ひきこもりと幸福について。
生活が楽しいという感覚が理解できないようだ・・・。
「ひきこもり」生活を経験したメリットを考えていたある日のこと。職場の同僚との会話であることに気付きました。
同僚「そんな普段から楽しいことってある?」
私「あります。僕は毎日楽しいですよ!」
同僚「えっ?何があるん?SAVAS?」
ちなみに同僚は、私が筋トレをしてプロテインを飲んでいることを度々いじるのであった。
私「いえ・・プロテインは夕飯前に飲むだけです・・。普段の生活を送るだけで楽しくないですか?」
同僚「意味がわからん・・生活ってなに?」
これまで自覚がなかったのですが、ひきこもり生活を経たおかげで私は「楽しい」や「幸せ」を感じやすいタイプの人間になったようです。
幸福になろうと思ってから取り組んだこと。
32、3の頃に、これまでの自分の生き方は間違っているのではないかと疑問を持つようになりました。
そこから斎藤一人さんの本を手当たり次第に読んで「言葉」「感謝」「笑顔」などが大切なのだと学びました。
といっても、いきなりそれらを自分のものすることはできず、まずはAmazonなどで「感謝 本」「笑顔 本」などで検索をかけて、感謝に関する本や笑顔に関する本などを5冊ずつ購入することから始めました。
それらを片っ端から読んでいき、具体的な実践方法を紙に書き出しリスト化していきました。斎藤一人さんを筆頭に本に書いてあることを本気で取り組んでみると、数ヶ月で大きな成果が生まれたのです。
それで2つのことに私は気付きました。ひとつは本に書いてあることを本気になって取り組めば、人生を変えるほどの力があるということ。
そして、その本に書いてあることを実践して継続する人は案外少ないということです。
そもそも考えていることが間違い
ひきこもり時代に主に何を考えていたか?
それは「苦手なことには逃げずに取り組む」こと。
また、「あえて苦しい道を選択することで人間は成長していく」ということでした。
つまり苦しいことの先に幸福があるという価値観で、それが正しいと思っていました。
しかし、どうやらそうではなく、「幸福」はいますぐその場で決断すればなれるものなのだそうです。
必要なのは素直な気持ちで、やりたくないことは極力避け、やりたいと思ったことは余計なことは考えずに行動するということです。そのために自分の本心を知る必要がありました。
以前に他の記事でも書いたことですが、「ひきこもり」時代に私は楽しいという感情を抑えてきました。
「ひきこもり」生活が楽しいと感じてしまうと、外に出て苦しい目にあったときに再びひきこもってしまう恐れがあると思ったからです。
だからひきこもっている間は、なるべく苦しむことを意識するようになっていきました。
しかし、ひきこもり当事者の通うフリースペースに行き始めてから風向きが変割りました。
「ひきこもり経験者」はそれぞれに趣味を持っており、それぞれで楽しさというものを「ひきこもり」生活中に味わっていたのです。それが私は悔しかったのです。
もしかすると苦しまなくてもひきこもり生活から脱することができたのではないか?それは受け入れられないことでした。
私はフリースペースのメンバーの中で、誰よりも早く脱することを意識していきました。自分のやり方が正しかったと思いたかったからです。
ここで負けてしまうと、私のこれまでの苦しみが意味のないものになってしまうと感じたからです。
普段の生活の楽しみ
32、3の頃に、自分の生き方は間違っているのではないかと疑問を持ち始め、何度も幸せになろうと決意しました。
今は仕事終わりにカフェに寄ったり、マッサージを受けたり、映画を見たりすることに幸せを感じます。
また帰宅してから晩飯を食べずに床に就き、夜中の3時ごろに起きて読書をしたり、ジムに行ったり、仕事前にカフェに行ってモーニングを食べるなど、自分の判断でスケジュールを変えることにも喜びを感じるようになりました。
ポイントは自分の裁量で選択できるということです。それが「ひきこもり」時代の私にはできないことでした。
できなかったことができるようになったから喜びが大きいのです。
自分なりのひきこもりのメリット
およそ9年間、「ひきこもり」もしくは「社会的ひきこもり」生活をおくってきました。
ひきこもり当事者の通うフリースペースのスタッフさんからは、長い人生を考えたらそれは大したロスではないと言われましたが、やはりこの時期を経験することで、多くの機会を損失したと思います。
その損失と引き換えに得られたことが、まともな生活が送れなかった故に幸せを感じるハードルが人より低くなったということかもしれません。
服を買うこと。映画を観に行くこと。ネットカフェに行くこと。そして海水浴に行くこと。昔の自分には全てできないことでした。
それが今では、自分の裁量で生活をおくり、なんの躊躇もなく出かけることができるようになりました。それがとても嬉しくて誇らしいのです。何故か?それはずっとできなかったから。
先ほどの「毎日、楽しい」という感覚を同僚に説明するためには私が以前ひきこもり生活を送っており、外出もままならなかったことや、人と関わることもできなかったこと。もちろん仕事もできなかったという前置きが必要になっていきます。
そんな話を職場の同僚にする必要はありません。
できなかったことが人より多かったこと。だから、できるようになったことも人より多くなり、必然的に人より喜びを感じる機会が多くなったのです。
このようにして私はいつの間にか幸せを感じやすい人間になっていきました。
だからあながち「ひきこもり」も悪くないかも・・・いや、やっぱり経験しない方が良いな・・。
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