![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171848131/rectangle_large_type_2_9404e0790dea8c2667206a202b33b9d2.jpg?width=1200)
キュウソネコカミONEMAN LIVE in Osaka Sayama City -ヨコタシンノスケ地元凱旋 オラはにんきもの- の話
あれほどテンパるなと自分に言い聞かせたのに、まったく無理だった。挙動不審のままオロオロと着席すると、こういう時ほど発症する腹痛、開演2分前。隣にいた友達は、2分もあれば戻ってこれるよ!やら、はじまれば治まるよ!やらケラケラ言うけど、ぜんぜんそうは思えない。こだわってるであろうSEを聴き逃したら、一生後悔する。思えば思うほど心拍数は上がり、冷や汗がにじむ。今の私なら言えるんだけどな、まあ一旦落ち着こうかって。
緞帳が上がり、いきなりSEの衝撃に面食らう。しかしながら、バチーンとぶん殴られたような、ただただ圧倒された記憶しかなく、なんと1音も覚えていない。冒頭から出鼻をくじいたことで、改めて思い出したくとも何も浮かばない。会場にカメラがあった覚えもない。頼るべきは自分の記憶しかないのに、逆立ちしたってなんも出てこない。自己嫌悪がすぎて、あれからずっと頭を抱えていた。
今まで聴いたどの『BACK TO THE NATURE』よりも鮮烈だった、1曲目としての『BACK TO THE NATURE』。SEの記憶が吹き飛んでしまったのは、言い訳じゃなくこれのせい、ってことにしたい。語弊を恐れずに云うなら、バカかっこいい。バッッカかっこいい。ライブでの完成度の高さ、いや違うな、こういうの「完成」って言わない気がする。生きてる?もっとでかくなる?のびしろ?妥当な言い回しが思いつかないけど、音源以上の存在感をはらんだこの曲は、やはりライブでこそ本領を発揮する。うっはなにこれかっこいいんですけど??出会って3ヶ月くらいしか経ってないってほんと??ねえもうこれ代表曲でいいじゃん!くらい、私は大好き。なんなら、ヨコタさん本体より大好き。なんかごめんだけど。。
少しステージを見おろすような、全体を把握できる席だったのも功を奏した。ホールならではの良さを全身で感じ取れて、私にとってはこの席でしか得られない特等席になった。
ところで、私が勝手にえがくヨコタさん像を、今回のセトリで表すなら『GALAXY』『ウツロウココロ』『シュレディンガー』『また明日』。逆にその範疇になかったのが、『邪邪邪VSジャスティス』『スベテヨシゼンカナヤバジュモン』。確かに邪邪邪のシンセのインパクトは甚だしいが、私にはベースラインの印象が強い。スベヨシにもヨコタさんの見せ場はあるけど、私の中にある《THIS IS ヨコタシンノスケ》からは少し離れてる気がしてた。このセットリストの並びや選曲、アレンジついて、いつか話を聞ける日はくるのだろうか・・??
とか思ってたら早々にきた。ぼかあ幸せだよ!!
そしてまた私はなーんもわかってなかった。的外れな固定概念にびっくりだ。そっか・・スベヨシ好きなんだ!まって話合うじゃん!てかセッション大好き芸人なのに、この辺りの記憶も飛んでてだいぶ鬱。
さっき「緞帳が上がり、いきなりSEの衝撃に面食らう」と書いたけど、この順番で合ってんのかな。記憶違いの可能性はあれど、緞帳が上がるタイミングが印象として残ってるのは確か。
面食らったり、バッッカかっこいいとしか書けなかった部分にも、れっきとした根拠が綿密にちりばめられていた。SEのアレンジに関しては、偶然でも気になって聴いてみたこともあり、そ、それだったんか・・と唖然。あれとそれとが結びつくほどの想像力などあるわけがないので、目からうろこ。
『邪邪邪VSジャスティス』の意図が明確になっただけでなく、流れを意識付けない(我々側からすれば、意識しにくい)という、まったく考えが及ばないギミックにも驚いた。ここぞとばかりにワッショイに力を込めた『推しのいる生活』。『ビビった』が序盤のこの位置にくるということは・・普段とは違うであろう唐突なサプライズに備え、腹をくくった。
『GALAXY』の美しさは、視覚的にも印象的だった。多重露光なのか、どう撮ればああなるんだろう?後日アップされたあの写真が美しいったらない。さらにその背景には、我々には知り得ないドラマまで存在した。こういった経緯や心情って、表現のひとつとして成立するものなんだな。演者だけではなく、それに携わる人の人生が投影されるのがライブ、すなわちLIVE(動詞)→ LIFE(名詞)のまさにそれ。その場にいた我々もまた、その一部になれたのだとしたら、身に余る光栄。
そのまま懐古的に終わるんかな…と思ったけれど、いいや違うな?時は確かに2023年。コロナ禍だけじゃない、様々なことを乗り越えてきたキュウソがそこにいた。それを確信したのがウツロウココロ~春になっても~サクランボウイ。飛び道具なし、音楽で真っ向勝負する姿に見えた。
