![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173353060/rectangle_large_type_2_442e92efd96e896be87ea25744e45e35.png?width=1200)
ホンダ製eVTOLのキーマンが語る、新たなモビリティの現在地
皆さん、こんにちは。Honda 先進技術研究所の小川です。
HGRXで取り組んでいる技術の一つに、「eVTOL(電動垂直離着陸機)」があります。今回は、その開発の中心を担う真塩 享さんと語りながら、私たちの技術への向き合い方を紐解いていければと思います。
実は、真塩さんとはF1プロジェクトの頃から15年以上の仲。お互いの本音を包み隠さず話しているので、ぜひご覧ください!
F1プロジェクトでの出会い
小川「真塩さんと出会ったのは、お互いF1プロジェクトに入ったのがほぼ同時期だったんだよね。当時のことは覚えてる?」
真塩「覚えてるも何も、強烈なインパクトでしたよ(笑)。当時の僕は2年目くらいだったかな。ほぼ新人みたいな感じでしたけど、小川さんは3年ほど先輩でした。その頃からすごく尖っていて、真っ黒に日焼けして茶髪にピアスという風貌で現れた。まあ、見た目はともかくとして、一緒に仕事をする中で理論への厳しさが一番印象に残っていますね」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721670-zJbyOAxe6flVqSCmBTP35H8R.jpg?width=1200)
小川「当時のレース開発は、とにかくモノを作って試して、を繰り返すサイクルだったからね」
真塩「そう、僕は少し早くレースのプロジェクトに入っていたので、その働き方が結構身についていたんですけど、小川さんは『理論はどうなの?』っていうことに厳しかったですよね。何かやろうと思っても、『なんでそれが効くの?』『そんなの効くわけないじゃん』ってやっつけられましたよね(笑)。何をやるにも、そのコンセプトがしっかりしているのかを常に問われる。
当時は、2週間くらいの期間に数百点の部品をテストするような状況でしたが、その一つひとつに『物理的な意味は?』って問われる感じです。どういう考えでこれをやるのか、それがないと試す前にやり直しっていう、その壁を突破するのがすごく大変でした。航空機プロジェクトから来て、当時はBARというチームと一緒にやっていましたけど、そのエンジニアたちに『俺がウイングのデザインを教えてやる』って迫るくらい。とにかく空力に対する強烈なプライドと個性があった。でも話しに行くといろいろと教えてくれて、小川さんの壁を突破しようともがきながら理論を学べたのはすごく役立っています」
小川「真塩さんは、そんなレース開発のスタイルと、理論を重んじる僕のスタイルの間で、バランサー的に動いてくれたよね。当時は全然結果が出ていない時期で、だから理屈で攻めなきゃと思っていて。でも、航空機や空力の、言わば教科書にあるような理論が、F1では全く通用しないっていうことも分かってアジャストしていかなければいけなかった。そういうときに、ずっとレースをやっていたメンバーは助けてくれて、僕が『こういう理論なんだ』と話すと『そういうことなら、今までの経験から、こういう形にしてみよう』っていう感じで」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721718-dQa6EhWrXuyNwOInvT325Vsb.jpg?width=1200)
真塩「やっぱり、みんな勝ちたいっていう想いは一緒だから、『小川さんの理論に乗っていけばこんなことができるぞ』って感じでまとまっていきましたよね」
小川「真塩さんはそういうバランサーの役割を担ってくれながら、技術では“最適解へのアプローチ”がものすごく上手かった。理論を固めたアイデアを出して、それを実際の設計に落とし込んでいくんだけど、その探り方が天才的。これくらい動かしてみながら、一番空力性能が良くなるところを見つけ出すんだけど、まるで現代のAIかのように上手く探索していくんだよね」
真塩「一度、理論を徹底して最適化した形が、中華包丁みたいな真四角のダサい見た目になったこともありましたよね(笑)」
小川「あったあった!レース現場は少しでもダウンフォースを上げようとするものだけど、そのときばかりはダサすぎてざわつくという(笑)。でも数値的にはしっかり出てるから、どうしようって」
