
社会的ひきこもりからの脱出
17歳からひきこもり生活を続けて、26歳でパートの仕事を始めて、現在41歳です。
いまは正規社員として仕事に就いております。
人生ってすごく早く過ぎていくことを切に感じるこの頃。
自分が40代であるということが信じられません。
今回は社会的ひきこもり状態だった10代後半から20代半ばの時期を振り返ってみて、社会復帰に至った要因をあげてみたいと思います。
ちなみに社会的ひきこもりの僕なりの定義は、外には出られるけど、人と交流がほとんど持てない。仕事ができないという状態と認識しております。
出掛けるときは人気のいない深夜か、昔からの友達に誘われたときには深々と帽子を被ってこそこそと出て行く。そして出かけた日の翌日は決まって寝込んでいました。
対人恐怖症があったので、とにかく人に会うのが嫌で話もできません。安心して通えるのは精神科と古本屋ぐらいでした。
そんな僕が26歳でパートの仕事ができるようになった要因を探ってお伝えしたいと思います。
①昔からの友達にバカにされていた。
県外の大学に行った友人が1名。そして医学部を目指す浪人生が1名。中学時代から付き合いのあった彼らからちょくちょく連絡がありました。
頻繁に居留守を使っていたのですが、本当にそれで縁が切れるのが怖くて、2回居留守を使ったら1回は会うという具合に、バランスをとってたまに会っていました。
そこで彼等は隠すことなく僕のことを見下してくるのです。
「おい〜お前さあ〜今まで何人の女とやってきた?」「え〜1、2、3、4…5…」
彼等は露骨に自分の体験人数を競い合ったあとに、その矛先を僕に向けるのでした。
ああ…きた…きた…。
そして、何もせずにずっと家にいる僕の将来を見下しながら憂うのです(当時はニートという言葉もありませんでした)。
本当に嫌気がさして街中を歩いている最中に、突然走りだして逃げたこともありました。
「おい!どこ行くんや!」
そう言いながら必死になって追っ掛けてくる彼等の声を背中越しに聞きながら逃げ切りました。
父は友達は大切であると説くのですが、一緒にいて惨めに感じる友達っていったいなんだろう…と思うのです。
彼等との縁は完全に切れました。数年後にその1人からFacebookの友達申請があったのですが、その頃はまだろくに働いていない状態だったので、拒否をして以来連絡をとっていません。後悔も特にないです。
彼等と会うたびにバカにされて悔しかったので、早く社会に出ていかないといけないと思ったものです。それが社会に出ていく原動力となっていきました。
②ひきこもり状態が苦しかった。
自分のことを信じていなかったので、社会に出ることができても、いずれまた元に戻ってしまうのではないかという恐れがありました。
常に心がけていたのは、ひきこもり状態が楽だと思わないこと。これが楽だと思ったら社会に出て苦しくなったときにまた逃げ出してしまう恐れがあると思っていたからです。
だから積極的(?)に自分を責めました。こんな生活を送っている奴はクズであると思い続けるようにしていました。
そのせいか自律神経がおかしくなって、体が熱くなったり、耳鳴りがしたり、味覚が感じられなくなったりなどの変な症状が出てきて、抑うつ状態になったのでした。
その副作用で、家にいる間に楽しいと感じることをほとんどやってこなかったので、楽しいという感情がわからなくなってしまいました。
ひきこもり状態からひきこもりの人たちの居場所となるフリースペースに通い始めるようになったのですが、プラモデルや麻雀などを行なって「楽しい…」と言っているそこのメンバーを見て、密かに羨ましいと感じていました。
「楽しい」という感情は高級な感情だと思います。
そのフリースペースのスタッフさんに「何かやりたいことがある?」と聞かれても答えられない自分がいました。
「○○さんは日曜大工(DYI)とか爬虫類とか好き…。○○ちゃんは皆でゲームがしたいとかってわかるけど、仕事ができるようになりたいのはわかるけど、何が好きなのかが見えてこないのよね…」
