ささやかな主役たち
2021年5月15日(土)16日(日)の2日間。
渋谷のギャラリー大和田にて『巣鴨展~つなぎ、伝えて、通じ合う~』という展覧会が開催されました。
私はそちらに写真を5点出展させていただきました。5点につけたタイトルは『ささやかな主役たち』。
出展した写真に込めた思いを、ここでまとめようと思います。
展覧会中、写真に込めた思いを語るトークイベントを実施いたしました。この記事はトークイベントで話した内容を形に残し、より多くの人に知ってもらおうと書いたものです。
実際に話している様子は、instagramにてライブ配信しました。IGTVにデータが残っていますので、話している様子が見たいという方は↓リンクからお願いします✨
今のままだとinstagramのアカウントを持っている人しか見られないので、いずれ誰でも見られる形で共有いたします…!
ささやかな主役たち~サクラ~
①カメラを始めたきっかけ
記憶を思い起こすと、中学生の頃にはカメラや写真に興味をもっていました。
憧れるきっかけはいくつかありましたが、一番大きいのは、幼馴染の家が写真屋さんだったことだと今となっては思います。
小中学生時代、修学旅行や学校行事で写真を撮ってくれるカメラマンさんがいましたよね。私の場合は、そのカメラマンさんが幼馴染のお父さんだったのです。
他にも、読んでいた少女漫画にカメラマンや写真部が出てきたことなど、折に触れて無意識のうちに、漠然とした憧れが育っていったのでしょう。
高校3年生の2月。大学入試も無事に終え進路が決まった頃。高校3年間過ごした街を写真に残すため、カメラを買うことを決意しました。
当時はクレジットカードも持っておらず、札束を抱えいそいそと吉祥寺のヨドバシカメラへと出かけました。懐かしい。
カメラを手にして2か月後。大学時代のアルバイトに選んだのは「結婚式場のカメラマン」。
趣味もバイトもカメラカメラ。
その魅力に虜になるのに、時間はかからず、気がつけば「○○を撮りたい!」という熱意が、お出かけの動機になっていました。
ささやかな主役たち~菜の花~
②どんなことを考えて写真を撮っているのか
●撮っている時はただただ楽しい!
私はカメラが大好きです。
ファインダーを覗く瞬間も好きだし、ピントが合う音やシャッターを切る感触も大好き。
撮りたいイメージと近い写真が撮れた時には、思わず顔が綻びます。
持ち歩くだけで笑顔になれるものがあると、出かける楽しさが何倍にもなる。
元気がない時「よーしカメラ持って出かけよう」と決め、カメラを触っているうちに元気を取り戻す、なんてこともあります。
本当にただただ楽しいのです。
●表現の幅を広げるには?
自分が撮った写真を、周りの人が「いいね!」と評価してくれると、自分の感性を褒められたような気がして、嬉しくなります。
しかし、自分の撮り方や構図のクセが分かるにつれ、似たような写真しか撮れない行き詰まりを感じることもあります。
そんな時は
いつもはしない撮り方を試そう
いつもとは視点を変えてみよう
など、工夫をしてみる。
そうすることで、新たな表現の仕方が見つかると、自分の成長を感じられ、ドヤ顔を決め込みます。誰も見てないけど。
こんな風に、もっと表現の幅を広げたいな~と、いつもいつまでも模索しております。
●誰かの何かの「きっかけ」になる
撮影した写真を通じて、私が見ている世界・見てきた世界を、誰かに伝えることができる、そのことが私はこの上なく嬉しいです。
写真を目に留めてくださった人が、これはどこだろう/なんだろう、と興味をもつ‘きっかけ’を作ることができるのが写真の力の一つだと私は思っています。
文章だけではスルーされてしまうものも、そこに写真があることによって、目を引くことができる。ふと立ち止まってもらいやすくもなる。
写真が持ってるこの力を、私は活用していきたいです。
●もどかしさも…
写真を撮る行為って、世界を切り取る行為でもあると私は考えています。
いつものようにカメラを持ち歩き、切り取る世界に胸を弾ませていた時のこと。なにが呼び水になったのか分かりませんが、ふいにハッとさせられ、私は立ち止まりました。
その時に降りてきた考えはこれ。
なにかを写すということは、同時にそこに写さないものを選ぶ行為でもあるのではないか。
もしかしたら私は、自分が綺麗だと感じるものだけを切り取って、そうでないと感じるものを排除しているのではないか。
こう考えるようになってから、私は写真を撮るのが少しもどかしいです。好きなことには変わりないけど、葛藤もしながら被写体を選んでいます。
ささやかな主役たち~デイジー~
③私の夢~写真との関連~
ものすごーーーーーく遠回りしますが、最後きちんと写真と関連しますのであしからず…m(_ _)m
私の夢は、世界の平和に貢献することです。
物心ついた頃から、胸にひっかかかるのは「国際協力」や「世界平和」「紛争解決」といった言葉でした。そして「平和」や「幸せ」という言葉が大好きだった。今でもそれは変わらないです。
だから、私の軸は、ずっとそうなんだなと確信しています。私の行動動機はいつも「世界平和のため」
私も少しずつ大人になり、世界のことを調べるうちに、だんだんとこの世界に絶望していった時期がありました。引き金となったのは、2019年5月の出来事。
その頃の日本は、元号が改められたところで、平成を振り返るニュースや令和はこんな時代になればいいと望むニュースなどが、溢れかえっていました。
その中で私が目を止めたのがこのニュース。
私は平成9年に生まれました。
その私ですら、アメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争、エチオピアのソマリア侵攻、リビア内戦、ウクライナ東部紛争…
と、全て挙げればキリがないほど、記憶に刻まれている戦争がいくつもあります。それなのに…。
このニュースを見て私は、同じ時代を生きてきた人たちの多くが「平成は平和な時代だった」と答えていることに、衝撃を隠せませんでした。
ここで使われている「平和」という言葉は、どのような意味をもっているのか?
