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安全とは「人間」をとことん見つめること。人の心を動かし社会を変えるホンダ流アプローチ

皆さん、こんにちは。先進技術研究所で安全安心・人研究ドメインのエグゼクティブチーフエンジニアを務めている、髙石秀明です。

Hondaは、2050年までに交通事故死者ゼロを目指すという目標を掲げていることをご存じでしょうか。昨今は無人・自動運転が広がり始め、事故ゼロに寄与するのではないかと期待する見方もありますが、Hondaのアプローチは、それだけではありません。

このnoteでは、30年以上にわたって安全領域に携わってきた視点から、Hondaの目指す安全について語っていきたいと思います。


機種開発プロジェクトリーダーの経験で「顧客軸」の重要性に気付いた

私がHondaへ入社したのは1987年、くしくも国産車として初めてSRSエアバッグシステムを装備した「レジェンド」が発売となった年です。そのエアバッグを開発した小林三郎さんは大学の先輩で、当時の教授から「これからは安全の重要性が高まっていく」と言われていたこともあり、Hondaに入社した後は安全領域を希望しました。

しかしながら、当時の安全領域は他部署からの異動組が多く「最初から安全をやりたいと希望するヤツなんて、珍しい」とよく言われました(笑)。最初はひたすらエアバッグの開発に従事し、人が少なかったこともありますが、2~3年目でNSXの主担当を任されたのには、驚きましたね。

自分のキャリアを振り返ると、最初の転換点になったのは、初代「オデッセイ」の開発に携わったことです。安全に限らず商品全般まで目を向けたことで、これまでのような技術中心ではなく、お客さま軸で考える面白さを知りました。その後、2001年モデルのシビックにも関わったのち、商品企画室へ異動となりました。

1994年に発売された初代オデッセイ

商品企画室では、Hondaとして初めて、お客さまの安全意識調査を行いました。というのも、当時の安全領域の調査は、事故の原因や事象を分析するものが多く、お客さまの視点で「安全とは何か」を考えことがあまりなかったのです。

言うなれば、安全に関するマーケティング活動ですよね。せっかく良いものを作っても、社会に普及しないと意味がありません。ほとんどの人は「安全は大切だ」と考えてはいるものの、自らお金をプラスしてその機能を買おうとはなかなか思ってくれないものです。実際、安全に関する機能を標準装備にすると喜ばれますが、オプションとして設定しても、なかなか装着率は上がらないという傾向があります。

そこで、お客さまのインサイトを分析して「欲しい」と思えるようなものを生み出せれば、世の中に普及していくのではないかと考え、調査を実施したのです。

Hondaに根付く「人間中心」の考え方

調査は国内だけでなく、世界中で行いました。もちろん各国で安全に対する意識やニーズは異なりましたが、その中から私たちが見出したコンセプトが「人間中心」です。

とはいえ、人間中心というテーマがこのときに初めて生まれたわけではありません。Hondaのフィロソフィーは「人間尊重」。さまざまなモビリティを作る中でも、人間のための機能を最優先に考えてきました。モビリティによって傷つく人が出てはいけない、だからこそ安全に対する意識も非常に高く持って歩みを進めてきました。

特に、1960年代後半から70年代にかけて起こった、いわゆる「欠陥車騒動」で、Hondaは安全に対する想いを一層強くしました。欠陥車騒動とは、消費者団体が自動車メーカーに対して根拠なしにクルマに欠陥があると訴訟を起こして社会問題化した一連の騒動のことで、これがHondaに「安全運転普及本部」が作られるきっかけになりました。

クルマに用いる技術だけでなく、人間が運転するときの能力や環境にも目を向ける必要があると同時に、クルマやバイクのドライバーだけでなく、道路上にいる全ての人をいかに守るかという視点も重視するようになりました。

やはり安全というのは、突き詰めると人への影響をどう考えるか、人間をいかに知るか、なんですよね。Hondaでは何十年も前から「人のために、どうすべきか」という考えに基づいて研究をしてきましたし、そうした伝統を引き継ぐ形で、あらためて安全に取り組む上での指針として「人間中心」と定めました。

安全を人間の視点から考えるという点で、本当にHondaは徹底しています。例えば、より人体を知るために、医学部で学んで解剖学の博士号を取得したメンバーもいましたし、最近では脳科学の研究も進めています。

ここで少々興味深いデータを紹介しましょう。コロナ禍で世界的に移動が減ったことに伴い、交通事故も減るのが当然ですが、ある地域ではなぜか事故が増えていました。これを分析したところ、移動制限で家に閉じ込められたことで精神面に不調をきたし、荒い運転をする人が増えたと分かりました。こうしたデータを考慮すると、やはり安全を突き詰める上では、人間のことを知り抜くことが重要と言えるのです。

脳科学やヘルスケアから「安全」を研究

衝突安全から一歩進んだ予防安全として、昨今注力しているのが脳科学です。

脳科学の研究では、ドライブシミュレーターで運転してもらいながら、fMRIで脳の働きを調べました。運転中の姿を見ているだけでは、みんな同じように見えるものですが、ハンドルとブレーキの操作と、脳の動きを一緒に見ることで、いろいろなデータが取れました。

例えば、初心者は運転に余裕がない傾向にあり、視界がかなり限定的になります。一方、慣れている人の場合は幅広い視野を持って運転していることが分かりました。若年層と高齢者の違いでは、若年層のドライバーは見ているものに対していかに反応するかといった形で運転しています。対して高齢者は、反応ではなくこれまでの記憶を駆使して運転をしている傾向にあります。

