人生で意味のあることをしたい症候群。
実は自分が空っぽであるということ。
2020年の終わり。本棚に収められていた本を全て処分しました。
私は本に書いてあることをリスト化してそれらを実践してきました。それは体調を良くし、頭の働きを高め、人生を豊かにするためのものでした。
しかしリストは事前に作られたものであり、自分をそのリストの型に当てはめる行為です。
リストは常備していたのですが、そのリストが私に常時緊張をもたらし、窮屈なものにしていることに気付きました。
本を処分するだけではなく、そのリストも捨てました。本に書いてあることを実践していくという生き方がとうとう邪魔くさくなってきたのです。
人生の幸福度を高めるためには、ストレスを極力排除する必要があります。となるとストレスの元になっていたリストも排除する必要があるのです。
何がしたいのか?
そもそも本に書いてあることを実践して、体調を良くして頭を良くして、人生を豊にして、それから何がしたいのか?という話になってくるのです。
かなり前に「叶えたいことリスト」というものを作りました。
それは今後の人生で体験したいことを100個書き出したリストのことで、やりたいことを視覚化することで、願いが叶いやすくなるというものでした。
その「叶えたいことリスト」を作成して気付いたことは、人生においてそれほどやりたいことが私に無いということです。
書いていくと50個を超えるぐらいから私の手はピタッと止まり、捻り出すようにしてやっと100個書くことができました。
本気になってやりたいことは案外無いものです。
意味ねぇ・・。
17歳から23歳まで「社会的ひきこもり生活」を続けてきました。
仕事もできずに友達と会うこともなく、会話ができたのは病院の先生と家族だけでした。そうなると自分が誰からも必要とされていないと感じるようになるわけです。
人から必要とされていないと感じるのは辛いものがありました。
その「社会的ひきこもり」の時期は家と病院と放送大学との行き来だけでした。
時間だけはあって自由に見えますが、人と話ができない。人の目が気になる。人が怖い。お金を使うのが怖い。という心理的な制限が多かったので、私の中に自由はありませんでした。
一方で働き始めて社会に出ると、辛いことがあっても楽しいこともあるわけです。
苦しかった「社会的ひきこもり生活」の時期は、将来大きく跳ね上がるための助走期間だと思っていました。
だから飛躍しないと割りに合わないわけです。
しかし、この年齢になってみると薄々気付くことがあります。
あっ・・こりゃ特に何もねぇ・・・(かもしれない)。
不遇の時期を意味のあるものにするために、自分の経験を今のひきこもっている人たちに活かすことはできないか?などと考えたりもしたのですが、人を助けるというのはすごく労力を使うことだと思うのです。
私の中のイメージですが、ひきこもりの人は精神が不健康になっていることが多い可能性があるので、こちらの精神がしっかりと健康でないと巻き込まれてしまう恐れもあると思いました。
そこまでして、ひきこもりという問題に関わりたいか?という話です。
半生を振り返ってみたときに、一番幸せを感じたのはカウンセリングを受けている時でした。
それは自分がこの場にいるだけで良いんだ・・と思ったときです。
「あなたは特に何かをする必要はありません・・ただここに来れば良いんです・・。」
これ、私が受けていた精神療法の先生が言った言葉です。
この意図が分かった瞬間に強烈な幸福感が胸元から込み上げてきて、全身の力が抜けました。
「ああ、俺ってこんなにいつも緊張してたんだな・・。」と思ったものです。
ただここに来れば良い・・って病院の経営的に患者が治療に依存して通い続けることになれば経営的にメリットあるから?と疑う気持ちもあるのですが、そんなことはあえて考えずに素直になって、この体験を幸福のヒントだと思えば良いのです。
私は無条件に存在を認められただけで、こんなに幸せな気分になれて力が抜けたことが衝撃でした。
自分でどう思うか?
私が緊張していたのは、他人の評価を気にしているからです。しかし他人の評価は不安定なので、それを支えにすることは凄く危険なことなのです。
他人に認められて肯定されるために、何かをしないといけないと思っていました。だからガチガチに肩に力が入ってしまうのです。
しかしカウンセリングの体験で「このままで良い・・」と感じることで幸福を感じられると学びました。
やりたいことがそこまであるわけではないとリストを書くことで気付き、人生の意義を得るために「ひきこもり」経験を活かすということも無理があるように思えてきました。
自分の経験を活かして、社会的に意義のあることに取り組んだとしても自分の心が不幸なままの状態を私は望みません。
それなら「私が楽しい」と感じることを優先させてはどうかと思うのです。
だから、まず自分のことを「これで良い!」と思う必要もあります。ただ全面的に自分のことを肯定するのです。
そして無理に何かをしようと思うのではなく、楽しいことに忠実に生きていく。それだけで良いような気もします。今はそう思っています・・いや、思おうとしています。