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「自力で道を切り拓く」—ホンダジェット開発責任者・藤野道格氏と語るエンジニアのあるべき姿

皆さん、こんにちは。本田技術研究所 先進技術研究所の小川です。今回は、私の恩師といえるお二人とじっくり語り合います。そのお二人が、HondaJetの開発責任者を務められた藤野さんと、本田技術研究所フェローの森さん

30年という年月をかけて夢を叶えたHondaJetプロジェクトを振り返りながら、Hondaらしさをまさに体現するお二人の考え方をお届けできれば!

もともと事業化の話は全くなかったHondaJet

小川:藤野さん、森さん、今日はよろしくお願いします。私と藤野さんはHondaJetの開発に携わっていましたが、当時四輪部門にいた森さんからはどう見えていたのでしょうか?

森:今となっては社会に大きなインパクトを与えたHondaJetだけど、社内では意外に情報が広がっていなかった。私が知ったのは、2003年にHondaJetの技術実証機(PoC機)が初飛行をして、それが社内報に載ったとき。

当時、私は2001年モデルのシビック開発がひと段落して、ちょっと落ち着いていたタイミング。だからなおさら、新しいプロジェクトがうらやましく思えたんですよね。もちろん、全く新しいプロジェクトだから産みの苦しみもあっただろうけど「俺もこういう仕事やってみたい」とうらやましく思ったのをよく覚えているなあ。

藤野:私は逆で、量産車のプロジェクトがうらやましいと思っていました(笑)。というのも、航空機プロジェクトはもともと事業化の話すらなかったんです。10年以上にわたって、製品を世に送り出せない、ある意味で会社の役に立たないことを続けているのは、モチベーション的に厳しい部分もありました。

PoC機の試験飛行を行った2003年時点で事業化の話は全くなく、当時を振り返るともっぱら「Hondaに迷惑が掛からないようにしないと」と考えていましたよ。HondaJetの形態は航空機として一般的な形ではありませんでしたから、いきなり世の中に出すと「Hondaは何も分かっていないから、あんな変な形の飛行機を作ったんだ」となりかねないと考え、初飛行の前に技術的な裏付けとなる論文も発表しました。それがあって、初飛行後の世間の反応がポジティブだったのは良かったですね。

森:論文を出してからお披露目するというやり方は量産車でも見習うべきですよね。

「エンジニアになった意味がない」強い想いがプロジェクト推進の原動力に

藤野:そういう状況だったのですが、年明けの2004年の年頭挨拶の社内報に、福井威夫社長(当時)がHondaJetの模型を持った写真が掲載されたのを見て、少しは会社に貢献したのかなと思ってうれしかったのをよく覚えています。

森:少なくとも私がいた四輪車の組織では、賛否両論どころか“賛”しかありませんでしたよ。みんなが応援していたのに。

藤野:当時それを直接お聞きできれば、どんなに良かったか(笑)。もちろん私としては「商品としていける」という感覚を持っていましたが、会社としてリスクは当然ありますし、反対派はいました。

小川:航空機は販売ももちろん、メンテナンスを含めたアフターサービスの体制も作り上げなければならないし、そのすべてをHondaで手掛けるというのは途方もない事業ですもんね。

藤野:実験機の開発と事業化にはギャップもあるし、ある程度は仕方ないことなのですが、それでも、やっぱり事業化しないと意味がないと考えていました。私がHondaでエンジニアになるキャリアを選んだのは、自分で設計したプロダクトを、世界に販売して多くの人に使ってもらいたかったから。そういうリアリティのある仕事がしたいからエンジニアになったわけで、研究だけで閉じてしまったらエンジニアになった意味がない、くらいに考えていました。

だから、HondaJetのプロジェクトの前、MH02実験機の研究プロジェクトをやっていたときにも「果たしてこれは世界レベルなのか」「商品として売れるのか」「お客さまに喜んでいただけるのか」を常に自問自答していましたし、悔しいですが当時はそのレベルに達していなかった。そして、次を目指して気合を入れて取り組んだのがHondaJetですから、2003年に初飛行に成功しても、私の中では最終的なゴールである商品化のための通過地点くらいにしか考えていませんでした。