なんて評されたことがありました。
自分の好きなことや楽しいことにもっと貪欲になっとけば良かったと思います。
社会に出てゆとりができて、ゆっくり時間をかけてやっと自分が楽しいと思う感覚がわかってきたのは、それから数年後のことでした。
ただ僕の場合は、ひきこもり状態に戻ってしまうかもしれない恐怖が落ち込んでいるときに今でも頭に過ぎることはあります。
若い頃より知恵が付いたので、凌ぐ方法の引き出しは増えていますが、なんとか踏みとどまっている状態です。
③セルフイメージが高かった
つまり「俺はこんなものじゃない!」という意識ですね。
これは昔からあった自分に対する意識で、もっと自分の人生は豊かで、特別な人生が送れるはずだとずっと思っていました。
当時はセルフイメージという知識はありませんでしたが、その後社会的ひきこもりの人たちが集うフリースペースで、僕は「こんなもんじゃない!」精神を発揮して、いの一番に働き始めることができました。
「自分ならできる!」と微かに思い続けていた賜物だと思います。
成功体験を積むことで、少しずつ「できる」と思える意識の枠組みは広げていけると思います。
いまならセルフイメージを広げる方法が色々とあることを知っているのですが、当時はそんなことは一切知らなかったので、ただそこそこ高いセルフイメージを持っていた自分はラッキーでした。
④健全な欲。
恥ずかしながら、女の子とお付き合いしたいな〜。触れ合いたいな〜という欲求です。
欲望は放っておくとどんどん萎んでいきます。もともとそれほど物欲が無かったところに輪をかけて欲求が萎えていきました。
僕の場合、仕事をしていない状態でお金を使うことに恐怖心がありました。
だからお金が使えず、欲しいと思ったものでも我慢をしていたのですが、そうなると全般的な欲求も萎えてしまい、社会に出てやりたいことという展望すらも持てなくなっていくのです。
しかし、対人恐怖がある割には女性に対する欲求(まっ、性欲っす)は「ど」がつくほど健全にありました。
恥ずかしがりながらも、この性欲って侮れません。これが家から出ていった原動力の全てだと言っても過言ではないのです。
鬱状態になると性欲も芽生えなくなると聞きますが、僕は健全にあったので、その点もすごくラッキーでした。
ざっと思いつく限りこの4つがひきこもり生活から脱出できた要因だと思います。
もちろん脱出方法は人によって様々です。精神的にだいぶ追い詰められていましたが、家族がサポートしてくれたので耐えることができました。そこもすごくラッキーでした。
4つの要因は外に出る原動力とはなりましたが、②の「ひきこもり状態が苦しかった」というアプローチは適切だとは思いません。
自分の欠点を見つめて克服するという過ごし方をひきこもり期間に行っていたのですが、それよりも理想的なのは、過去や欠点を見つめるよりもこの先で「なにをしたいか」を考えることではないでしょうか?
やりたいことを見極めるのは感情がセンサーになると思うので、楽しいとか好きという感覚を磨くことは重要です。
僕は仕事をするという目標は達成したのですが、そのほかのビジョンが全くなかったので、どんな生き方をしていくかという点がスッカラカンであることに気づき、愕然としました。
だから仕事にありついてから何もないことで途方に暮れてしまいました。
「あなたの経験は必ずいつか活きてきます!!」
職場でよく話をするようになったドライバーのおじさんに昔言われた言葉です。10年前ほど前に言われた言葉ですが、嬉しい言葉でしたが「活きるって果たしてそれはいつ?」と聞きたいぐらいでした。
苦しんだ先に幸せな人生があると思っていましたが、人生はどうやらそうではないようです。
苦しむ必要はないと思います。恵まれている状況に感謝できれば良いと思います。
「なにがしたいか?どうしたいか?」を問いながら、好きなことを見出していく生き方を続けていこうと思います。