「莉」という漢字の謎を追う
👆頑張って描いたので笑ったり嗤ったり哂ったり啞ったり唹ったり呵ったり粲ったり咥ったり听ったりしないでください。
始まりはふとした疑問でした。
※この記事はScratchで公開したやつをnote向けに書き直して追加の調査を加えたものです。
この記事には引くほど環境依存文字が含まれているのでPCでの閲覧を推奨します。
皆さんはすとぷり好きですか?私はあんまり知らないですがジェルの珍回答シリーズをよく見ています。
そんな話は置いておいて、今日は「莉」という漢字の話をしようと思います。
この漢字はYouTubeをよく見るなら4104京(略)6804回は見たことがあるであろう漢字です。が!!!この漢字には大きな謎があるのです。それは、あるはずのない読みがあること。
今回は「莉」の存在しないはずの読みについて追っていきます。
漢検公認の謎の読み
「莉」という漢字には、一般的には「リ」という読み方があるとされています。しかし、漢検に出る漢字をまとめた、漢字ペディアという名前の日本漢字能力検定協会(いわゆる漢検)が運営するサイトには、「リ」に加えて「レイ」という読み方が掲載されています。
私はこれに違和感を覚えました。
なぜなら「莉」という字は特定の熟語の中にしか現れない字だからです。
漢字ペディアの字義の欄には、「『茉莉(マツリ)』に用いられる字」とだけ説明があり、単独での字義は掲載されていません。この漢字は(固有名詞等を除けば)単独で用いられることはなく、他の漢字と組み合わさって熟語になってから初めて意味を持つ漢字なのです。(分かりやすい例で言えば林檎の『檎』や葡萄の『葡』『萄』などがあります)
そして「莉」という漢字が登場する熟語は「茉莉」とその派生である「茉莉花(マツリカ)」しか使われていません。つまり「莉」を「レイ」と読ませる語は使われていないのに、読みのひとつとして「レイ」を掲載しているという謎の状況になっているのです。
どういうことでしょうか。。。?(ちなみに「茉莉」「茉莉花」はジャスミンのことを指します)
あんたも?
ということで調査を始めようとしたその瞬間!!!!もうひとつとんでもないことに気づいてしまいました。
なんと「茉」も「茉莉」「茉莉花」でしか使われないはずの漢字なのに、「バツ」という存在しないはずの読みが掲載されていたのです。
…が、本題が天空遥かに飛んでっちゃうので一旦後回しにします。
まずは成り立ちを基にして考えます。漢字ペディアの説明では、この漢字は形声文字に分類される漢字で、意味を表すパーツと音を表すパーツを組み合わせて作られた漢字であると説明されています。
例えば「杉(音読みは『サン』)」であれば「木」という意味を表すパーツと「彡(サン)」という音を表すパーツを合成して作られていますし、「銅」であれば「金」と「同(ドウ)」を合わせた構成になっています。
ということは「利」に「レイ」という読み方があって、それを引き継いでしまったのだろうかと初めは考えました。しかし調べてみても、「利」に「レイ」という読み方があるという記述は見つけられませんでした。
ということは、「レイ」というのは後から勝手に付いてきた出所不明の読み方であるということになります。
…お前マジで何!?!??
最初から使えや
漢字は日本に持ち込まれた年代で読み方が変化します。呉音・漢音・唐音ってやつです。この他にも慣用音という
・発音しやすく言い換えられたもの
・誤読が広まったもの
・中国からの音というのは分かるのに呉音・漢音・唐音に分類できない音
をまとめて言う言葉があります。
ということで、その視点から見ていくために役立つ秘密兵器を持っているので読んで行こうと思います。その名も…
大漢和辞典です!!!!!!
