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私過ぎず私でいられた2割のこと

大好きなヨコタさんのことをまとめるnoteに、突然変異のような無関係な話を書いたのは、あの日の野音で受け取ったこと、なぜそう感じたのか対峙することで、前に進めるような気がしたから。ずっと押し殺してた感情は、まぎれもなく大好きなバンドに対して生まれたもので、いっそのこと、有耶無耶にしても良かったのかもしれない。話は半年ほど前に遡る。

2023.8.6 ROCK IN JAPAN

俺たちは間違ってない。
そう言ったような記憶がある、ヨコタさんの言葉。

どう捉えるかは人それぞれ。
少なくとも私は、感極まって泣くことはなかった。
どちらかと言えば真逆だった。

大好きな人の言葉に、初めて違和感を覚えた。この初めての感覚に、とても戸惑った。大好きなのに?大好きだから?できることなら、この行き過ぎた感情をなかったことにしたかった。でも自分に嘘はつけない。

いつもの通り、ただ大好きなだけ。ステージの大きさも、順番も、持ち時間も関係ない。いつもの通り、ただ観たいという気持ちだけで、急な豪雨なんて関係なく、ずぶ濡れのままHILLSIDE STAGEへ走ったんだ。間違ってない?なにが?間違ってるとしたらなにが?わからない。自分には何がなんだか、さっぱり見当がつかない。混乱した。一番近い感情は「悔しい」だった。なにがどうして悔しかったのか、今もよくわからないけれど、すごく悔しかった。

ヨコタさんにとっての正解は、自分には察しがつかない。でも、私がキュウソネコカミを大好きなことに、なんら変わりはない。先述の気持ちを殺して殺して、どうにかひねり出せた言葉がこれだった。贔屓目とか良くみられたいとか、そういうんじゃない。自分の中に突如として現れたモヤモヤを全部とっぱらったところに、大黒柱みたいに存在していたのが、この気持ちだった。

事あるごとに、私はこの歌詞に揺さぶられることになる。今思えば、この頃から、我々には知り得ない、やんごとなき事情があったのかもしれない。それを知る由もなければ、憶測にすぎない。極論、すべてを知る必要もない。でも、そう考えることで、私の中の辻褄は合った。

2023.9.14

この日の詳細は割愛する。

苦し紛れに出た言葉だった。これしか言えなかった。この言葉に嘘はない。でも、苦しさは紛れなかった。本当はとても苦しかった。

本心ほど誰にも、特にヨコタさんには伝わってほしくなかった。不穏な空気が漂うSNS。巻き込まれまいと避けても、大好きであればあるほど募る不安。事実関係は分からない。憶測で不安になるのもよくない。というか、自分のことなど、どうでもいい。ヨコタさんは、キュウソの皆さんは、スタッフの皆さんは大丈夫だろうか。自分ごときがそんな心配をしたところで、何にもならない。我々が心配したら、逆に心配させてしまうに決まってる。この感じ、2020年頃に近い。あの時も乗り越えたんだ。黙って、平常心あるのみ。

2023.10.14 JUNE ROCK FESTIVAL

楽しみにしていたJUNE ROCKに、キュウソネコカミの出演が決まった。しかも、LEFT STAGEのタイムテーブルはキュウソネコカミからのWienners。こんなに嬉しいことはない。過剰に期待が膨らんだ。

声を出せなくても、全力であろうとするヨコタさんが目の前にいた。私は心配なんかしていません。ヨコタさんは大丈夫。こういった類の強がりは、とうに限界を越えていた。平然とした態度や、気のない素振りを装うことは、もうできなかった。一分一秒を争うような、重篤な状態でないことくらい、私の感覚が大袈裟なことくらい分かってるよ。それでも私は無理だったんだ。不安で不安で、押しつぶされそうだった。

『私飽きぬ私』を歌うのヨコタさんの表情が、ほんの少しだけ、悔しそうに見えた。ほんの一瞬。見間違いかもしれない。その一瞬の表情が、私をどん底に突き落とした。

詳しく話したところで、何ひとつ理解できない人もいれば、具体的に話さずとも、こうして察してくれる人もいる。この日、そっと支えてくれた人たちへの感謝は尽きない。

ありのままの感情をぶつけることで、受け取る側の気持ちも、一緒に代弁してくれてるのかも。

ロッキンで憶測した「かも」が、確信に変わった。

キュウソの時間が終わってだいぶ経ってから、どうにか発せたヨコタさんへのリプライ。間違って伝わらないように、でもこの時の抑揚は失わないように、何度も何度も言葉を選び直した。それでもちゃんと伝えられたかどうか、自信はない。

ずっと押し殺してた感情が噴き出したのは、どん底に転げ落ちた衝撃で、踏み続けてたブレーキがゆるんだんだろう。そして、こういう時にこそ『私飽きぬ私』が本来の威力を発揮することも、身をもって痛感した。どんな尺度であれ、真に迷い、苦しい時、味方のように力強く、寄り添ってくれた。

前向きを装って降りかかる、一見「良かれ」と思われる言葉。確かに本来の意味は「良かれ」なのかもしれないし、それを発したくなる気持ちも分からんでもないが、大抵こちらの都合は考慮されていない。

アルバム発売当初にふと思い、なんとなく書き残したことが、まるで予言みたいで少し怖かった。きっとこれからも、事あるごとに向き合い、お世話になるんだろう。そんな風に思いはじめた年の初め、Welcome to 西宮2024で、思いもよらない言葉を、ヨコタさんから受け取ることになる。

余談だが、この文章を書き始めたのは昨年の10月末。思いはあれど葛藤が強く、なかなか文字に落とし込めなかった。

せめて2割くらいは
自分のことだけを優先して

ひとり勝手に壁にぶち当たり、なかなか打破できずにいたのに、何重にもこんがらがった思考がスルスルとほどけた。やっぱりヨコタさんには嘘をつけない。感動した、というより、めちゃくちゃ驚いた。ここまで自分にド真ん中な言葉、予想もしてなかったから。

そうでなくても、大好きな人の影響力は大きい。今までだって、数え切れないほどの力をもらった。その上で、更にこんな大切な言葉を受け取れるなんてさ。それが大好きな人、その張本人だなんてさ、どんだけ幸せだよ?って話だ。にしても、ちょっと都合が良すぎるのでは?調子に乗らんよう気を引き締めなければ…

あの時のリプライは、自分が表現できる精一杯の気持ちを140文字に込めた。どんな時もブレることなく大好きでいられるのは、どんな時も守り抜いてくれる、ヨコタさんのおかげです。いつも本当にありがとう。

自分が自分でいられるように。私過ぎず私であるために。後回しにしがちな2割を、恐れず、時に愛おしむこと。気合いで自分を塗り固めそうになったら思い出そう。よくヨコタさんが言ってくれる「大丈夫だよ」って言葉と、大好きな笑顔と一緒に。

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