小川:民間企業で航空機に取り組んでいたのは、Hondaだけではありません。いわゆるレガシー企業も取り組む中で、相当な決意があったのだろうと、一メンバーとしても見ていました。

勝ち取った技術展示が事業化のきっかけに

藤野:HondaJetに対しては社内にネガティブな意見もありました。ただ、反対派といっても私個人に対する攻撃とは思わないようにしました。反対する人たちはある意味ではその当時の一般の人たちの反応を映したものであったと思うし、一般の人が考える常識の範囲内だったとも思います。ですから、反対すること自体はめちゃくちゃなことではなかったかもしれません。初飛行を終えてから、そうしたあらゆるネガティブな意見への対応に真摯に取り組んだことは、結果として良かったと感じています。

初飛行の後も試験を続けていましたが事業化の糸口は見えませんでした。私はそれまでに作り上げた技術や成果を無駄にすることだけは避けたかったので、何とか我々の技術のアピールができないかと考え、最終的には2005年に世界最大のエアーショーであるアメリカ・オシュコシュの航空ショーに実機を展示することを会社に認めてもらいました。

ただ展示できるのは1週間あるオシュコシュの開催期間のうちの1日で、それも4時間だけ。記者会見も必要最低限の時間だけでしたが、航空ファンの人たちからのものすごい反応で興奮と熱気に包まれた展示となりました。展示にはHondaのセールスや広報部門の人たち、さらにマネジメント層や多くのOBまでもが訪れてくれて、その興奮と熱気を共有してくれました。

オシュコシュに参加したHondaの関係者はHondaJetのキャップをかぶっていたのですが、イベント終了後に会場を歩いていると、その帽子を見て「HondaJet、すごかった」と声をかけられることも多かったそうです。あるメンバーは、レストランで夕飯を食べている時、全く面識のない隣の人がHondaJetの展示を祝ってワインをおごってくれたそうです。また日本から来ていたJAXAの方からも「日本人であることに誇りを持てた」と励みになる言葉をくださいました。これだけ、HondaJetを欲しいと評価してくださる方がいるのだと実感する機会になりましたし、事業化の可能性が「ゼロ」から「イチ」へと変わっていく瞬間だったと思います。

森:そうした経緯は、2023年のテクニカルフォーラム(※)で藤野さんが講演して初めて知ったという人も多いのではないでしょうか。私自身、藤野さんの講演には感動しましたし、本田技術研究所のECE(エグゼクティブ・チーフ・エンジニア)からの反響もすごいものがありました。去年のテクニカルフォーラムのテーマは「レオナルド・ダ・ホンダ=Honda村のレオナルドになれ」でしたが、まさにテーマにぴったりの内容でしたね。

※本田技術研究所が社内の技術者向けに開催するフォーラム

藤野:私自身はもう一線を退いている身なのですが、これからもHondaに成長してほしいという強い思いがあって、その一助になるならばと講演をお引き受けしました。講演後の質疑応答では長蛇の列で、Hondaの現状を相談してくる人が多かったのが印象的です。涙ながらに話しかけてくれる人もいて、真剣に悩み、何とかしたいと考えている人が本当に多くいて、そのエネルギーを感じてHondaはまだまだこれからも成長できると実感しました。

効率化や標準化にとらわれすぎていないか

藤野:現状を憂う人が多かったのにはいくつかの理由があると思います。その一つとして、組織が大きくなるにつれて、プロセスや標準化のみを追い求めるようになることが挙げられるのではないでしょうか。

その結果、細かい部分で数%の効率化は実現できても、企業全体のダイナミズムがおろそかになってしまう。今、多くの大企業でプロセスや標準化重視の動きが進んでいますが、「なぜ、こうしたプロセスや標準化を行う必要があるのか」を言語化できる人が少ないと感じます。かつてであれば、変化の背景を理解できている人が多かったので、しっかりと説明できたのに、今は単なる手段であるはずの効率化や標準化の、そもそもの目的を語れる人が少なくなっているのには危機感を覚えます。