大漢和辞典とは、約5万字余りもの漢字を収録した日本(下手したら世界)最大級の漢和辞典です。発行された年で内容が気づけないくらい地味に変わるのですが、自分が持っているのは修訂版第一刷です。
読んでみたところ、「莉」という漢字の読みとしてしっかり「リ・レイ」が掲載されていました。(ついでにライ・チ・ヂという読みもありました。)そのうち「レイ」という読みの出典は「集韻」という宋の時代の字書に遡る、と記述がありました。
ということで、宋より古い時代では「莉」が「レイ」と読まれていたことが分かりました。
このことから私は「莉」「利」は形声文字ではなく、宋の時代は別々の発音だったものの、時代が経るにつれて発音が「リ」に合流したのだと考えました。その後「リ」という読みだけが日本語に定着し、他の読み方は姓名や日本で一般的でない概念を表していたことから定着できなかったのだと、当時の私は考えました。
懊悩
しかしこの理論には自分自身から反論が2つ上がりました。
ひとつ、「利」にも現代に伝わらなかった「レイ」という読みがあるのではないかという説。
ふたつ、形声で漢字が出来たあとに発音が後付けされたという可能性はないのか、という説。
これら2つの説について、Scratchで公開したときは調査できていなかったので今ここで調査をしようと思います。
「利」の幻の読み
ということで大漢和辞典で「利」を引いてみたのですが、「レイ」という読みは掲載されていませんでした。なんでなん?!!?!?なあ。
恐らくこれも成り立ちから考える必要があるようです。
この漢字は「刀」が変形したパーツである「刂」と稲やワラなど穀物をいう「禾」というパーツから成ります。「利」には「鋭利」「利器」などから分かるように「鋭い」という意味があり、「刂」が意味としての役割を担っていることが分かります。
一方「禾」は穀物を表しています。合わせて考えると、この字は本来耕作に関する文字だったといえます。
「利」もしくはそれに関連するパーツを含んだ漢字で、そのうち農業に関係がある文字があれば何か手掛かりがあるかもしれません。ということで探したところ…
ありました。「犁」という漢字です。この漢字は「犂」の異体字(形が違うだけで同じ読み・意味の文字、国⇆國など。)なので、以降は「犂」という字体を用いて説明します。
「犂」の読みには「リ・リュウ・レイ・すき・す-く・まだらうし・くろ-い・しみ」の8つが記載されており、農業に関係がある意味としては「牛に引かせるすき(地面を掘り起こす農具)」というものがあります。「利」の本来の字義である「耕作する」や「鋭い」と通ずるものがありますね。
この字は「利」の変形した形である「𥝢」と「牛」から成り立っており、2つの意味が合わさった会意文字であるとともに、音を「利」から継承した形声文字でもあります。つまり会意形声文字です。
形声文字で音を「利」から継承したのは「莉」もそうです。どちらも「レイ」という読みが(後者は謎の読みですが)存在します。
…もしかしたら黎もか?
「黎」という文字には「犂」と同じように「𥝢(利)」というパーツが入り、同様に「レイ」という読み方があります。さらに「黎」を音、「艹」を意味とした「藜」にも「レイ」という読み方があります。
「利」という漢字は、形声文字の読みにしか痕跡を残していない「レイ」という読み方が存在するのです。
「利・𥝢」を「レイ」と読ませる音のパーツとして含んだ漢字が複数ある以上、「レイ」という読みが後付けされた可能性は考えにくいです。となるとやはり、「利」には現代に伝わらなかった「レイ」という読みがあることになるのでしょうか。
タイムトラベル
これを追うために「レイ」という読み方はどこに消えてしまったを調べてみると、想定外のことが起こりました。
先ほど見た通り、宋の時代より前には存在していたことは確かです。何かわかるかもしれないので、「犂」「黎」も大漢和辞典で引いてみましたが!