— 2K (@hhtm_2k) February 27, 2023
前にこんなことを書いたけど、今回の選曲には願ってもないストリングスアレンジが加わり、個人的にはたまらない時間になった。心の準備が間に合わなくてドギマギした『ウツロウココロ』。ドギマギからのドキドキという感覚。いつもラフな普段着の子が、思いも寄らずよそ行きを着てきて、急に気になり始めるような、あの感じに近い。今回のアレンジでまた別の表情を見せてくれたのは『ひと言』。バランス感覚が試される、引き算に足し算をするかのような作業は、素人にはとても想像がつかないけれど、絶妙な匙加減がやたらと沁みて、もっともっと大好きになった。一方で『シュレディンガー』は、原曲を貫く直球型だったような気もする。そもそも大好きなのもあるけど、その芯がより際立ち、あの曲が持つ本質的な力強さに一層打たれた。
こうなると『春になっても』だったら、どんなだったろう?と思うし『Noise and Milk』や『It's normal song』を、今リアレンジしたらどうなるんだろう?等々、思考はあらぬ方向に転じる。赤盤のノンジャンルさって、今更だけどえげつない。やっぱり頭角ってちゃんと作品に現れてるんだな。また、そもそもこのストリングスアレンジの発端となったカネヨリマサルの『シャッターチャンス』を聴くと、やはり絶妙なバランスによって、せつなさが加速する。あの日に感じた『ひと言』の印象に近い気がして、自分の記憶だけでは補填できない情緒をサポートしてもらってる。
この時、少しだけ頭で考えてる時間があった。
私はヨコタさんが大好きだけど、その感情の一切をとっぱらい、冷静に受け取ったところで、やっぱり大好きなんだよなって。回文みたいなことを書くけど、大好きだから大好きと言ってるんじゃない感覚。仮に知らなかったとしても、これには確実に惹かれただろうなと思った。もう知ってしまっているから、この説には信ぴょう性がないけれど、これが「自分の大好きをゆうに超えてきた」の正体。
ただでさえ期待値のハードルが高い中で、しっかりそれを超えてくる。人の心をつかみ、揺り動かすって並大抵のことじゃないのにさ。そこに懸ける尽力は、大抵あとになって知ることになる。我々を楽しませようとするその心意気には、いつだって心を打たれる。
つくづく、天から授かった才能に甘んじない人だなと思う。私が「天才」という言葉を使わないのは、そんなリスペクトを込めて。持ち合わせた能力を最大限に生かし、果敢に挑み、遺憾なく発揮しようとする。どれだけの時間を費やしたんだろう。惜しみなく身を尽くすからこそ、思った通りにいかず、悔やむのも当然のこと。そんなところも全部ひっくるめて、雲の上の存在ではあるが、血が通う人間としてかっこいいし、大好きなんだ。
大言壮語ってのは、身の丈に合ってないことを言うんじゃないかな。ヨコタさんだからできたんだよね。ヨコタさんじゃなきゃできなかったよね。気合いでどうにかならんだろ、こんな異常事態。キモオタの戯言で片付けてくれても構わんが、《にんきもの》どころか《生きるダイバーシティ》だもん、客観的にみても。
自分勝手に想定する感情的な部分を全面に出すと、本来の良さがうやむやになって、感性が正しく作用しなくなりそうで怖かった。偏った思想ではなく、その場で受け取ったものをできるだけまっすぐに、ありのまま吸収したかった。そう思ってあの場にいた。だからとても嬉しかった。
そんなんだから、『優勝』からの『KMTR645』がコラボ繋がりだと気づく余裕はなく、『ギリ昭和』じゃない時に登場するショルキーの希少さに、キャッキャ喜んだ。かと思えば、『The band』からの『一喜一憂』で感情のコントロールを失う。言わずもがな、「明るめな要素が多いエモ曲」は本当にダメなんだ。1曲でも充分ダメなんだから、よりによって並べるとか、先生それは反則です。ここで泣いたら負けだし、誰にも気づかれないよう、下腹部に力を入れ、両足を踏ん張った。『やってみようぜヒーロー』も同義ですから、どうかご留意くださいませ。
この感情の起伏に、さらなるエモをぶち込んできたのが、大好きな『また明日』。ましてや普段とまったく違う装いで登場し、一瞬なにが起こったか分からないという願ってもない驚き。あ…!と気づいたときの胸の高鳴り、そしてそのインスピレーションとなった日を思い出せる幸いさ。あの日のI'sは、私の中ではロックというより、あまりにもパンクだった。何もかもを振り切った先にしかない、突っ走る潔さとあっけなく散る儚さ。やはり文字では表現しがたいけれど、今でも思い出せるあのピリっとした疾走感が、思わぬところで役に立ってしまった。何より、この曲がこの先への展望をふまえていることが、本当に本当に嬉しくって、どうもこうもあるか!!大好きだってば!!!
