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#32 終身雇用でもプロティアン!(後編)

■20年間に、8社へ出向

メディア事業に携わった25年のうち、20年間はグループ会社(8社)へ出向。うち4社は社長として10年間、経営責任を負いました。150人から1,700人の会社までサイズも様々、1社で8拠点という社もありました。
初めて社長の辞令を受けたのは46歳。未経験で、大企業から中堅企業への 落下傘出向、まるで半沢直樹...これにはビビりました。<Protean④>

■自ら辞令を出したことも

2006年夏、J:COM本社の営業・マーケティング本部長の時に、自分から願い出て、合併が目前に迫った関西の会社への辞令を出してもらいました。
社長はなかなか首を縦に振りませんでしたが、「そやかて、幹部で関西弁を話せるのは僕だけやないですか!」(勝手な奴っちゃ!)でも、これで仕留めました。<Protean⑤>

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■ハンズオンの経営に邁進

出向先では、社長室にいる時間を極力少なくし、現場を歩き廻りました。MBWA(Management by walking arround)というスタイルです。
営業マンの悩みを聴き、何かと営業部とぶつかる技術部、管理部、コールセンターのメンバーともよく話し合いました。毎日の朝礼でのひと言や月1回の「社長メッセージ」の発信、各部の毎週の定例会にも極力出席。

勿論、社内では「社長!」ではなく、原田さんと呼んでもらっていました。
ヘビークレームのお客様のお宅にもよくお邪魔しました。「社長を出せ」と言われても社員たちは極力踏ん張って対処してくれたのですが「いよいよになれば、うちの社長は出てくれる」というのは安心感があったとのちに述懐してくれました。

■円熟期51歳の挫折

関西の会社で単身赴任していた時に、病に臥せ半年ほど棒に振りました。

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社長解任で東京に強制送還され、以降2年ほど人事評価もガタ落ちとなり、役員昇格の道も断たれ、初めての本格的な挫折を味わいました。
人生後半戦を真剣に考え始め、資格取得の勉強なども行ないました。<Protean⑥>

■再び最前線へ

ところが、体調が良くなったと見るや否や会社は、また別の新規買収した会社に行ってくれと、本当に人使いの荒い会社です。<Protean⑦>
新しい会社は大手企業との共同買収でしたが、ここでも新たにMission、Vision、Valueを全社員とともに創り上げるなど徹底的に社員との対話、地域の皆さんとの交流に(病気にならない程度に)心血を注いだ結果、地域での知名度がぐっと上がり、業績もどんどん伸びてくれました。

■口は1つ/耳は2つ~ライフワークに

社員でもお客様でも地域の皆さんでも、相手のもとに足を運びしっかり話を聴いて、いくつかの質問を織り交ぜて対話すると、相手は気持ちがほぐれ自らの本当の思いに気づき、最後には、イライラやモヤモヤはどこへやら、「有難うございました」とにこやかになります...これって、キャリアカウンセラーの行なっていることと同じですよね。

■プロティアンキャリアを活かして

こんなに長く一つの会社にいるつもりはなかったのに、人の話を聴いて過ごしているうちにもう65歳が目の前。結局商社マンらしい仕事(資源エネルギー開発、プラント輸出、食糧輸入など)の経験は全くなし。
私の3rd Career(人事、メディア事業の後)は、こういった経験を踏まえキャリアコンサルタントを選択することにしました。
読者の皆様にはぷろぴの先輩が大勢おられるので、どうか「ひよっこキャリコン」が成鳥になれるようお導き下さい。

長文をお読みいただき、まことに有難うございました。

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