どちらも集韻を出典としていたので、特に新しい情報は得られませんでした。(‘;ω;`)
仕方がないので「レイ」と読む「利・𥝢」を含んだ漢字を調べまくりました。すると、金の時代(1208年)に作られた「五音篇海」に「㴝」という文字が、1615年の「字彙」に「𥟖」という字があることが分かりました。
しかしこれらは「集韻」より後に編纂されたものなのでそんなに役立ちませんでした。
できるだけ古い字書に遡って調べればよいのではと考え、説文解字という100年ごろ(諸説あり)に作られた字書を引いてみましたが、「莉」という漢字は見つかりませんでした。
次に隋の時代に成立した韻書(韻で漢字を分類した字書)である「切韻」を調べてみました。すると!
・平、脂韻、直尼切
・平、之韻、直之切
・平、齊韻、郎奚切
の3つが「莉」の読み方として掲載されてあり、そのうち1番下の「平、齊韻、朗奚切」は「犂」「黎」なども同じ読みとして掲載されていました。
この「平、齊韻、朗奚切」は「平調(一音を通じて同じ音高)で母音が『ei』、子音が『l』」という意味です。また、意味としてはとしては「芘莉,織荆。」と記述があり、これは「竹製のかご」「茨を織り込む」を意味します。
つまり…
「莉」の「レイ」という読みは、隋の頃の読みだという可能性が高くなりました。
一方、「利」の読みをこの字書で引いてみても、「lǐ」という読みのみが掲載されており、「léi」と言う読みは掲載されてませんでした。
隋の時代から、「莉」と「利」の発音が違っていた可能性が高いようです。
また、「玉篇」という543年の字書(見たのは正確には写本)を見てみたのですが、その頃にはすでに「莉」の字が存在し、「レイ」と読んだ時の意味である「竹かご」という意味で使われていることが判明しました。
しかし悲しいことに、現存する最古の韻書は「切韻」、現存する最古の字典は「説文解字」で次が「玉篇」であり、これよりも前の韻書やその写本は時代の流れでどこかに散逸してしまいました。最悪中国の古代図書が埋もれてそうなところで発掘調査したらいいのですが、出来るわけないので発音について遡れるのは一旦ここまでとなります。
Review, Evolve.
一旦まとめます。
・「莉」という字は、543年までには既に存在していた
・いくつか意味があるが、「レイ」と読んだときは「竹かご」という意味になる
・その意味で既に543年に使われていたため、南北朝時代から「レイ」と読まれていた可能性が高い
・「利」が「レイ」と読まれていた痕跡はない
・「莉」以外にもいくつか「利」を音として継承した「レイ」と読む漢字がある
・他にも「利」を含んだ「レイ」と読む漢字が複数存在するため、形声で文字を作ってから発音を変えたとは考えにくい
ということで、最後(になるはず)の疑問です。
なぜ、「利」を音として貰った漢字から、「レイ」という読みが現れたのでしょうか。
これさえ分かれば、「莉」の謎は99.9%解決したと言っても良いでしょう。最後(may)の、そして最難関(must)の疑問です。
まず初めに、「利・𥝢」を含む漢字で、「レイ」という読みがある漢字について共通点を考えてみましょう。すぐ出てきたのは「莉」「黎」「犂」「藜」「㴝」「𥟖」ですね。大漢和辞典で調べてみると、他にもいくつかの字が見つかりました。
これらの漢字から、他の文字から音を更に継承した形声文字を除きます。つまり「利」から直接に音を継承した文字だけを抽出してみると、以下のような漢字が残りました。
・莉 ・犂 ・黎
・犁 ・浰 ・梨
・㴝 ・𥟖 ・𪏭
・䖿 ・𨛫 ・筣
・𤭜 ・䬆 ・鯬
・鵹 ・黧
これらからさらに異体字を絞り込みます。
・莉 ・犂 ・黎 ・浰
・梨 ・䖿 ・筣 ・𤭜
・䬆 ・鯬 ・鵹 ・黧
はい。この12文字が「利・𥝢」を含み「レイ」と読む独自の文字、つまり共通点を考えるのに最低限必要な漢字となります。
まず初めに「𥝢」を含む字は必ず「かんむり・あし」の部分あるいは「にょう」とセットに来るのだと考えました。しかし、「𩸢」「𪍆」という字が見つかったので、この説は違うとわかりました。
続いて意味から考え、共通点をまとめてみました。
・植物の名前 莉・梨・筣
・黒い 犂・黎・黧
・その他 浰・䖿・𤭜・䬆・鵹・鯬
え?まじ?
