「ひきこもり」についてのあれこれ。
ずっと昔のこと。私は「社会的ひきこもり」状態に陥っていた。
その当時の生活圏は自宅と通信制の高校。そして病院。ときどき通う映画館。
この4箇所が全てだった。
生活リズムははちゃめちゃになっており、夜になってバキバキに目が覚めて、人々が活動的になる午前中に眠るという生活を送っていた。
そんな私が何年間か時間をかけて、26の時にパートの仕事に就くことができるようになった。
振り返ってみると、それは奇跡だと思う。
何が奇跡かって、前向きに行動ができた自分の性格はたまたまのものだし、見守ってくれていた家族にとても恵まれていたと思うし、私が行動を起こすと多くの人がサポートもしてくれた。
当時の私は無意識のうちに小天狗のような心境になっていたが、一言でいうとただ単に運が良かっただけなのである。
あれから18年経ち私は44歳になった。
正規職員(これも奇跡的になれた)。独身(つい最近14年間お付き合いしていた彼女と別れた)。
26歳のパートの時期に比べると、まあ随分と成長したものだと思う。
家の中を整理すると懐かしいメモ帳が出てきた。
それを開いてい見てみると「ひきこもり当事者の親の会」という見出しがついており、その下にひきこもり生活で感じたことが走り書きされていた。
今回はその走り書きされた内容を紹介したいと思う。
ひきこもる前の性格傾向。
人より優っていないと落ち着かない
メモ帳にそのように書かれていた。
これは私の性格傾向について書かれたものだと思う。
高校時代に自分の「ウリ」が何かということに悩んでいた。そしてこれはひきこもり後にも続く私の悩みであった。
ポイントは悩みであるという点。
当時の私は悩みながらも「ウリ」を見出す作業を行なっていなかったし、「ウリ」を作り出す作業も行なっていなかった。
解決する思考や行動力が伴っておらず、ひたすらウジウジしていたのだった。
優っていないと落ち着かないわけだから、とにかく人と一緒にいることが苦痛で、自然と私は孤立していった。
優っていたいという願望は今でもあるが、歳を重ねて自分のことを知るようになると、優っている喜びだけではなく、好きなことを体験する喜びなど、喜びの幅が拡がっていったように思う。それで何とかなっている。
過ごし方についての反省点。
ひきこもり中の意識の向け方に思うことがあったのだろう。このような一文もあった。
原因を探しても掴めない。
それなら、自分のやりたいことをイメージし、そこに向かって動くこと。
当時の私はひたすら何故自分がひきこもってしまったのかという原因ばかりを考えていた。
原因を見つけて解決策を見出していかないと、社会復帰した時に同じような原因で再度ひきこもってしまう恐れがあると思っていたからだった。
「ウリ」の時と比べて、自分で原因や解決策を考えるようになったのは進歩だったと思う。
しかし自分が体験してみて、「これが原因か?」と思うことがあっても、それは飽くまで仮説なのである。
結局本当の原因はわからなかった。
原因探しに没頭しても時間ばかりが過ぎてしまう。それなら原因は置いておいて、自分が家の外に出てやりたいことを見出す方が生きる原動力も湧いてくると思った(社会復帰後にそのように思った)。
そのために自分が何に喜びを感じるかを知る作業が必要になる。
自分を知るためには感情に蓋をせずに素直になる必要もある。
また自分を知るために体験することも必要になってくる。
ここで壁にぶつかってしまう。体験するためには外に出ないといけないということ。
私はひきこもりの人たちが通うフリースペースに数年間通っていたのだが、他のメンバーは趣味を持っていたし、「楽しい」という言葉を発していた。
彼等はプラモデルを作ったり、イラストを書いたり、料理をしたり、ゲームをしていた。
なんだ・・ひきこもっていても「楽しい」は体験できるのか・・。
ただ当時の私には「楽しい」という言葉が無かった。
ひきこもり期間中に楽しんでしまうと、ますます外に出られなくなると思っていたので、楽しむことを自分に禁じていた。
それで何が楽しいのかがわからなくなってしまったのだった。
社会復帰をしてから「楽しむ」スタンスが必要だと気付き、「楽しい」感覚を取り戻す作業を行なっていった。
そして44歳になって、日常生活に喜びの時間を作り出せるようになっていった。
サウナにいくとスッキリするし、カフェで読書をすると充実感もある。そしてこの前は1人で海水浴にいった。日光を浴びて海水にプッカリと浮かぶ。
変なおじさんとして海水浴客の中で浮いてしまわないかと心配したが、自然の中で「無」になって過ごす時間が心地良く、他人の目はどうでも良くなっていった。
