映像の世紀プレミアム(9)「独裁者 3人の“狂気”」覚え書き

イタリア/ムッソリーニ編

ムッソリーニは3ヶ国語が話せるインテリで努力家だった
1921年 ミラノでファシスト党結成、「黒シャツ隊」という武装部隊を作る
「独裁で結束して秩序のある強い国を作る!」
背景に、第一次世界大戦後の不況。暴動やストライキが頻発

1922年 ローマに進軍。国王がムッソリーニを支持し、首相になる
「国民は国家によって創造される」!
農民の土地を奪うなどして強引に食糧難を解決、雇用も増やす
上半身裸で、国民と一緒に農作業する映像などで親しみやすさアピール
「我々はローマ帝国の末裔だ!ローマ帝国以来の強さを取り戻す!」
(こういう国粋主義みたいなこと言う政治家、やっぱ警戒しないとな…)
ローマ帝国式の敬礼を浸透させる
主に女性から20万以上のファンレター。めちゃくちゃ大人気!
ムッソリーニ「大衆は強い男を愛する」
(強いリーダーだと自分も強くなったと錯覚できるのと、なんか任せられるかも!って思考停止できるから楽なんだろうね…考えるのめんどくさいから…)

1936年 古代ローマ帝国時代にアフリカと戦ったプロパガンダ映画を制作
実際にアフリカに侵攻し、植民地にする

1937年 ベルリン訪問。ヒトラーを内心バカにする

1939年 ヒトラーが第二次世界大戦を始めたのを見て参戦
「一緒に共産主義倒そうぜ」
…と思ってたが、独ソ戦がやばすぎて引く
「もしドイツが勝ったらイタリアにも攻めてくるかもだからお互い消耗してくれ…」

1943年 7月ムッソリーニ失脚、9月イタリア降伏
国民「ムッソリーニを倒せ!!」(大衆おろかすぎない…?)
幽閉されてたが、ドイツ軍に連れ去られて「もっかい党作って立ち上がれ」とヒトラーに脅される
最初にファシスト党を作ったミラノ近郊で党を作るが、民衆に殺されて吊るし上げられる

慎重で計算高い独裁者なんてものはこの世に存在しない。
独裁者とは狂気に駆られ、身を震わすような野望と妄想の中で、分別を失う生き物なのだ。
その狂ったような情熱こそが、独裁者を独裁者たらしめるのである。

ムッソリーニ晩年の言葉


ドイツ/ヒトラー編

34歳の時、ミュンヘンの小さな極右政党ナチス党の党首として反乱を起こし、投獄される
「人の心を掴まないとダメだな…大人気のムッソリーニから学ぼう!」
ファシスト党の敬礼を取り入れ、軍も黒シャツ隊を参考にする

1929年 大恐慌。今までの政権が弱体化し、ナチス党と共産党が台頭
(うわー地獄、、、)

1933年 首相になり、共産党を弾圧。一党独裁へ
ローマで初めて憧れのムッソリーニと会い、ローマの民衆に並んで挨拶
めちゃくちゃモジモジする。ムッソリーニへの尊敬がすごい
一方のムッソリーニ「あいつは学のない成り上がり者」「道化師」

1936年 ヒトラーユーゲント法制定 ドイツの青少年全員をナチスの下部組織に強制的に加入させ、徹底的に洗脳し、思想を支配
(これが一番怖いし効果ある。国の根幹はマジで教育)

1938年 オーストリア併合。さらにチェコスロバキア・ズデーテン地方の割譲を要求
9月、英仏の首相と戦争回避の話し合い(調停役ムッソリーニ)
「これ以上領土を広げないことを条件に、ズデーテン地方はドイツのものでいいよ」これが第二次世界大戦へと繋がってしまう
(今一番怖いのはこれ。ロシアに譲歩するとどうなってしまうのか)
英仏はソ連の共産主義が西に広がるのを恐れて、ドイツを防波堤にしようとした

1939年 独ソ不可侵条約
ヒトラー「ユダヤ人と共産党は叩き潰す。不可侵条約で油断させて、寝首をかく!」
条約締結の9日後、ポーランド侵攻。第二次世界大戦勃発…

1941年 6月、ついにソ連へ侵攻。300万人の大軍勢
ヒトラー「この戦争は3ヶ月で終わる!」→冬の装備がなく、寒すぎてめちゃくちゃ苦戦する
(独裁者たち大体見積もりが甘すぎるの何、、、)
スターリングラードの前線部隊の将校「もう降伏か撤退しか無理」
ヒトラー「絶対ダメ」
将校「もう知るか」投降
勝手に投降した将校にめちゃくちゃ怒り、どうしても処刑したくてソ連に「こっちにいるスターリンの息子と、そっちにいる将校を交換しよう」と提案する(が、断られる)
兵、どんどん士気が下がってくる
この頃から、愛犬に芸を仕込むことに夢中になる
(プーチンといい、独裁者は忠誠心のある犬を好きになるのかな…犬…)

