死の受容の難しさ
にいがた学さんのブログです。医者の家計で育ち、子宮頸がんワクチンを接種。その副反応でさえ、御両親は認めないとのこと。そして、まだ小さな幼子がいる日々の苦悩に感慨深い。私はこの文を保存し、公開したくなりました。
松藤代表のブログを拝見した。
https://gamp.ameblo.jp/3fujiko/entry-12531091623.html?__twitter_impression=true
大変身に積まされる話で、心が痛い。
うちもまさかの両親が、私の薬害を認めていない。
これを書くとどうせ奴らが薬害ではない等とネタにするのが目に見えていたので、今までブログに書かなかったが、あんな下賤な輩のせいで、有用な情報が社会に伝わらないのも良くないと思い、書くことにした。
勿論、私の薬害は、厚労省調査班も認定し、複数の医師が診断もしているので、親がどう思おうと揺らぐものではない。
が、同居している実の両親が、しかも医療を生業としているのに薬害を認めていないこの状況は、かなり厳しい。
例えば、「何だかんだいっても親が診てくれるだろう」と、医師同士の意見対立に疲れた医師が、私を薬害に対しては診療拒否した事例があるが、親は診ないのだから、単なる診療拒否で終わっている。
勿論ヘルシンキ宣言違反であり、医師法違反でもあるが、罰則はないのでどうにもならない。
また、実家が医師ならお金はあるだろう、とでも思うのか、容赦ない金銭を要求されることがあるが、親は認めていないのだから、主人一人の稼ぎで私と娘の健康被害にかかる費用を、生活費にプラスして支えており、地獄である。
両親が私の薬害を認めない最大の原因は村中璃子の嘘と、厚労省の控えめに言って不作為だ。
高齢者はテレビや新聞を主軸とした情報の中で生活しているので、村中のような嘘に弱い。
かといって、インターネットを今から始めろというのも酷なので、半ば諦めている。
柔軟な発想を、高齢だとしにくいだうというのもある。
認知症の初期症状は頑固さだったりもするし。
私だけが病んでいて、辛く苦しいのではない。
人は病気を選べないし、老いもするのだ。
また、厚労省の研究班が面談はしても、診察をしなかったということが、母の薬害否認に拍車をかけている。
班長だって診察をしたかったろうが、控えめに言って厚労省が不作為で診察の機会を与えていないのだから、診察もしないで何がわかるんだ、と言われても私にはどうしようもない。
ただ、私は、両親が私の薬害を認めない理由は、他にもあるとみている。
私が死ぬことを予感するのが怖いのだ。
私だけではない。かわいい孫にさえ、その害は及んでおり、仮に死んだとしても不思議はないだなんてことは、考えるのも堪え難いのだろう。
たまに、矛盾した両親の反応に接することがあり、それを痛感する。
ましてや父は、体調の悪い私に頼まれて、3回目接種をした医師でもある。
とても事態を正視出来ないのだろう。
多分、こんなどうしようもない私でも、両親からすれば、かけがえのない、自慢の、可愛い娘だったのだ。
孫となれば、もう、天使のようなのだ。
高齢者の両親に、現実を突きつけることは、余りにも酷ではないかと思う日もある。
幸せなまま死なせてあげたいと思う日もある。
でも、同居の家族なので、私に異変があった時に、適切な対処をしてくれないと命を落としかねないから、とても困っている。
現に産後、実家へ戻ってきてから、何度も危険な時があった。
あたったようになり、死にかけたのが1回、頭部の不随意運動が1回、力が入らず、急に立ち上がれなくなったのは何回もある。子宮頸がんの手術もあったし、大量出血で再入院もしている。
今朝も、心臓が痛くて寝に二階へ行こうとしたら、1歳の娘が泣きながら追いかけてきて、母は私にそれを振り切って二階へ行く練習をさせようとしていた。
何故なら単なる過労だと思っているから。
違うのだ。
私は死にかけている。
娘を振り切る元気もない。
ましてや「ママ!ママ!」と泣かれてもいる。
無茶振りをされるのはとても辛い。
この子を残して死んでしまったら…と思うと泣けてくる。
私だって自分の死は受け入れ難い。
もしかしたら何とか助かるかもしれない。
でも、子宮頸がんの手術をした産婦人科医は、村中や櫻木範明を信じており、私をおかしい患者だと思っているから、遠回しに診療拒否に近いことしてくる。
LPAがどんどん産生されて、再発の危険性が高いのに、しかも進行は速いのに、半年も検診もせずに放置する気なのだ。
オーストラリアでは死亡例もあるのに。
こんな状況で、毎日執拗な推進派の攻撃も受けているのだから、生き残れる気がしない。
せめて、私が死んだら、このページを両親に読んでもらいたい。
いっぱい喧嘩もしたけれど、大好きだし感謝していると。
ここまでして体調の悪い中、発言し続けられたのは、娘を守りたいのと、両親の仕事ぶりや生き方を尊敬していればこそだったのだ、と。
私は実の親だから、憎みたくもないし、憎める余裕もないのだけれど、憎んで心が救われる親御さんは、憎んででも子供を守った方がいいと思う。
人はそんなに聖人君子のようには生きられないから。
私は状況的にそれが出来ないので、不要な消耗をしているし、娘のためにも長生きしたいのに、自信がなくて申し訳ないと思う。