ひきこもりの親の会に行くまでの要因。
「ひきこもり」から脱した要因
私は「ひきこもり」経験者。
私がひきこもり生活を送ることになった17歳の頃、ひきこもりという言葉はこの世にまだありませんでした。私のように家にずっといるような生活を送っている人間が他にいるとも思っていませんでした。
そんな私が23歳のときに「社会的ひきこもり」者が通うフリースペースに通い始めたのです。
私がフリースペースに通い始めた切っ掛けは「ひきこもりの親の会」に参加したことが始まりでした。
親の会に通い始めた切っ掛け
病院で精神療法の治療を毎週数年間受け続けて、放送大学にも行き始めていたのですが、人と話をすることができません。
精神療法の先生しか話し相手がいないので、人と関係を築くためにはお金を払わないといけない状態でした。
完全に人生は停滞していました。
ある日の病院からの帰り道。これから電車に乗って帰宅するのが心底嫌になりました。
家に帰ったらまた「ひきこもり」生活に戻るわけです。何も変わらない人生。もう何年もずっと一緒・・駅のすぐ隣にあった本屋に助けを求めるように飛び込みました。
求めるのはメンタルヘルス などの相談機関を紹介する本。とにかく情報が欲しかったのです。
周囲を見回して誰もいないことを確認してから、走ってその手の本棚の前にまで行き、隈なく探し続けるとピッタリの本がありました。
そこで紹介されていたのが「ひきこもり当事者の親の会」でした。そこに行けば何かしらの情報が貰えるかもと思ったのです。
ひきこもりから脱していこうと思った要因
ひきこもりから脱したいと心から願った要因は、この生活が辛かったことがひとつでした。
「俺・・将来どうなるんだ!!」という不安の塊が常に私の両肩にずっしりとのっかっているのです。だから何をしていても常に不安があるのです。
すると色々な異変が体に起こってきました。耳鳴り。息苦しさ。確認癖が止まらない。「死にたい」という考えが頭から離れない。頭髪が抜け落ちるイメージが頭から離れなくなる。意欲の欠如などなど。
当然ですよね。だって世の中で自分だけが社会から取り残されていると思っているわけですし、気を紛らわせるものもないのですから。誰でもこのような生活を送っていたらストレスを感じていくと思います。
社会の圧。
二つ目の要因は社会の圧を感じていたからです。
これは私の中学時代の友達に定期的に会っていたということです。私の中で「社会=友達からの反応」でした。
私は彼らに全く会いたくなかったのですが、完全に縁を切ることが怖かったので、無理矢理会うようにしていました(会った後は必ず翌日は一日寝込む)。
すると一緒にいるだけで辛くなってくるわけです。
私は精神科に通うことと、通信制の高校→放送大学に通っていること、家で本を読むぐらいしかエピソードがありません。
しかも精神科への受診は彼等に理解されないと思っていたので黙っていたわけですから、何も喋ることがなく本当に私は何をしている人なのか彼等に伝わらないのです。
一方で彼等は他県に出て行って一人暮らしを始めたり、学生生活を謳歌して進んでいるわけです。
家でひとりでいるときに取り残された感じはあってもリアリティーはありません。しかし友達と会うことで置いていかれた感をモロに感じるわけです。
そして友達といってもいわゆる「良い奴」ではないのです。女性経験の数などを露骨に自慢してくるし、ニヤニヤしながら説教してくる。「家にいて親のスネかじって楽しやがって・・」と言ってくる。「将来ヤバいで・・」と不安を煽ってくる。どう考えてもできそうにない雰囲気なのにコンパの数合わせで連れていこうとする。ナンパに連れていくなどなど・・。彼等は私が嫌がることを言ってきて面白がる一面もありました。その度に自分が惨めな気持ちになっていくのです。
きっと人って立場が違ってくると次第に話が噛み合わなくなってくるものなのだと思います。それで自然と疎遠になっていくのかもしれません。
仕事をしている人としていない人。家庭を持っている人と持っていない人。病気で障害を持っている人と持っていない人。それぞれで関心のあるものが異なるわけですから話も合わなくなってきて当然です。話題の共通点が無いから人は昔の思い出話に花が咲くのでしょう。
結局私はその友達と縁を切ったわけですが、反省することは多々あります。
まず彼等に理解してもらうためにもっと言葉を持っておけば良かったと思いました。また理解できないだろうと思わずに助けを求めることをすれば、違った結果になっていたかなと思います。
当時の私は理解されないことを恐れていたし、そもそも言葉で駆使して助けてもらうという発想すらありませんでした。
ところで話が変わるのですが、最近あの頃の友達はいまどうしているのだろう・・と思うことがあります。
きっと皆「お父さん」やってるんだろうな・・と思うのです。下手したらおじいちゃんになっている同級生もいると思います。
家庭もないし「お父さん」でもない周回遅れの私は、家庭を持っていなくても充実した楽しい人生を送っていこうと、最近になって吹っ切れつつあります。
女性
ダイレクトに女性も大きな要因です。
女性経験を積んでいる友達が素直に羨ましかったのです。
当時は対人恐怖症が強く、人と話をすることが苦痛でした。だから今のように女の子と話ができて楽しいという感覚など全くなくて、ただひたすら性欲のみでした。
このような話はタブーな気もしますが、性欲は立派な生きる原動力だと思っています。このようにサラッと女性と書きましたが、これが私の中で1番大きかった「ひきこもり」から脱する原動力だったかもしれません。
ひきこもっていた時のストレスからくる症状のひとつに「頭髪が抜け落ちるイメージ」があったと先ほど書きました。
私は皆から遅れをとっているので、そのうえでここでハゲちまったらおしまいだと思っていました。
ハゲたらますますモテない。そのうえ髪が薄い状態で社会復帰しても見た目で老けてみられたら「大人扱い」されてしまって、周囲の目が厳しくなるのではないかと不安でいっぱいでした。
だから私の中で合言葉のように「ハゲる前に飛び出せ!」と思っていましたし、髪を洗って抜け毛が多いと、血の気が引いていました。
最後に
「ひきこもり当事者の親の会」の中に当事者が通うフリースペースを運営してるスタッフさんがいました。
その繋がりでフリースペースに勇気を出して通い始めました。
そこからはまた3年ほど時間は掛かったのですが、社会復帰への道筋が生まれていったのです。
フリースペースなんて意味が無いという考えの人もいます。家からフリースペースに行っても「ひきこもる」場所が変わるだけという意見なのですが、私はフリースペースがあって本当に助かりました。
人を癒すのは人の力と昔、精神療法の先生に言われたことがありました。スタッフの方達がひたすら私のことを褒めて励まして後押しをしてくださいました。それで少しずつ私は人に対する認識が変わっていったのです。
フリースペースの存在が今の私につながっています。本当に勇気を出して一歩踏み出して良かったです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?