また、効率化や標準化が研究開発領域にも押し寄せている点にも注意が必要ですよね。もちろん、企業が成長する段階でこうした取り組みは必要ですが、いろいろな研究開発分野ではもっと違う視点も持たないと、組織のダイナミズムは少しずつなくなってしまいます。先端の研究においてはあえてダウンサイジングして、効率や標準から少し距離を置くことも、これからは重要ではないでしょうか。

森:全く同意ですね。PDCA一辺倒ではなく、とにかく手を動かせ、というのは常に伝えるようにしています。

小川:お二人の分野は全く異なるのに、考えていらっしゃることが同じというのは、面白いですよね。私自身、お二人の下で鍛えられましたが、今日お話しされた通りのマネジメントを受けて育ってきました。今日、あらためて言語化した形で考えをお聞きできたことを、先進技術研究所でも生かしていきたいです。

最後は自分 “他力”で道は開けない

森:確かに同じ部分もあるけど、藤野さんがすごいと思うのは技術への理解が深いだけでなく、守備範囲も広いこと。その裏には、さまざまな苦労もあったのではないかと思いますが、いかがですか。

藤野:そうですね…… 事業化となりますと開発だけではなく、生産や販売、サービス網の構築などあらゆることをしないといけません。もちろんゼロから航空機事業を起こしていく上でこれまでたくさんの方にお世話になりましたが、やっぱり誰かにお願いしてやってもらうというような“他力”だけではどうにもならないんですよね。自分を最後に救えるのは自分で、誰かの助けをただ待っているだけではダメなんです。この点を理解できると、何もない状況であっても「自分ならどうするか」「どうすればベストを尽くせるか」を起点に粘り強く考え、そして事業化のあらゆるフェーズ、すなわち生産、販売、サービスなどにおいても何もない状況のゼロからでも行動できるようになります。

あと、研究開発は長く続けているとどうしても組織の論理で内向きになりがちです。そんなとき、自分の周囲だけを判断基準にせず、もっと広く「世界で通用するのか?」という視点を持てるかが重要となってきます。たとえば常にもう一人の自分が、客観的に自分を見ている感覚、と言うと分かりやすいでしょうか。視野を広く持って自分の研究や技術の価値を確認できれば、辛いときにふさぎ込まず自分を鼓舞することにつながります。

小川:私からはマネジメントについてもお聞きしたいです。藤野さんとご一緒していた時から時間がたち、私もマネジメントをする立場になりますが、藤野さんはどんなことを意識されていましたか。

藤野:メンバーの費やす時間や会社のお金など、限られたリソースをいかに有効に使うか、は常に意識していました。メンバーが、物理的にできないことに長く注力してしまうと、5年、10年単位でリソースが無駄になってしまいます。そうならないために、現状の技術やメンバーの能力をいかに見極めるか。そして、何をやって、やらないか。この軸を明確に持たないと、ただ単に「この人は一生懸命やっているな」というようなあいまいな基準でマネジメントをすると意味のない研究になってしまいます。そういう観点から研究のマネジメントはこれからますます重要になっていくと思います。

小川:ありがとうございます。先進技術研究所の所長としては5年目なのですが、今回お二人の話をお聞きしていると、これまで学んで、そして今実践していることが間違っていなかったんだと実感できました。

森:自分からすると、もう小川さんに何か言うことはないし、このまま突き進んでほしい。結局は、何かあってもぶつかって乗り越えるのは自分だから。

藤野:まだまだHondaは発展していけると思いますし、先進技術研究所には期待しています。

小川:今回、お二人と話しながら感じたのは、分野が異なり、あまり交わることのなかったはずなのに、技術を“極めた”と言えるレベルにたどり着くと、似た考えにたどり着くんだなということ。私もそのレベルに到達できるよう、自分自身をもっと磨いていかなければと感じました。まだまだ頑張ります!