真塩「あれは面白かったです。あと、一緒に働いていて印象に残っているのが“失敗への理由付け”。上手くいったときに『○○が効いたから』って後付けする人は多いんですけど、小川さんは失敗しても『ここがいけなかったから』ってその理由を明確にするんですよね。それくらい理論にこだわっている。下っ端だった僕からすれば、その壁を超えるのが大変だったわけですけど、一緒にやっているうちにそれを超えられるようになって認めてもらえた実感があったときは、すごく嬉しかったのを覚えていますね」
小川「常に『こういう理論はどうだ』ってアタックしてくる中で、僕がどんなことを考えているのかも分かってくれていて、飲み込みも早い。バランサーが務まるほどコミュニケーション能力も高かったから、もう皆まで言わなくてもいいし、任せておけるなと。そうすれば僕もまた別の仕事ができるし」
真塩「これはどうですかって聞いて『いいじゃん』って言ってもらえて、それを試験して結果が上手く出たことを報告すると『よかったね』って感じになり、そこからは何か相談しても『やってみたらいいんじゃない』って返事であまり何も言われなくなったんですよね。そこでちょっとだけ認めてもらえたんだなと実感しましたね」
量産車プロジェクトから、先進技術へ
小川「その後、2008年をもって第3期Honda F1は撤退となり、2人とも量産車開発のプロジェクトに異動するんだよね」
真塩「量産の部門でも、小川さんは言うべきことを忖度なしに言って、敵をなぎ倒していくスタイルでしたよね。そこでも理論で戦っていた感じでした。でも、小川さんが管理職になったときに、意外とマネジメント好きなんだなって感じたんですよね。人を動かすことに興味がなさそうだと思っていたので」
小川「管理職になって、いわゆる型にはまったマネジメントをやらなきゃなっていう時期はあったよ。でも、全然できない(笑)。その時期を経て、やっぱり任せていくのが一番っていう今のスタイルに至るんだよね」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721764-NAZcOKYCxVrnJoGIQaeTpl5t.jpg?width=1200)
真塩「人のケアをしたり、手取り足取り細かく指示したりするってことよりは、人をガンガン動かしながら物事を進めていくことをすごく楽しそうにやっていたんですよね。自分がプレイヤーとして動き回る対応なのかと思っていたから、意外だったなと。その後、小川さんの見なきゃいけない領域がどんどん広がっていって、『この辺を見ておいて』って感じでいろいろと任されていく感じがありましたかね」
小川「そこからまた国内レースとインディカーのプロジェクトを担当してもらった。SUPER GTは共通のモノコックになって、デザインできる幅が非常に限られ、インディもシャシーは共通だから、同じような状況で。そうなると、見様見真似の部分が出てきてしまって、理論がおざなりになっていたんだよね。そこで結果も出なくなって低迷していた状況を何とかせねばと」
真塩「SUPER GTもインディも、参戦するチームに供給する形だから、そのサポートも含めてやらなきゃいけないところが難しいんですよ。現場には優秀な人がいるんですけど、やれることが限られている中で、新しい開発スタイルに踏み込めなかったり、成果が出ずにあれこれ手を出していたりという状況もあったから、それを整えたり、どこに注力するかを見直したりという感じでしたね。あとは、最終的に物理現象にしっかりと立ち返ることを意識してもらいました。ちょっとしたことがハマらずにちぐはぐになっていただけなのに、その組織自体がダメって見られるのはよくないなと思っていて。幸い少し人も増やしてもらえたので、2年目でチャンピオンになれました」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721849-2XBfxW9avFuZOePcMGHjgo0C.jpg?width=1200)
小川「そのタイミングでまた量産に戻ってもらったんだよね」
真塩「いつも突然電話してきますよね。そのときは『戻ってこないか?』って。しかも、自分が別の部門に行くからいなくなるというタイミングで、なんで今なんだよと(笑)」
小川「量産車の空力が良くなってきて、そこで自分が離れるとなったら、その後継はちゃんとわかっている人にやってほしいじゃない。しかも、F1のときからそうだったけど、自分のスタイルで価値を出せて、僕よりも良いやり方でやってくれるなと思えたから」
真塩「で、そこに1年ちょっといて、HGRXでeVTOLをやるようになるわけです」
新たな空のモビリティへ挑む
小川「ちょうど僕がHGRXの所長になる少し前のタイミングで、人を増やしてもらわないとと思っていたんだけど、当時の所長だった小澤さんが必要だと思って人事を考えてくれたみたい」
