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神話みたいなDUNKの復活とNIKE SBの原点。

NIKE SB20周年の年に、神話みたいなDUNKがよみがえる。

この世で最もレアなスニーカーとして有名なeBayとコラボレーションしたDUNKは、2足しか作られなかった。一足はバラバラに裁断された。もう一足は、チャリティオークションで落札され、売上は、ポートランドのスケートパークに寄付された。これまで公にされていなかったけど、オークションで最高入札者となったのは、NIKE SBの生みの親、サンディ・ボデッカーだった。

NIKE SBは、今では、スケートボードシューズのトップブランドだけど、これまでに2回も参入に失敗している。その失敗を、自分もリアルタイムで知っているから、NIKE SBが今のポジションを築けていることが、本当にすごいことだと思っている。

スケーターたちは、大企業の参入を拒否し続けてきた。それは、スケーターが排他的というよりも、企業側があまりにもスケーターの気持ちや性質を知らなかったからだと思うのだけど、サンディ・ボデッカーは、違っていた。NIKE内でのスケーターの発言権を獲得したり、チームやシューズのあり方を一からデザインした。

NIKE SBがスタートした当初のライダーは、リース・フォーブス、ジーノ・イアヌッチ、ダニー・スパ、リチャード・マルダー。俺たちスケーターからすると、「えらい渋いの連れてきたな。でも、めちゃくちゃいい!」という人選だった。これは完全に想像だけど、NIKEのマーケティング的には、「もっとポップでナウいスケーターのほうが良いんじゃない?」という不安があったんじゃないかな。だけど、この人選がスケーター的にドンピシャだったから、今のNIKE SBの成功があると思う。初期のNIKE SBには、カリフォルニアのイケイケの雰囲気じゃなくて、東海岸のディープなストリートの感じがあって、それが玄人スケーターたちを納得させ、そのあとのチームの拡大につながっていったと思う。

発売するシューズもこれまでとは違っていた。NIKEが売りたいものをスケーターに履かせるのではなく、スケーターの感性を優先した。ダンク、ブレーザー、GTSなど、スポーツ用品店でワゴンセールされているシューズの良さをスケーターはすでに知っていたから、それらをスケートボード仕様にアップデートしていくやり方で、スケーターからの支持を獲得していった。

単にNIKEのスケートボードラインというものではなく、NIKE SBという独立したブランドを確立していくこと、スケートボードで世界を変えることをビジョンにしていて、NIKEの中では、とても小さいセクションだけど、最も熱量が大きいチームがNIKE SBだと聞いた。そして、東京オリンピックでは、スケートボードの価値観を世界中の人に伝え、本当に少し世界を変えてしまった。

これらすべての原点がサンディ・ボデッカーだった。

お店をやっていてスケーターとのコミュニケーションを難しいと感じることがある。ひとクセどころかクセしかなさそうな、アメリカのトップスケーターたちから、サンディ・ボデッカーは、どうやって支持を得ていったのか。聞いてみたいけど、それはかなわない。彼は、2018年にこの世を去ってしまったのだ。

NIKE SBの20周年を祝うと同時に、サンディ・ボデッカーのNIKE SBとスケートボードコミュニテイへの貢献を称える意味も込められた2022年最後のDUNKは、12月17日発売。


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