現実と思い込みの区別がついていない。
僕は自分のことを世界一かっこいいと思っているいる。
私が精神科でカウンセリングを受けていた時期、待合室で他の患者さんとお話をする機会がありました。
彼は精神療法の先生を敵視しているようで、ボイスレコーダーを持ち込んで治療に臨む患者さんでした。
そんな彼がこのようなことを言うのです。
「僕は自分のことをかっこいいと思っていて・・。世界一かっこいいと思っているんですよ・・」
私は目が点になりました。大抵の人間のおかしな(?)ところは「そんなこともあるよね〜」と受け入れるタイプなのですが、真顔で世界一かっこいいと思っているどこにでもいるようなルックスのこの方に対して言葉に窮してしまったのです。
何が正しいのかわからなくなってくる。
振り返ってみると私も誇大妄想の中で生きている人間です。
誇大妄想は私の中で希望なのです。
誰よりも自分は素晴らしい人間であり、素敵で魅力的であり、賢い人間であると思っている節が私にもあるのです。
しかしそれを人に尋ねることはできません。
誇大妄想を否定される可能性に薄々気付いているので、自分の殻の中に閉じこもっていたいのです。自分の殻の中にいることが心地良いからです。殻の中に希望があります。しかし殻に閉じこもったままだと事実を知るのが怖いので行動もできないし、世界が狭いままになってしまうのです。
人間は誰しも妄想の殻の中で生きているのかもしれません。
パート時代の気付き
パート時代。私は知的障害者の作業施設で補助員として働いていました。
そのときの心理は、同じ空間でリーダーの男性が事務仕事を行なっており、ずっと彼に監視をされている気分でした。
出入り口前にデスクが設けられ、リーダーがそこでパソコンに向かってカタカタやっているのですが、たまに手を止めて作業を行なっていた我々の方をじーっと見ているのです。
この仕事の何が正解なのかわかっていませんでした。わからないので職員さんに私は何をしたら良いのか尋ねてみるのですが、「今のままで良いです」とトンチの様な返答。
「おい・・お前・・ちゃんと仕事しろよ?」と内心思われていないかと常にビクビクしながら仕事をこなしていたのです。
するとあるときに気付くのです。
リーダーは私の仕事っぷりを見ているのではなく、ただ利用者さん達の様子を見ているだけではないか?
私の仕事っぷりがダメかもしれない・・と思っているけど、それはただ私がそう思っているだけではないか・・。
「私の仕事っぷりがダメ」と感じていたことはただ私が思っているだけで、事実ではないということに突然気付いたのです。
するとこれまで苦しんでいたことがするすると解決していったのです。
対人恐怖症で人が怖いと思っていたが、人が考えていることはそれぞれである。私に対する思いもそれぞれ。私に対して仕事ができないと思っている人もいれば、立派にこなしていると思っている人もいる・・。事実はその人に聞いてみないとわからない。
それは私の頭の中にある考えが全てではないという気付きでした。
カウンセリング
そう言えばカウンセリングを受けていた時期によくお医者さんに突っ込まれていました。
僕「仕事って辛いじゃないですか・・だから僕は働くのが怖いんです・・。」
医者「・・・仕事って辛いの?誰が言ったの?僕は仕事は楽しいけどね〜」
僕「僕は弱い人間なので・・。」
医者「えっ?弱いの?何が弱いの?」
僕「怖くて人と話ができないし・・仕事もできない・・」
医者「僕と話してるじゃない・・仕事も前にバイトしたことがあるって言っていたけど・・」
この様なやりとりを経て、事実だと思っていたことが思い込みだったことに気付くのです。
フリースペースのメンバー
「社会的ひきこもり」時代から抜け出すときに、私はひきこもり当事者の通うフリースペースに通っていました。
その中のメンバーに要するに「知ったかぶり」をする人がいたのです。
彼はことあるごとに何でも知っている風にいかに仕事が大変かという話や、その他ネガティブな話をメンバーにしてくるのです。
当時自信を喪失し、世の中のことを何も知らないという劣等感があった私は、彼の言葉にモロに翻弄されたのでした。
しかし彼のことを知ると、彼もバイト経験が一度あっただけで、実体験から出てきた言葉ではないということに気付くのです。
私の頭の中で感じていることだけが事実ではないし、人の言っていることだけが事実でもない・・。
実際に色々と経験してみて、様々な事実があることを知っておくことは重要だと思いました。
殻を破った方が良いのか?
ここでまた殻の話に戻ります。
殻を破って事実を知った方が良いという考えが私の中にあったのですが、殻を破る必要もないと思うようにもなってきました。
まず他人の評価は不安定なのです。1人の人からの評価でもその時々になって変わってくるのです。例えば愛し合って結婚したカップルが数年後には離婚するわけです。
また人によって物事の評価も様々なわけですから、他人からの評価を支えにすることは危険なのです。
となると、結局自分が自分のことをどう思うかが重要なのかもしれません。
甘々な誇大妄想の中で私は生きています。その甘々誇大妄想は環境や人によって(家族や彼女は私のことを素敵な人だと、きっと思っているはず・・)は正しいのです。
それなら私は私の味方であっても良いと思います。
殻を破って事実に生きるのではなく、人によって評価は異なってくるということを知っておくだけで良いのかもしれません。
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