真塩「それより前にeVTOLというか、空のモビリティの研究は始まっていて、担当している若手メンバーからの相談を聞いたり、風洞テストをしたいけど勝手がわからないから一緒に見てほしいと言われたりしていたんですよね。全然人もいない中で若手が頑張っているのを見ていたけど、そこを自分が見るのは、えらいこっちゃと(笑)」
小川「HondaJetをやっていた人たちもHGRXに来て、空のモビリティだから共通点も多いだろうという感じで進めていたんだけど、やっぱり航空機を作るわけじゃないから、また違った複雑な部分が出てくるんだよね」
真塩「航空機よりもかなり遅い速度域になって、空気の流れも異なるので、より複雑なんですよね。それで、意外かもしれないけど、スピードや現象などはレースと近しいものがあるんです。空力の特性をつかんでモデル化して、そこからフルビークルで運動方程式とつなげてシミュレーションするんですが、レースでもドライビングシミュレーターを通じてドライバーからフィードバックをもらってという流れとほぼ同じです」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721925-czwBQHrVnvR0PFqDj2hEedtO.jpg?width=1200)
小川「レースでもeVTOLでも、その時々の姿勢に合わせて状況が変化していくわけで、それを空力の技術でどう対応するのかっていうポイントがすごく重要なんだよね」
真塩「理論とか技術の勘所を押さえておくことってやはり大切ですよね。ここが合えばとか、このポイントを押さえておけばっていうのは、F1でも量産でもeVTOLでも変わらないので、それが分かっていれば、対象がどんなものになっても対応できる」
小川「それで研究を進めて、2022年に米国に渡ってもらうことになる。今はHRI-US(Honda Research Institute USA)のVice Presidentという立場も務めてもらって、米国拠点のマネジメントをやってくれているんだよね」
真塩「コロナ禍で渡航が制限されたことで、やっぱり日米間でのコミュニケーションがスムーズじゃなくなってしまったんですよね。日本と米国でやろうとしていることがずれてしまっている感覚もあって」
小川「それで誰が適任かって考えたときに、真塩さんは現場メンバーからの信頼が最も厚かった。普通、誰か一人くらいには悪く言われるものだけど、誰もいないんだもん」
真塩「それは聞こえていないだけかもしれませんけどね(笑)。当初のeVTOLの構想って、HondaJetに、F1の空力やパワーユニットの技術も合わさってという感じでしたけど、やっぱり思っていたほどスムーズじゃないんですよね。世の中の動きも変わって、レギュレーションも変化したり、他社の動きもいろいろあって、プロジェクトをやめたベンチャーも出てきたり。でも、Hondaがやるからには、『ひとまず飛びました』みたいな打ち上げ花火にするわけにはいかないんです。ちゃんとお客様に使ってもらえるもので、長く使われて、何ならその先にはさらなる進化も見据えておかなければならない」
小川「お客様にとって何が必要か、本当に求められているものは何なのかを考えて常に問い直さないといけないよね」
![](https://assets.st-note.com/img/1738721955-NCSFKft3dl5nQzXb1I4UOqMc.jpg?width=1200)
真塩「今、技術はすごくいいものが揃ってきていますよね。テスト設備も整ってきましたしね。あとは、それをどんな商品として出していくのかっていうところがすごく難しくて、決定には至っていませんけど」
小川「本当に手を抜かずに頑張ってくれていると思うよ。すごいパッションを感じる」
真塩「やっぱり、いいものを作りたいんですよ。実現するのが何年先になるかはわからないけど、法整備の動きも出てきて、新しいモビリティ産業を作るぞって機運が高まっているのに、そこにモビリティカンパニーと自負するHondaがいないなんてあり得ないでしょう。やっぱり、新しいモビリティを作り出すのがHondaですから。だから、全力でやってものにしたいんですよね。
あとは、やっぱりF1撤退のときの喪失感、突然終わってしまったというのが強烈な思い出として残っているんです。同じものを作ろうぜって集まった仲間が最後までやり遂げられるようにするっていうのも、当時のF1に携わらせてもらった自分の使命の一つかなとも思っています」
小川「やり抜かなきゃいけないよね。もう少ししたら米国の現場に出かけていくつもりなので、そこで進捗を見るのをすごく楽しみにしている」
真塩「ぜひお待ちしていますよ!読者の皆さんにも続報をお届けしたいですね」
■関連記事