弱かった。
私のことは誰も好きじゃない。
私は本気でそう思います。何故なら、結局最後に人は、私のことを嫌いになって、私の前からいなくなるからです。
私は幼少期、親と関わった記憶がほとんどないです。
両親は共働きで、朝父親に保育園に連れて行かれて、祖母が迎えにきて、迷惑をかけないように1人で一生懸命ご飯を食べて。寝ろと言われたら寝て。
手のかからない子供だったと思います。
でもそれは、そうすることでしか両親から目を向けてもらえなかったから。
それすらもだんだん“当たり前”になっていって、私のことを気にかけてくれる人は誰もいなかった。
私の幼少期の記憶では、母親はいつも自室で勉強していて、話しかけても生返事で返されて、父親はリビングでスマホを見ているか、タバコを吸っているか、私に話しかける時は何かを取ってきてほしい時くらいで、ほとんど会話した覚えはありません。
ある日、母親の気を引きたくて、ビニール袋に可愛い柄を書いてただのボールペンを入れて、渡したんです。でも次の日ビニール袋は捨てられていて、ボールペンはペン立てに入れられていて、まぁ。忙しい母親からしたら、なんてことないことだったと思うけど、それがすごく記憶に残っていて、その時から母親に対する信頼はだんだん無くなっていきました。
母親は、土日は小学生の姉につきっきりで勉強を教えていました。
母親の怒声と、姉の泣き声に怯えながら、カーテンも開いていないリビングでテレビを見たりして1日を過ごしていました。
私が日常的にコミュニケーションを取る相手は祖母しかいませんでした。
でも祖母はずっと小言を言っていて、常にイライラしているような人でした。
祖母の言う通りにしないと、ずっと文句を言われるので、その通りにその通りに生きていました。
そんな感じで小学校に入学して、同時に母親も専門学校を卒業し、母親は看護師になりました。
1年目は忙しそうにしつつも、学生の頃に比べたら私との時間は多く、公園に行ったり、旅行に行ったりしました。
でも、小学校一年生の二月に、弟が生まれました。
そこから全てが狂いました。
今までも構ってもらえなかったのに、弟が生まれたことで、更に構ってもらえなくなってしまい、物分かりもよく、言われたことはなんでもこなすような私の優先順位はどんどん下がっていき、母親はほとんどの時間を弟に費やすようになりました。
弟を寝かしつけて別室に行った母親を、どうにかして呼び戻したくて、でも甘えることもできず、弟を無理矢理起こして泣かせて、弟をあやす母親を薄目で見ながら、声を聴きながら、同じ部屋にいるという安心感だけで眠りに落ちていたほど、私は愛情に飢えていました。
そのまま小学校二年生になり、私は学校で無視され始めました。
多分、このことは今でも母親は知りません。
その時ほとんど私とコミュニケーションを取っていなかったし、親に迷惑をかけない。それが私が私として認められている理由だと思っていたからです。
学校でも1人、家でも1人、だんだん学校も行かなくなって、家族に自分のことを話すこともなくなりました。
そして小学校3年生の時私は完全に不登校になりました。
泣き喚く私を母親と父親で抱えて、学校まで連れていかれました。
友達もいない、ましてや無視されるような場所に無理矢理連れていかれて、同級生に泣き喚いているところを見られて、笑われて。
私はどんどん学校に行きづらくなりました。
ある時、私は「産まれたくなかった。死にたい。殺してくれ。」と母親に懇願しました。
そしたら母親は、私の首を絞めて「私だってあんたみたいなの産みたくなかった!」と言いました。
その時、母親は、私のことを何も考えていやしないということに気づいて、完全に信頼が底に落ちました。
母親はそこでやっと異常性に気づいたらしく、私をフリースクールや病院、様々なところに連れて回りました。
そこで私の発達障害などが見つかり、母親はやっと私を支援する方向に向いてくれました。
でもその時にはもう遅く、私は小学校5年生になっていました。
もう母親のことも信用できなくなっていて、とにかく死にたい。死にたい毎日でした。
母親に何度も殺してくれと懇願したし、何度も首を絞められました。そして何度も産んでごめんと謝られました。
私は、産んだことに謝罪して欲しかったのではなく、そんなあなたでもいいんだよと、受け止めてほしかったかったんだと思います。
でももう気づいたころには手遅れでした。
今の私は人との距離感がわからず、変に壁を作って嫌われて、身近な人に助けを求める方法も分かりません。
最近、母親は愛着障害は治せると言い出して、なんでも相談してと言いますが、その言葉を、七年前に言ってくれれば。と思います。
今更母親を信頼する事はないし、これからもないと思います。
そして私はこれからもずっと、母親の温もりを求め続けるだろうし、母親の代わりを探し続けるだろうと思います。
もう二度と人に対して、心を開くこともできないと思うし、心を開いたとしても、私は全てを受け入れてくれる、母親の代わりをやらせてしまうので、ある程度の距離を保たないと、対人関係が崩れてしまう。
一生このまま、誰にも本音を話せずに、生きていくんでしょうか。
私を全力で受け止めてくれて、全て許してくれるような人が現れる事を期待して生きていくしかないのかな?
私が心を完全に閉じてしまう前に、出会えるといいんですけどね。
ありがとうございました。。
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