「偶然の入社」から「ホンダF1総監督」へ。木内健雄氏と振り返る闘いの日々
皆さんこんにちは、本田技術研究所 先進技術研究所の小川です。今回は、スペシャルゲストとして、かつてHondaのF1プロジェクトリーダーを務められ、私のF1時代の恩師でもある木内健雄さんをお招きしています。
現在は株式会社東陽テクニカの取締役CTO/技術本部長を務められる木内さん。#6でお話ししましたが、当時、HondaJetの開発からF1プロジェクトへと異動した私は、もともと航空機開発をしたいとHondaへ入社したこともあって、少しへこんでいました。それでも再び熱意を持ち、開発に携われた背景には、間違いなく木内さんの存在があります。
せっかくお越しいただいたので、前後編の2回に分けて、当時のことはもちろん、今はHondaを離れられた木内さんから見たHondaの課題などについて、たっぷりお聞きしていきたいと思います。
スタンスは「どんな仕事でもおいしくいただく」
小川:木内さん、今日はお越しいただきありがとうございます! F1時代からずっと、大変お世話になっています。ぜひいろいろとお聞きしたいのですが、その前にあらためて、木内さんのこれまでのご経歴をお聞きできないでしょうか。
木内:こちらこそ、今日はよろしく。まずHondaに入社した辺りから話そうかな。
実はHondaに入ったのは、偶然みたいなところがあるんだよね。大学の専攻は電子工学で、研究していたのはプログラミングだし、もともと外資系IT企業の内定もあった。でも、日本のメーカーもちょっと見たいなと思って大学の教授に相談したら、紹介されたのがHondaだった。
というのも、当時はエンジンの電子化に注目が集まり始めたころで「お前の研究内容を生かせそうだ」と。それでさっそく願書をもらおうとHondaのオフィスに行ったのだけど、就職活動をするのに願書なんてあるわけがない (笑)。当時は就活のことをよく分かっていなかったんだね。受付の人が困っていたのをよく覚えているなあ。
でも、ちょうど人事課の人が相手してくれて、2時間くらい話せたのは運が良かった。次の日、研究室に言ったら教授に「お前、昨日Hondaで何したんだ?」と呼び出されて。詳しく聞くと「内定が出た」と。Hondaとしてはエンジンの電子制御に取り組み始めたのは良いけど、社内に専門家がいないから、とにかく人を欲していたらしいんだよね。
そんなこんなでHondaに行くことになったけど、特別クルマが好きというわけでもなかったし「もともと勉強していた電子制御に加えて、エンジンのことに詳しくなれば、得意なものが増えるな」くらいの考えだった。
小川:ちょっと意外ですね。そこから、仕事が面白いと感じたのっていつごろでした?
木内:うーん、そんなことを感じる暇もないほど忙しかったからなあ(笑)。でも、考えると「何でも楽しもう」くらいに考えていたかも。クルマに詳しくないし、エンジンのことももちろん分からない。だから、どんな内容でもまずは自分の知っている電子制御から考えるようにして、とにかく世界一にするのがモチベーションで、本当にいろんなことに取り組んできた。
だから、今までやってきたことと違う内容に取り組むのも全然嫌じゃないし、結果的にHondaが「初物」として取り組む領域を任されることが多かったかもしれない。そういう仕事って、結構「エリート」の人は避けるでしょ。でも、僕は電子制御という一種の「傍流」。「どんな仕事でもおいしくいただきます」ってスタンスでやってきたから、最後には「平時ではなく有事の仕事を任せる人」みたいな立ち位置だったかもしれない(笑)。
実力は「まだまだ」なのに、内向きに満足していた
小川:そういう人は自然に社内で目立っていきますよね。私がHondaJetを離れたときも、既に木内さんは社内の「有名人」。そんな方からお声がけいただいたのは、とても光栄でした。当時はどのような経緯で、私に声をかけてくださったんですか?
木内:あのころは、Honda F1第3期と呼ばれる時代だけど、エンジンと車体両方に取り組んでいた。最初はこれまでと同様のやり方で組織をつくっていたんだけど、なかなかうまくいかなくてどうしようか模索していた時期だった。
話を聞いていると「エンジンが重い」とか、いろんな課題が見えてくるんだけど、それを社内に持ち込んでも、なかなかみんな興味を持たないんだよね。というか、現場に出てはいけないみたいな空気があって、みんな目線が内向きになっていた。
そもそも、当時は学生が使うような設計ソフトで開発していたし、マシンの断面を切ると直方体に近いくらいで、「まだまだ」の状態だった。それなのに現状に満足している組織を変えないといけないと思って、任せられる人材を探していたんだよ。中でも車体と空力は自分の専門外なこともあって、特に力のある人を探していた。
そんな背景があって、実は最初は藤野さん(HondaJetの開発責任者)に声をかけたんだけど、まだHondaJetから手が離せないとなって、今度は社内で「空力の目利きがいる」と噂になっていた小川さんに声をかけることになった。
小川:藤野さんの次とは、非常に光栄です(笑)。実はHondaJetから離れることになって、ちょっと落ち込んでいた部分もあったんです。でも、木内さんとお話しして「現場に近い感覚を持った方だ」という印象を受けて、考えが変わりました。
なかなか現場とマネージャークラスが話す機会ってないじゃないですか。しかし、木内さんはとてもフランクで、しかも空力のツボを理解されているなあと感じて、面白いチームなんじゃないかと、やる気が出たのを覚えています。
木内:あらためて当時を振り返ると、結構むちゃくちゃだったよね(笑)。従来のプロジェクトとは違った人の集め方をしたから、空力のチームにデザインの組織から人を引っ張ったりもしたし。
小川:それが逆に良い効果を生んだ側面もあると思います。専門的な理論を知らなくても、人間って現場を見ていれば自然に学習していくものですし、そういう角度からしか生まれないアイデアってあるじゃないですか。むしろ、専門家で固めるよりもそうした「変なこと」を考えられる人がいる組織の方が、強いと思います。
栄光の第2期を経験していたからこそ感じた課題
小川:木内さんは、6年連続でタイトル獲得を果たしたHonda F1第2期も経験されていますよね。第2期と第3期では、チームの雰囲気も違いましたか?