さらに、「戦争がなく」というのは、どの立場での、どの視点での話なのか。
調べて調べて、考えて考えて、自分もまだまだ知らないことがたくさんあるなと思い、さらに情報を集め、調べて調べて。
そうやって調べれば調べるほど、この世界に絶望していきました。涙が止まらない日々が続いた。
さらに。2019年夏『存在のない子供たち』という映画を見ました。
レバノン生まれの少年が主人公の物語です。
「両親を告訴する。僕を産んだ罪で。」
胸に刺さる、映画内の一節。
過酷で理不尽な世界に、主人公は立ち向かいます。誰もが生きるために行動する、誰も悪人ではないストーリーの中には、社会システムに組み込まれた構造的暴力への、静かな告発が描かれていました。
観終わったあと、私はしばらく動くことができませんでした。
いったい誰が悪いんだろうと考えました。たくさん考えた結果、特定の誰かが悪いわけではないという結論に達しました。
みんな、自分が生きるために行動しているのだから。
きっと世界には、こういう問題が多いのだと思います。
誰かの目線に立つと「どうしてそんなことするのよ」と思ってしまうことでも、その人はその人なりの正義を抱えていて。生きるためには仕方がないことなのかもしれない。
じゃあ誰が悪いのか?というと、きっと誰も悪くないのだと思います。
悪いのは、その問題を引き起こしてしまう社会構造やシステム。
だから、世界の深刻な問題を理解するためには、問題を引き起こすシステムを見直さなければいけないんだと私は思います。
なすりつけあいをしていては、いつまでも改善しないよと、私は伝えたい。
ささやかな主役たち~ネモフィラ~
●世界について調べはじめて、考えたこと
現状、政治に関与できている人だけが政治に参加していて、多くの権力はその人たちの利益のためだけに動いていて。
こんなの民主主義じゃない!って思いました。
政治にみんなが置いていかれる感覚。政治を考えること・声をあげることが勇気を伴うことになっている状態。
それを可視化して、考えるきっかけを作ることが必要だと、強く感じました。
なにか不満がある時に、その声が正当な回路でトップへと届く社会が私は理想だと思っています。
そのためには、一人ひとりが日常的に、政治や社会とのつながりを見出すことが大切です。
YOUR VOICE MATTERS.
その些細な心の叫びは、ちゃんと聞かれているよ。
みんながそう思える社会を作るために。私は、これからも私にできることを模索しながら、継続して行動していきたいです。
●写真にできること
この世界には「知られていないこと」が、その不正義な出来事や悲しい現実の一因となっていることが多くある、と私は考えています。
1人でも多くの人に知ってもらえれば。
1人でも多くの人に関心をもってもらえれば。
1人でも多くの人が日常のちょっとした行動を変えることに繋がれば。
状況が少しずつでも改善することも沢山あるのではないでしょうか。
1人でも多くの人に届ける、そのための手段の1つとして、私は写真も使うことができるのかもしれないと、最近思います。
たぶん私は、フォトジャーナリストになりたいんです。写真と言葉で、声を上げられずにいる人を置き去りにしない世界を作りたい。
●何かを変えるには、
いくつかの段階が必要です。
まずは ①知ること。
それから ②考えて。
③話し合って。
④行動して。
また ③話し合って。
また ④行動して。
そうして ⑤習慣化していく。
そこまでの段階を踏んで、ようやく変わるのだと私は考えています。
そして、写真は①知ることの手助けができる。
写真を目に留めてくださった人が、これはどこだろう/なんだろう、と興味をもつ‘きっかけ’を作ることができる。
私の夢と、大好きな趣味のカメラが、交わりました。
ささやかな主役たち~アジサイ~
④出展した写真たちから伝えたい思い
出展させていただいた写真たちは、どれもこれも、見ただけではどこで撮ったか分からないものです。
この国を歩けばどこかしらで目にする花たちを選びました。
言われなければ、日比谷公園に咲く菜の花だということも、海の中道海浜公園に広がるネモフィラだということも、分かりません。
そして。
私たち人間もそうなのでしょう。
見ただけでは、どこにいる人なのかも、何をしている人なのかも分からない。その人が何を考えて今そこにいるのかすらも、分からない。
それなのに見た目で判断されそうにもなる。
どんな思いを抱えているのか、その情熱は何なのか。興味のあること、人に伝えたいのがどんなことなのか、聞かなければ分かりません。
だからまずは、お互いに。
そこに存在しているのを、認め合い、尊重し合うところから。
そこにあなたがいることに、
私は気づいているよ。
これを伝えたくて、5枚、お花の写真を選びました。ささやかだけど、かけがえのないもの。透き通るような光に、顔が綻ぶもの。
あなたは、そこにいるだけで美しい。他の何にも替えがたい価値がある。
みんなが、そう思える世の中にしたいです。すべての人の声に、きちんと耳を傾けられる世の中にしたい。