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元ひきこもりと犬。
昔我が家では犬を飼っていました。
ゴールデンレトリバーのメス。
名前は「シータ」。
母と姉が天空の城ラピュタのヒロインから取った名前です。
外で「シータ」と呼ぶのが恥ずかしかったのですが、時間が経つとその感覚も麻痺してきて、どうでも良くなっていくのですね。
と言っても私はあまりお世話をすることがなく、ひきこもり生活とシータを飼っていた時期が被っていたため、荒んでいた私にシータがなつくことはありませんでした。
シータは大きな音が嫌いです。
ある日雷が鳴るとシータは血相を変えて走り出し、家族の各部屋に回ってのしかかってきました。
父や母のもと、また姉の部屋に突撃するのですが、私の部屋の前にきた途端に立ち止まりそのままUターンするのです。
私がそれほど懐かれていないこともあったのですが、部屋がとにかく荒れに荒れていたので足の踏み場がなかったことも原因でした。
パニックになっている様に見えたのですが、足の踏み場が無くて引き返す冷静さも彼女にはあったようです。
犬が嫌い
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子供の頃は犬が嫌いでした。
不思議なもので嫌っている人のもとに犬は寄ってくる習性がある様な気がします。
子供の頃、マンション裏の河原の土手で友達と座り込んで、ボーッとしていると背後から突然右耳を舐められたのです。
はあ・・はあ・・はあ・・ベロベロベロ!
野良犬でした。
私がウワーッ!!と悲鳴をあげると、友達もウワーッ!!とか言って叫んで私を置いて逃げていきました。
その体験が強烈すぎて、犬が苦手になったのかもしれません。
しかし犬は私が逃げると追ってくるのです。
他の時にも野良犬だー!と子供たちが一斉に逃げても何故か犬は私を目掛けて走ってくるのです。
野球やってるときの守備で、「来るな・・来るな・・」と思っていたらボールが飛んでくるあの感覚に近いものがありました。
犬を飼う
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ひょんなことから犬を飼う様になりました。それから私は犬が好きになりました(荒んでいたけど)。
四国のお遍路を行っているときに小高くなった河原で休んでいると、一匹の犬が先ほど私が歩いたばかりの石橋の上を走って、こちらに向かってきました。
その様子を何の気なしに見下ろしていると、その後をもう一匹走ってきて、そのすぐ後をもう一匹走ってきたのです。
1番最初に走ってきた犬が後から来た2匹と戯れあってワンワン吠えていたと思ったら、2匹に襲われていただけでした。
私は立ち上がって咄嗟に金剛杖を振り上げて、河原を下って救出に向かいました。
人間が「うおーっ」と叫びながら向かっていくわけですから、野良犬でも怖かったのだと思います。一斉に2匹の犬は散って行きました。
すると襲われていた1匹はその場に残り、私を見上げていたのです。
歩き始めると、その犬は付いてきました。
あまりにもずっと付いてくるので、少し怖くなった私は「付いてきたらいかんよ・・」と言って追っ払ったのでした。
また香川のある札所を訪れた時には山門を潜って下山していると、山門付近に数匹いた野良犬のうちの一匹が私の前を歩き始めました。
しばらく歩くと立ち止まって振り返り、私が近づくのを待っていました。
一定の距離を置いて私の前を歩き続ける野良犬。距離が離れると待ち、近づくと歩き続ける様子は私に下山する道を教えてくれている様でした。
きっと案内することでエサを貰っていたのだと思うのですが、渡すものも無いし、ずっと付いてこられるとそれはそれで迷惑なので、距離が開いた時に脇道に逸れて巻いたのでした。
犬って実は賢いのですね。
自責で苦しむ日々
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ひきこもり生活から脱して働き始めた頃、しばらく仕事から帰る途中で自責や嫉妬や怒りに駆られることがありました。
ひきこもり生活から脱したのは良いものの、報われた感が無かったからです。
もちろん娑婆の世界はひきこもり生活より全然マシだったのですが、人が経験していることを自分が経験していない感覚があって、他人がとても羨ましく感じたのです。隣の芝生は青いというのでしょうか?
私は家族に当たり散らしていました。そして当たり散らした後に罪悪感に襲われていました。
やってはいけないと思っていながらも、自分の感情がコントロールできない日々が続きました。
私も家族も消耗してしまいます。
だから当たり散らすのは止めようと思いました。
そして何とか自分のこの負の感情を押さえ付けようと思い、この日は帰宅するとすぐに部屋にこもって頭から布団を被って過ごしました。
湧き上がるのは悔しさとなぜ自分がこの様な目に合わないといけないのかという怒りなどで、布団を被りながら「うーーーーっ・・・」と呻き声を上げ続けていました。
うーーーーーっ・・うーーーーーーーっ・・・・・うーーーーーーーっ・・・・・ドサッ!えっ?
体に何か重みを感じたので、布団をめくってみると目の前にシータの大きなお尻がデーン!とあったのです。
そしてお尻の上からシータの顔がひょこっと出てきました。
見返る様な格好で私の顔を覗き込んでいました。
犬って表情があるのです。嬉しい時には嬉しそうな顔になるし、驚く時には目を見開くし、怒っている時には目が吊り上がるのです。
そのときのシータの表情は心配した顔というか、呆れた顔というか、力の無い表情でした。
懐かれていない私の傍にやってくることは稀なので、犬ですら私の様子に異変を感じて心配しているのだなと思い、情けなくなって我に返りました。
家族に当たり散らしているときは結局他人のせいにしていただけなのです。
これまでの人生は過ぎたことです。
私の人生は私のものです。
だから、これからの人生を変化させていくのは自分なのです。自分で人生を豊にしていくことに長い年月をかけて気付くことができました。その切っ掛けを与えてくれた一人(一匹)がシータでした。