良い意味でIQが低い曲、だったかな。あの話、とても好きだった。なんでだろ、すごくしっくりきた。これもまた感覚的なものなんだろうけど、なぜ自分がそう感じたのか、これからゆっくり考えてみようと思う。
『ハッピーポンコツ』のヨコタさんのMCは、今までどれだけの人に寄り添い、支えてきたんだろう。ご多分にもれず、私もそのひとりだ。それと同じくらい、「ありがと!!」で、シンセ越しに頭を下げるヨコタさんの笑顔が大好きなんだ。だから私もめいいっぱいの「ありがと!!」を込めて、一緒に頭を下げる。今日もあなたのおかげで楽しい。いつもありがとう。そんな気持ちでパンパンだというのに、エンドSEのギリギリchopで余韻をぶった切られる新陳代謝。満喫と放心で力尽き、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
私は、0から1を生み出すことができない。ただ1があれば、そこから先は自分の足で歩くことができる。ヨコタさんの背中を眺めていると、やたらとこの現象が起こる。1があったから出会えた人、起こったこと、何度も訪れたくなる場所。ヨコタさんをきっかけに、私は2歩、3歩と歩みを進める。一期一会のつもりで訪れた大阪狭山市もまた、約束の場所になった。ぬくもりのあるご縁に、感謝するばかり。
セトリとかアレンジとかグッズとか聖地巡礼とか、私が想定していた楽しみのすべてが叶ってしまった。その上で、ヨコタさんのルーツ、出来るようになったこと、これからしたいことまで体感できてしまった。ライブ中、何度も何度も終わってほしくないと思った。普段であれば終わった直後から、すぐにでも次が観たいと思うのに、この日ばかりは上書きしたくなかった。燃え尽き症候群さながら余韻の底に深く沈んだ。これはこれで幸せで、必要な時間。
にしても、足を運べるのって当たり前じゃないな。いつだって覚悟はしてるけど、無事に当日を迎えられたこと自体、奇跡なのかもしれない。何ごともない普通の日々に、いちいち感謝しよう。
小綺麗にまとめてみたものの、ふと頭に浮かぶのは、ギャン弾きのKAZオカザワ氏+背後のアンプ。てか、ここはさ、稲葉さんに扮したヨコタさんの勇姿(でかめのハート)であれよ私・・まあある意味、正しいんだろうけど!伝統芸能の心構えをしてた者としては、サギグラファーの裏切りにまんまとやられた。もちろん良い意味で。追い打ちのように登場した筋肉隆々なTAKはいから氏も同罪です。かき消された私の恋心!お願い戻ってきて!ゲッラゲラ笑ってた記憶しかないもんですからね・・絶望です・・
散り散りになった記憶をたぐり寄せることができたのは、ヨコタさんのコラムのおかげ。後出しじゃんけんになりたくなくて、ヨコタさんより先に書き上げる!のが自分のこだわりであり、目標だったけど、今回ばかりは不可能でした。やっぱり0から1です。いつもありがとうございます。
大好きしかなかった
ずっと幸せだった
大好きでよかった
すぐに書けたのはこれだけだったけど
どんだけ書いたところで、
結局のところ、これじゃんね
また大切な宝物が増えた
いつでもあの日を思い出して笑えるように
忘れない 恋心 いつまでも 恋心
サブスクだと出てこんけど本編ラストは「また明日」🥹エンドSEがアルバムバージョンなのはヨコタさんを無視した私のエゴです。ごめん! https://t.co/xRAu2Jaf8e
— 2K (@hhtm_2k) January 25, 2025