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【芸術】感動書きっ散らしノート:5「広隆寺の不空羂索観音」

お元気ですか。
僕は元気です。

今日は「あの有名な弥勒菩薩像が見たい」という母の希望で、広隆寺へ行ってきた。

当初はただの付き添いくらいの気持ちだったが、拝観後は印象が180度変わり、帰る頃には「また来たい」とまで思うようになっていた。

というのも『不空羂索観音立像』にめちゃくちゃ衝撃を受けたためだ。

『不空羂索観音立像』は、あのアルカイックスマイルで有名な『弥勒菩薩半跏像』の向かい側に鎮座している。

弥勒菩薩半跏像(Wikiより)
木造不空羂索観音立像(Wikiより)

広隆寺に拝観に行けばわかるが、314㎝もあるので圧倒的にデカい。

有名な『弥勒菩薩半跏像』と打って変わって、ほとんど光に照らされていないにも関わらず、圧倒的な存在感を放っている。

そんな『不空羂索観音立像』に感動を覚えた理由を一言でいうと、たぶん「めちゃくちゃリアルなアンリアルだったから」なのだと思う。

まず、肉付き、肌の質感、手相、指の形など、本当に木彫りなのかと思うほどにディテールが細かい。

ここまでくると、もはや「実はもともと人なんです」と言われた方が納得できるレベルで、作者のリアリティにかける狂気すら感じた。

しかし、その一方で、現実ではあり得ないアンリアルな要素がある。
それが、腕が8本ある、という点だ。

僕は最初、腕が8本あるという事実に、正直安堵した。

あまりに他のディテールが細かすぎるが故に「本当に存在していたのでは?」と不安を覚えていたからこそ、現実ではあり得ない要素を見つけてホッとしたのだ。

特定の宗教観に傾倒していない身からすると、 ”身長314㎝で、腕が8本ある存在” は、純粋に怖い。

所詮は空想を基にした木彫りの像なのだと、安心ができた。

心のざわめきがなかば落ち着いた頃、なんとはなしに像の後ろ側も気になって、覗き込んでみた。

今思うと、その行動の理由はおそらく、大きな木像にありがちな継ぎ目を見つけて、より “作り物感” という安心材料が欲しかったのかもしれない。

「背中から生えた8本の腕の付け根あたりに継ぎ目あるでしょ」

そう思いながら背後を覗きこんだ僕は、直後、浅はかな行動を心の底から後悔した。

そこには、継ぎ目など一切なかった。
なんなら、腕も背中から生えていなかった。

8本すべて、肩の付け根から、生えていた。
それも、本当に自然に、「あり得る」と思わせるほどに。

この時の僕の気持ちを言い表すのは難しいが、あえて言語化の努力をするとすれば、ただ純粋な「恐怖」が「畏怖」に変わった瞬間だったのだと思う。

まさか何気なく行った場所で、これほどの衝撃を受けるとは思わなかった。

このノートを書き留めるにあたり、ネット上でも画像をかなり探したが、広隆寺の『不空羂索観音立像』の鮮明な写真を見つけることは出来なかった。

だからこそ、僕は広隆寺にまた行きたい。
生まれて初めて感じたあの畏怖の感情は、おそらく広隆寺の本物の前でしか感じられないと思う。

最後に、広隆寺で見かけた「なんかいい感じの木」が2本ほどあったので、ノートにも残しておくことにする。

千手観音みたいな木
根が繋がっている双子の木

今日はこれくらいで。
引き続き、お元気で。

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