なんと「黒い」という意味を持つ字が3つもありました。しかもすべて「𥝢」の形です。どういうことでしょうか??
「その他」に属する奴らは単純な形声文字で「利」の意味と特に関係がなさそうなので除外します。すると、この6つが残ります。
・植物の名前 莉・梨・筣
・黒い 犂・黎・黧
さらに「植物の名前」も実質形声みたいな状態なので省くと、こうなります。
・黒い 犂・黎・黧
偶然とは思えません。
元々「利」には「黒い」という意味はなかったし、「レイ」という読みもなかったはずです。それなのに、読み方も意味もまるっきり本来と異なる意味で「利」が使われているのはどうしてでしょうか。
Re: solve
恐らくこれは「黎」のせいだと思います。
「犂」は元々「農耕に使う器具」という意味で、「黒い」という意味はありませんでした。少なくとも広韻には「黒い」という意味で「犂」は掲載されていません。
一方「黎」には古く(説文解字の頃から)「黒い」という意味があり、この意味が後々他の「𥝢」を含む漢字に「レイ」という読みと共に輸入されたのでしょう。
そして「𥝢」の別の形である「利」でも同じようなことが行われました。輸入される意味こそ変化したものの、「レイ」という読みだけは変わらず伝わったのだと思います。
そして草冠という意味を表す部分と、「利」が音として合わさった「莉」という漢字が出来た。これが私の導き出した結論です。
疵
これで「莉」の謎が解けた(多分)のですが、漢検には他にも謎の読みが存在します。
最初に「本題が天空遥かに飛んでいくから」としてスルーした「茉」もその一つです。
この漢字は普通「莉」とセットでしか使われず「マツ」とだけ読まれるはずなのですが、何故か「バツ」という読み方が掲載されています。
他にも本来2文字でひとつの「葡萄」の「萄」にも「トウ」という存在しないはずの読みが掲載されています。
訓読みでも、使用されている実態がほぼ、或いは全くない読みが掲載されていることがあります。極端な例、「覈(あき)らかにする」(なんと「にする」も送り仮名です。)というものも存在しています。
で、なんでこんな事態が起こっているのかというと、これは恐らく漢検側のミスです。
出題する漢字の読みを決める際、ろくに原典を読まず字書や文豪の適当な当て字から孫引きしてしまった結果、現代には伝わっていない読みや限定的な用途の読みが入り込んでしまったのでしょう。
他にも意味からの連想ゲームで謎の訓読みが出てきたのかもしれません。例えば先ほどの「覈」には「あきらかにする」という意味があり、これを「はかる→測る、計る、量る……その他多数」というような流れで「あきーらかにする」という読みを掲載してしまった可能性もあります。
現代では使われない読みや限定的な用途の読みが入ってしまえば、「漢字の力を測る」という漢検本来の目的が失われてしまいます。準一級以上の漢字の読みについては、見直したほうが良いかもしれませんね。
まとめ
ということで、「莉」という漢字でふと疑問に思ったことを調べていたら、いつの間にか色んな字典を辿っていて、最後には意外な結末に到着していた話でした。
最後の方は十分に調査できておらず推測が入ってしまっているので、そこを詳しく調査する続編が出るかもしれません。
やっぱり漢字って面白いですね。調べていて色々なことに巡り会えたので楽しかったです。
皆さんも気になったことは気がすむまで調べてみてください。人生がちょっぴり豊かになるかもしれません。
教訓
・気になったことはとことん調べよう
・多角的な視点から物事を捉えよう
・好奇心を忘れずに
・孫引きはやめよう
余談
今度漢検二級受けます。