木内:僕が第2期に入ったのはレースに勝ち始めたタイミングだった。その前に結構苦しい時期が続いていたんだよね。特にエンジンに苦戦していた時期で、いろいろと試して、結果的に「当たり前」とされているものとは違うアプローチで勝てるようになっていった時期。そして、今度はそのエンジンがレギュレーションによって規制されたことで、新たに電子制御でブレークスルーできないかと、僕が担当になった。
だから、第2期はどんな「当たり前」でも、勝つという大目的のために疑って試行錯誤できるメンバーが多かったけど、第3期はこの点がちょっと物足りないスタートだったかな。
小川:確かに「F1のプロジェクトに参加しているだけで満足!」と感じているメンバーも多いような印象がありました。あとは、とりあえず「言われたことをやる」「周りで目にしたものをそのまま自分もやる」といった、ちょっと受動的な空気もあったように感じます。
木内:まあ、第2期ではHondaはエンジン開発がメインで、第3期は車体や空力まで含めで内製する必要があったから、難しさがあったのも事実。車体のどのファクターがタイムに影響しているか分からない人も多かった。「タイムを改善できるパラメーターを3つ出せ」と課題を出しても、答えられない人がほとんどだったよね。
あとは、何も考えずに業界の前例を踏襲する人も多かったから、これは変えていった。コーナーを曲がるときには重心をマシンの真ん中にした方が良いよね。それで「出力を落としても良いから、とにかくエンジンの前の方に重いものを配置しろ」と伝えたら「出力を下げるなんて聞いたことがない、そんなことはできない」と言われたこともあった。
小川:技術の世界は、理論の基礎を徹底した先に、理論をベースにしつつ経験も交えながら「まだ誰も知らない答え」を導いていくのが面白いのですが、そもそも基礎の部分がまだまだだった、と。
木内:ホイールベースすら毎年ブレてたんだから。まあ、いろいろ苦労したけど最終的にはエンジンの重量も大幅に軽量化できて、一方で出力もどんどん上がっていったのは面白かった。エンジンのめどもある程度ついたし、さあ今度は車体と空力だ――と思ったときにいろいろと組織の変化があって、その他にもやることが増えたのは大変だったけど(笑)。
好意的な見方をすれば、状況に応じていろんな経験ができる、というのはHondaの良いところ。そこで「めんどくさいなあ」と思わずに、いかに楽しめるか。あとは、失敗することを恐れないのが重要だなと感じるな。
「世界一」「世界初」のために、キーパーソンをいかに押さえるか
小川:第3期のときの思い出で、私が特に覚えていることとして、「何のためにF1をやるのか」を議論している人が多かったんですよ。そんなの「勝つ」以外ないじゃないですか。
木内:そうだね。目的をわざわざ他のところに求めるのは、1位になれない負け惜しみに過ぎない。特に小川さんが今見ている研究開発部門は、世にないものを発案してなんぼの世界なんだから、守りに入らないようにしないとね。昔は提案したら常に「世界一か」「世界初か」と聞かれて、違ったらすぐ却下された。でも最近は「日本初」「Honda初」とかにスケールダウンしている点はちょっと心配している。
小川:効率が必要以上に重視されがちですからね。組織が大きくなってしまった代償でもありますが……。
木内:組織が多いと、どこに誰がいて、どんな情報を持っているかがなかなか見えなくなる。僕は幸運にもいろんな組織を経験したからたくさんの人を知っていて、F1プロジェクトにも多くの組織から人を引っ張ってこられた。第4期がなかなかうまくいかなかったのは、こうした“人”の情報が不足してしまったことも背景にありそうだよね。
小川:技術においてどんな点がポイントなのか、知っている人を押さえておくのは本当に重要です。今、Hondaの研究開発は全体で1万人以上が活動していますが、これだけいれば、現場で生まれるだいたいの疑問に対して、答えを持っている人が1人はいるはず。そうした人をいかにキープして、引き上げられるかが今後の課題だと思っています。和光と栃木を何度も行き来して、幅広いネットワークをお持ちの木内さんから、アドバイスをいただけないでしょうか。
木内:「これ」といった答えはまだないけど、どこにどんな人がいる、そしてどんな能力を持っているかが分かって、状況に応じてサポートしてもらえる「人材バンク」のようなものがあっても良いんじゃないかな。
それに、今は人材の流動性が高まっているから、社内だけに目を向けていては不十分になりつつあるのもポイント。これまでと違って人の出入りが多い状況で、いかに会社の中へ資産や価値を蓄積するか、小川さんの手腕に期待しているよ。(後編に続く)
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