムであるということを理解することだ
ここで注意すべきは、ハラスメントと同様のやり方ではインシビリティを個別に収拾し、影響を見ることが難しいという特性を踏まえるべきだということだ
ハラスメントのように事実に基づいて、精神的・身体的に被害を受けたのであれば、その被害の詳細は調査することができるし、その因果関係が明確にされがちである
ところがインシビリティについては、例え被害が発生したとしても、その詳細を調査することが極めて困難である
例えば「職場の雰囲気が悪い」という理由で退職に至った場合、その理由を尋ねたとき、ある人は「具体的に何とはいえない」と回答したり、またある人は「具体的には〇〇と、□□と、△△と…」という回答をするだろう
前者の場合は詳細がわからない、後者の場合、1つ1つのことは取り立てて気にする内容でない、少し我慢すれば勤務に影響を与えるものでない、と判断されがちだからだ
だから、ビジネス上の意思決定に影響を与えにくい
したがって、別の切り口で考えるべきだ
例えばインシビリティの1つである「質問や投げかけに対して、返答をしない」というやらない行為(不作為)が発生したとすると、これに返答を促すためのリマインドの手間が発生する、これはコストである
また「特定の人に対して無愛想な振る舞いをする」ことが発生すれば、その相手の相談に誰かが乗ることになる、これもコストである
つまり、インシビリティによって発生する被害ではなく、それを表面化させないためのリカバリーコストに着目して、事例を収集すると見える化することができる
心理的安全性の誤解に気づく
こちらの記事にある通りだが、リーダー自体にも心理的安全性が担保されることが重要である。若手なら何を言ってもいい、リーダーはハラスメントリスクのある言動をするな、というのはダブルスタンダードである
基本的なビジネスマナーに立ち返る
ビジネスマナーの根本は何かというと「相手を思いやる」ことである。だけれども、相手の立場に立つことを自らのものさしで行うのは誤解が生じるもとである
だから、ビジネスマナーは目に見える「動作」として言葉遣いや振る舞いについて、より正しく見えるものを定義している
悪意なく、表面に出れば無礼だと思われる考え方であっても、現れなければインシビリティにはならない
だから、マインドチェンジを速やかにしなければならないということはなく、目に見える部分をまずは変えていくべきである
基本的なビジネスマナーは業務上必要と思われるため、指導におけるハラスメントリスクも低い
「凡事徹底」、まずはここに立ち返るべきではないだろうか
インシビリティを放置して意味のある何かを残せるか
とはいえ、ここに経営資源を最大限投入できるわけではないし、世の中のトップランナーがすべてシビリティ(礼儀正しい)なわけでもない
だとすれば、インシビリティであることでマイナス面があったとして、それを超える人間性のプラス面で何を残せるかということを定義づけることだと思う
例えば芸人のサンドウイッチマンのコントは「ちょっと何言ってるかわからない」なんて失礼な発言があり、それをツッコむというやりとりが笑いを誘っている。にしても、彼らは高い好感度を保っており、それはそのような表舞台というよりかは普段の言動や、ふるさとに対する思いから出る行動などが評価されているように思う
同じく芸人の江頭2:50も、世間的には好感度は高いとはいえないが、代々木アニメーション学院での入学式のスピーチでは感動を誘った
彼らは表舞台ではシビリティといえる存在でないが、そこ以外で輝く価値があるように思う。表面的な言動ではない部分でシビリティを思わせている
これは使い分けができているということだ
素人でここに達するのは難しいだろう
インシビリティが許されるという油断は禁物だ
冗談で言ったつもりでも、相手はそう受け取らないこともある
だからこそ、適切な使い分けができないのであれば、まずは礼儀正しい言動を心がけるべきではないだろうか
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