こうした分析ができれば、高齢者に対しては、いかに記憶を呼び覚ましてあげられるか。不慣れな若者には、道路の状況を教えてあげられるかといった、運転支援のパーソナライズが実現すると考えています。

脳以外に、最近はヘルスケアの研究も進めています。高齢者になるほど健康面に問題を抱える人が増える傾向があるのは必然なので、日常の生活や自身の状況が、事故の発生とどのような関係にあるのかを分析しているところです。まだ研究の途上ですが、今分かっていることの一つとして、睡眠の質が挙げられます。高齢者のデータを分析していると、睡眠の質の低さが運転行動に影響していることが分かりました。

昨今は高齢者になると免許返納をしなければならない、という風潮ですが、運転スキルは個々人によって異なるはずですよね。高齢者には豊富な経験があるので、それを上手く活用できる運転環境があればいいのです。一律で線引きするのではなく、しっかりと運転できる人は、可能な限り長く運転できるような社会にできないか。そうした考えの下、いろいろと踏み込んで研究を進めています。

「事故ゼロ」は無人・自動運転だけでは不十分?

安全に関して、Hondaは2050年に交通事故死者ゼロを目指すという目標を掲げています。死亡事故ゼロを実現する上で、最も簡単かつ早いと思われるのは、不確実性を排するとともに規制を厳しくして、管理型の社会にすることです。昨今、無人や自動運転の研究がトレンドとなっているのは、こうした効率重視という側面もあるのだと見ています。

しかし、無人や自動運転だけでは死亡事故ゼロは実現しません。先ほど「せっかく良いものを作っても、社会に普及しなければ安全にならない」と書きましたが、クルマ単体の機能を高めるだけではどんどんとコストが高まり、一部の人にしか買えない高級品になってしまいますよね。

また、道路にはクルマだけでなくバイクに自転車、歩行者など、さまざまな人が存在します。実はHonda車関与の交通事故死者の約93%がこのバイク、自転車、歩行者などの交通弱者です。さらに死亡事故の半分は交通弱者側が原因で起きています(※)。そこでHondaでは、クルマだけでなく交通に参加する全ての人が同じ土俵に立てないか――これも「人間中心」といえる考え方ですね――、そして一人ひとりに合わせた安心と人の集合体である社会の安全の総量を高めることで、不安から解放された真の自由を享受できる協調安全社会の実現を目指したい。そのために全ての交通参加者に安全行動を促す技術として、通信を駆使した「安全安心ネットワーク技術」に挑んでいます。

※Honda調べ

研究中の「安全・安心ネットワーク技術」コンセプト

具体的には、ヒューマンエラーの根本原因である人の特性や状態からリスクの予兆を把握し、ヒューマンエラーが起きる前に対処する技術で、歩行者、二輪ライダーが反応できる時間として「10秒先のリスクを予兆」することがチャレンジングな取り組みになります。目指す社会システムとしては、様々な方法でそれぞれの人の状態を把握し、その集合体であるエリア全体のデータを取得して、事故が起こりそうであれば、関係するドライバーや歩行者に対してアナウンスを行い、対処を行ってもらう。そうしたイメージで取り組みを進めています。この取り組みは多くの人が抱えている不安に直接応え、自分でどうにかしたいという希望を叶える喜びと真の安心に繋がるものと考えます。

Hondaのテストコースで実機による検証を実施

昨今はほとんどの人がスマートフォンを持っており、今後の通信技術の進化も期待できることから、これは決して不可能ではない技術です。とはいえ、Honda個社では実現できないのも事実なので、内閣府や国土交通省のプロジェクトに参加し、そして業界全体と手を取りながら、社会を変えるきっかけ作りにいそしんでいます。

「儲かるか、儲からないか」は関係ない

こうした取り組みは、事故ゼロ以外にHondaが環境・安全ビジョンとして掲げる「自由な移動の喜び」と「豊かで持続可能な社会」の実現にも寄与するものであり、ぜひとも実現したいと考えています。唯一、課題があるとすれば「儲からない」ということでしょうか(笑)。ここまで紹介した取り組みの他、世界中で年間600万人に対する教育活動も行っており、2030年には1000万人規模まで拡大したいと考えています。これも、なかなか地道な活動です。

Hondaは子供向け交通安全教育プログラムも開発

しかし、Hondaには「儲からないからやらない」という考え方はありません。判断基準は、「世のため人のため」になるか。かつて本田宗一郎も「安全は利益に優先する」との言葉を残しており、実際に私が取り組んでいて「それ、儲かるの?」と言われたことはありません。

最後に、事故ゼロを実現した先、Hondaとして何を目指すべきかについて、個人的な考えを書かせてください。若いメンバーともよく話し合っているのですが、ここでも軸になるのは「人間中心」です。

私たちには好奇心があり、その好奇心に沿って活動することが日々の活力につながります。そして、自分だけでなく、周りとも好奇心を共有して、共鳴することで社会が活性化するのではないでしょうか。安全の進化や普及によって、こうした好奇心を刺激するような価値や体験を生み出すことはできないか、と考えています。好奇心の向くままに自由な移動を楽しみ、たどり着いた先での経験が、その人の人生を豊かにする。そして、社会全体が豊かになっていく。そんな未来を思い描いています。

そのためには、もっと人間を知ることが必要だと感じています。本当に人間というのは、調べるほどに奥が深い。どうすれば、もっと好奇心に訴える価値を生み出せるか。これからも、研究を続けていきます。

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