積読の消化#5-対話の技法-
「対話の技法」
対話の対は二つで一つ。対であることが対話の前提。一人では成り立たない。
対話とは二人の間で、主題をめぐって交わ言論である。
対話は特殊な営み
特定の相手で行う。不特定、匿名多数ではない。
相互のやり取りがある。一方的でない。
(言葉が)交わすこと。伝えることではない。
ひとつの主題を共有する。雑談ではない。
言論行為である。非言語コミュニケーションではない。
「私はこのことを知らない。だからあなたと一緒に議論したいのだ」という姿勢が対話には何より大事。対話は相手に教えることでも、自分が得ることでもない。対話する人は何も失わない。真理に向けて言葉を交わす。
対話は特定の目的を達成するための手段ではない。答えの出せない問に向き合うこと、その問いをめぐって対話し続けることに意義を見出す。
根本的な問いを問い続ける忍耐力。答えができないことにいら立つことなく、対話を遂行する困難に絶望することなく、問題を一つずつ一緒に辛抱強くきちんと考えんながら問題を理解していくこと。
政治的決着をつけるために多様な異論を封じる音は、言論の自由という人間の基本を損ねる。
言葉を豊かに持っていない人は、語る本人が本当は何を考えているかを明瞭に把握できない、それを表現できないと自分でもどかしくなる。そして暴力的になる。
対話を行うにあたり、相手と一緒に考えたい、理解してもらいたい、相手から学びたいといった意図を動機がある
敵は、結論を強要したり対話を抑圧したりする力よりもむしろ、批判を避けて安逸に心地よくいきたいという心にいます。
対話は強制されるものではなく、自分で選んで行う。自分で判断する。
自分が変わってしまうことへの恐れ、今の自分を守りたい、これまで積み上げてきたものを保持したいというのは、自然な感情ですが、対話はその基盤を揺るがし、場合にひょっては覆してしまいかねない哲学的行為。それを恐れて、自分い閉じこもること、対話を拒否すること、受け流すことが容易に見える。それゆえ対話には勇気が必要。
自由において真理に向けて言葉をかわすことは、おそらくとても快い営み。
今回は1時間くらいで斜め読みした。対話は通じて、互いの認知が補完されることで立ち上がってくる何かに期待する行為。なのかな、、、対話難しい。
2つシグナルを手に入れることができたと思う。
ひとつは、言葉が乱暴になったら、それは語彙力が足りんというもの。これは、痛い言葉だが納得だ。ふたつは、恐れを感じるときには、そこが対話のしどころという点。
よき本であった。
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