捕虜になり、ソ連の民衆の中を歩かされたドイツ兵の手記↓

その瞬間、私は衝撃的な光景に打ちのめされた。
突然、初老の女性が私たち捕虜の列に駆け寄ってきて、小さなパンを手渡そうとしたのである。
彼女の貴重なパンを恵んでくれようというのである。
その兵士は戸惑っていたが、女性は彼の手にパンを押し付け、十字を切って祈ったのだった。
私たちが行った野蛮な行為の数々にも関わらず、同情と慈悲の心は消えていなかったのである。

(90分で唯一の心温まる話だった…。)

1944年 首都を守るため、一般市民を徴兵して「国民突撃隊」を作る
が、ろくな武器もなく戦意も低かった
ヒトラーユーゲントの若者たちだけが、最後まで忠実で士気も高かった…
ヒトラー「君たちだけが頼りだ」

1945年 4月、ソ連軍が迫ってきて、犬を毒殺して愛人とともに自殺(犬…)
最後の命令は「私の遺体を跡形もなく燃やせ」



ソビエト連邦/スターリン編

1924年 レーニン死去。当時スターリンは書記長で、トロツキーと権力の座を争っていた
レーニンはトロツキーを信頼し、スターリンはトップに立つ器じゃないと思っていたが、スターリンはトロツキー一派を完全に潰し、全権を掌握
農業に力を入れる。ウクライナの土地を国有化、集団農場にする
土地を奪われて反発する農民は「国民の敵」認定、1500万人(!)を強制収容所送りにする
作物を輸出→外貨を獲得→重工業に力を入れる→成長
(独裁者は最初に経済とか雇用で国民を信頼させるんだよな…)

1932年 ウクライナで深刻な不作に
農民が食べる分まですべての食糧を強制的にロシアに輸出させ、村を離れることも許されず、300万人以上が餓死。ロシア国民には一切伝えられなかった
スターリンの妻、無慈悲なやり方に抗議するため自殺
ショックを受けたスターリン「もう誰も信用できない」

1934年 共産党大会で3割ぐらいの党員がスターリンに反対票を投じる
無記名で誰が反対したのかわからないので、半分ぐらいの党員を、罪をでっちあげて処刑した(嘘だろ)
それをきっかけに党員だけじゃなく軍とか一般人まで、怪しいやつはどんどん捕まり、450万人が粛清された(嘘だろ、、、)

1939年 独ソ不可侵条約 スターリン「ヒトラーとは戦いたくない」

1941年 条約を破ってドイツ軍がいきなり攻めてくる
スターリン「嘘だろ…」茫然自失となって別荘に引きこもる
軍の幹部をめちゃくちゃ粛清してて組織がやばかった所にいきなり攻められてボロボロになった
ウクライナはこれでソ連から解放されるかも!と思ってドイツを歓迎、応援した
(プーチンがウクライナを「ナチ」とか言ってるのはこういう歴史が背景?)
軍の士気が上がらないので、前線を監視して真面目に戦わない兵を殺し、ドイツに降伏した兵士の家族は強制収容所送りにした
ドイツ兵「あいつらは恐怖心でめちゃくちゃなことをしてくるからやばい…」
スターリンの息子はドイツに降伏したので、その妻も収容所送りになった
ヒトラーに「そっちにいるウチの将校と、こっちにいるお前の息子を交換しよう」と持ちかけられるが、ヒトラーと交渉なんかするか!と断る
スターリンの息子、絶望して自殺

スターリンは大戦終結後も生き残り、権力を維持する
1949年 スターリン70歳の式典
直前に中華人民共和国を建国した毛沢東を招き、手厚くもてなす

1953年 74歳で死去

1956年 フルシチョフにより生前の大惨事がようやく暴かれ、名声は地に落ちる

1967年 スターリンの娘、ソ連に失望しアメリカに亡命。結婚し、平穏な人生を送る

番組ラストのナレーション
「プーチンのロシアではスターリンの再評価が進んでいる。世界は再び独裁者を求めているのだろうか?」

この番組の初回放送は2018年6月16日。

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