怒られることについて
※思い出すと怒りがこみ上げてくるため、文章がやや暴力的になってしまうことをご容赦ください。
心が死んでしまった日の夜
ひきこもり生活から立ち直りかけていた頃、中学時代のツレ(浪人生)から面白い人(こいつも浪人生)がいるということで、ある人を紹介されました。
当日待ち合わせ場所に私は遅れて到着。それが彼には気に食わなかったらしいのです。その日の晩、本当に私は彼にボロカスにこき下ろされたのでした。
振り返って考えてみると、遅れたときに私は彼に謝らなかったらしい(そこらへんの記憶が曖昧)のです。
その頃私は大学に行くために予備校に通っていました。
これは大学ぐらい行かないと社会に出てから話にならないと、中学時代のツレにそそのかされたことが切っ掛けでした。
しかし、そのボロカスにこき下ろしてきた人に「お前の年齢で今更大学なんて言っても無駄!」と言い放たれてしまったのです。
面白い人がいると言う触れ込みでしたが、全然面白くない!!何度でも言う!全然こいつは面白くない!!
一丁前にこいつはメガネをかけていたのですが(やばい・・怒りがこみ上げてきた)、オーバースローでメガネの上から顔面を殴り散らしてやれば良かったと今でも後悔している。
このように今でもこの時の怒りは鮮度を保ったまま蘇ってきます。
当時の私は生きることに自信を失っていました。
いかに私が無価値でこれからの人生が悲惨で終わっているかと言うことをこのバ○は怒りまじりに言ってきました。
戯言だと鼻で笑っていれば何ということは無いのかもしれません。ここで1番良くなかったのが、それを私が真に受けてしまったと言うこと・・。
ああ・・やっぱり俺はダメなんだ・・・。
本当は泣きそうだったのですが、こいつの前では意地でも泣きたくないと思ったので、耐えることができました。
しかし、その後急速に胸の辺りから活力が奪われていき、感情が枯れていくのを感じました。
立ち直ろうとしていた私は、その翌日から予備校を辞めてしまい、再びひきこもり生活に戻ったのです。
二十年以上経った今でも1日しか会っていないこいつの名前は覚えているし、それだけ強烈な経験でした。やはりオーバースローで殴らなかったことが悔やまれる。
怒られることに敏感になる
それから人に対する苦手意識は拍車がかかっていきました。
23の頃に「社会的ひきこもり」の人が通うフリースペースに通い始めました。
思い返すとそのときに私は他のメンバーに対して、自分は他人と喧嘩をしないといけないと言うことを宣言していました。
きっとこのボロカスに言われた一夜が尾を引いており、それを乗り越える必要があると感じたから喧嘩という言葉が出てきたのだと思います。
軋轢・対立を必要以上に恐れていた私はこの恐怖心を克服しないといけないと思っていました。
でも人から怒られたり否定されることがどうしても怖い。一生経験したくないから人に会いたくない。
でも生きるしか道がない。生きるには仕事をするしかない。仕事をしていたら必ず怒られると思っていたので逃げることはできない。それならやはり克服していくしかない。だから誰かと喧嘩をして平気だったという認識を得る必要がある。その結果として喧嘩が必要だと思ったのです。
しかし、喧嘩相手をさせられる他のメンバーからしたら良い迷惑だ・・。
ボランティア時代
働き始める前に、障害者のデイサービスでボランティア活動を始めました。このときのデイサービスに私より年下の職員さんがいました。
私は今後の人生を考えて、いろいろな職種の人の話を聞いておこうと思い、このときは理学療法士さんのリハビリを見学させてもらうことになりました。
理学療法士さんの許可。そしてデイサービス内の他の職員さんからの許可もしっかりと得ていました。
リハビリの様子を見せて頂き、デイサービスの室内に戻ったときにこの年下の職員さんに捕まったのです。
ちょっと!勝手なことせんでくれる!!!!!
デイサービスの場を離れてリハビリに行った事が勝手なことに映ったようです。
きっと今なら「はあ?」と言い返していると思うのですが、このときは「怒られること恐怖症」があったので、言われた瞬間に全身に電気が走ったのでした(比喩ではなく本当に電気が走るような衝撃・・ってことは比喩か・・)。
その場で立ち尽くして動けません。
しかし私は逃げてはいけないと思ったのです。次の日は絶対に朝早くにデイサービスに行って、この年下の生意気な・・いや職員さんと顔を合わせないといけないと思ったのです。そうしないと逃げ癖がついてしまうと思ったからです。
翌朝は重たい気分のまま、湧き上がる恐怖心に抗ってデイサービスに向かったのでした。ボランティアなのに・・。
暴言を吐かれる
その後、私はフルタイムの仕事に就くことができました。
職場は重度心身障害者のデイサービス。その施設のプール活動があった日、駐車場からプールのある屋内施設を利用者さんの車いすを押して歩いていると、テニスラケットを持った女性が近付いてきたのです。
「かわいそうにね・・。本当にかわいそう・・。」
その女性は利用者さんに向かって可哀想を連呼するのです。私は思わず彼女を睨みつけてしまいました。すると突如激昂してきたのです。
「なんだ!その目は?お前のような奴が障害者の年金を食いもんにしてんだろうがよ!!もっと良い服着せてやれよ!!」
反論したのですが、あまりのぶっ飛びっぷりに無視を決め込みました。すると先輩職員が慌てて仲裁に入ったのです。
不快感はあったものの、自分の成長を感じることができました。
あれだけ怖がっていた他人からの怒りの感情を食らっても、私は気持ちを切り替えて何事もなかったかのようにプール活動を行うことができたのです。少しずつ自分は強くなっているんだなと感じました。
人から怒られる場面はその後も多々ありましたが、なんとかこの年齢まで仕事を続けることができています。
いるかどうかわかりませんが、私の若い頃のように人から怒られることがどうしても怖いと感じる人がいても、人は少しずつでも平気になっていくし、何とかなる可能性もあるということを知って欲しいのです。
これ以上怒りに任せて書いてしまうと、見るに耐えられない文章になってしまいそうなので、今回はこれでペンを置こう(パソコンを閉じよう)と思います。
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