あっ・・これが楽しいという感情か・・・。
社会復帰以降、そんな自分の体を通した実験のような日々が続いていった。
この社会という世界観。
社会に出ると傷付く。
社会は厳しい。
このような前提があったから、社会復帰の前段階でビビってしまい外に出られない。
強靭な精神を得ようとしている。
強くなってから出ようとすると、いつまで経っても前に進めない。
メモ帳にこのような一文もあった。
強靭な精神と書いてあるが、人の言動に微動だにしない精神状態と漠然と思っているだけだった。
本気なら、さっさと家から出て、人の輪に飛び込んでコミュニケーションをとれば良い。
私はそれができなかった。
強靭な精神を手に入れられれば・・という言い訳のもと、ダラダラと家の中で生活を続けていた。
この社会は辛いことや苦しいことばかりだと思っていたから、出ていく前から尻込みをしていた。
実際に社会に出ていくと、辛くも楽しくもない日が圧倒的に多かった。
人付き合いで過剰に気を遣い、疲弊することがあった。また不本意なことも時としてあった。また人に対して怒りや不快感。生きることに絶望するときもあった。
しかし親切な人も多いし、同僚にはちゃんとしてない人も結構いる。だから俺って結構頑張ってるな・・とも思えた。
また先ほどのように日常生活で楽しいと感じることも増えてきた。
生きていて辛いのは湧き上がる劣等感や、自己卑下。
しかしこれは他人に何かをされたというより、自分の内面からこみ上げてくるもの。
結局、自滅の思考なのである。
思考の問題だから何とかなる。
例えば体をしっかりと休めるとか、マインドフルネスを体得するとか。
この世界が地獄か天国かは生きてみないとわからない。
昔、私が受けていた精神療法の先生の言葉を付け加えておく。
当時の私はこの言葉を聞いて、なんと理不尽で不公平なんだ・・と思っていたが、今なら何となくわかってくる。選択の問題なのかもしれない。
ひきこもりから脱した原動力
「楽しい」という感覚もわからないまま。それに加えて社会は怖いという世界観。そんな状態でどうやって私は家から出ることができたのか?
それは以下の3つがあったから。
プレッシャー・死の恐怖・性欲
「甘ったれんな」「お前女性経験何人?」「いつまでそんな生活続ける気なん?」
中学の頃からのツレたちが、私のためを思ってとかではなく、ただ純粋に優越感を感じて薄ら笑いを浮かべながら発してきたこれらの言葉。
友達は大切という価値観のもと私は無理をして極たまに彼等に会っていたのだが、それが不快で、プレッシャーになっていた。
また老いの恐怖。両親の死への恐怖もあった。
そして最も大きいのが性欲。リビドーに私は突き動かされたのだった。
ひきこもり経験のメリット
私は今でもひきこもり経験にこだわっている。
ひきこもり経験が大きな劣等感となっている。
高校もまともに行けなくなり、大学も行けずに30代になるまで就職ができなかった。
時間を浪費し、大きく同世代から遅れをとってしまったことが可能性を狭めてしまったのではないかと感じている。
あのひきこもり経験とはいったい何だったのか?メモ帳にひきこもりのメリットという一文があった。
自分が変わるということを体験できる。
努力する快感を知れる。
家から出かけることすら大きなハードルとなっており、買い物などができなかった。生活リズムもめちゃくちゃだったし、人と話をすることもできなかったし、仕事もできなかった。
このようにスタート地点が底のような状態だったので、人が当たり前のようにこなしていることが、私にとっては大きな成功体験となっていた。
バスに乗れた。電車に乗れた。人混みの中を歩けた。でもそれは誰でもできることだから今更それができたとしても・・いや、そんなことは言ってはいけない。
意識的に成功体験として大切にしていかないといけない。
できなかったことがたくさんあった状態から立ち直るのは、宝の山が目の前にあるようなものだと思う。
できなくなった経験を味わってみないと、できていることが当たり前になってしまうので、新しい経験に感動することが少なくなっていくと思う。だから私は人より多く感動できる体質になっている可能性がある。
また仕事をしていて感じることだが、他人の「できない」ことに比較的寛容な方だと思う。何故なら私はもっとできなかったわけだから。
同僚が陰口を叩くような場面でも、どこか毎日仕事をしているだけで立派という感覚が私にはあるので、同調して陰口を叩く気になれない。
ほんの少し寛容さを手に入れることができたのが、ひきこもりの財産だったのかもしれない。
本音を言うと、もっとメリットが欲しいところだが・・。