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ホンダとともに世界一を目指す情熱の源は?― パラリンピック金メダリスト カテリーヌ・デブルナー選手インタビュー

「皆さんこんにちは、本田技術研究所 先進技術研究所の小川です。

前回の記事では、Hondaの車いす競技発展への取り組みや、レーサーの開発について池内さんが語ってくれました。

実は、世界で初めて車いす専用のマラソン大会が行われたのは、日本だというのをご存知でしょうか?

それが、「大分国際車いすマラソン」。1981年から始まり、今年で43回目。国内外のトップ選手が参戦し、今年もパリパラリンピックのメダリストら、豪華なメンバーが集いました。今回は、Hondaの車いすレーサーで戦い、パリで5つの金メダルを獲得したカテリーヌ・デブルナー選手(スイス)に会って、その挑戦についてお話を聞いてきました。

デブルナー選手にとって、挑戦とは「自分が心地よいと感じる場所から抜け出すこと」—。この言葉にすごく感銘を受けました。ぜひご覧ください!


スピードに魅せられて陸上競技へ

小川:カテリーヌ選手、はじめまして。パリパラリンピックでの活躍、おめでとうございます!5つの金メダルを獲得する姿を、ワクワクしながら見ていました。いつもHondaの車いすレーサーで戦ってくれてありがとう。

デブルナー選手:今日はパリでの金メダルを持ってきたんです。Hondaの車いすレーサーで結果を残せて光栄でした。

小川:実際のメダルに触れるのは初めてですが。やっぱりずっしりと重みがありますね。

パリでの金メダルを見せてくれたデブルナー選手

小川:私はHondaJetの開発からキャリアをスタートし、F1マシンの空力担当を経て、量産車の開発、そして今はHondaの先進技術開発を手掛けています。スイスにもザウバーというF1チームがありますが、今でも友人がたくさんいるんですよ。

デブルナー選手:私の父もF1が好きで、Hondaの大ファンなんです。小川さんとの写真を見せたら、すごくうらやましがると思います!この車いすレーサーにも、HondaJetやF1で培った技術がたくさん反映されているんですよね。

小川:さすがよくご存じで。デブルナー選手は、8歳から車いす陸上競技を始めたと聞いていますが、なぜこのスポーツを選んだのでしょうか?

デブルナー選手:もともと、小さなころから身体を動かすことが大好きだったんです。スイスには、「パラプレジックセンター」という、障がい者が治療とともに、就業のためのサポートや日常生活に向けたトレーニング、さらにはスポーツトレーニングなど、ライフクオリティを上げるためのプログラムを受けられる施設があるのですが、そこでさまざまなスポーツを試したのが競技を始めたきっかけです。

小川:どんなスポーツにトライしましたか?

デブルナー選手:バスケットボール、水泳、乗馬もやってみました。でも、すぐに車いす陸上の魅力に引き込まれてしまったんです。当時は今のようなレーサーがなく、紫色の、私には少しサイズが大きな車いすで走ったのですが、そのスピードにすっかり魅せられてしまったんです。

私は人口800人ほどの小さな村に住んでいたので、毎日のように自然の中を駆け抜けるのが気持ちよくて。父が付き添ってくれていたのですが、最初はランニングで並走していたのが、すぐに自転車を使わないと付いてこられなくなってしまいました(笑)

対談翌日に行われた大分でのレースにて

小川:どんどん速くなっていったんですね。

デブルナー選手:スピードを感じるのが大好きでした。車いすを速く走らせるためには、腕の力を車輪に伝えるために、多くのテクニックが必要になるのですが、いろいろな人から、その才能があると言われることが増えていきました。私自身もトレーニングで努力すれば結果が出るというのが楽しかったですし、そうやって自分自身に挑戦していくことが好きでした。

競技者として、自分を高め続けるために

小川:当初は400mや800mなど、トラックでの種目を中心に活躍していましたよね?2021年の東京でのパラリンピックでも、400mで金メダルを獲得されています。そこからマラソンへの挑戦に至ったのはなぜでしょう?

デブルナー選手:そうなんです。パラ競技のスタートは400mと800mで、キャリアのほとんどをこの2つの距離に費やしてきました。でも、8歳で競技に取り組み始めてから、ずっとトラック種目のトレーニングしかしていなかったので、それに飽きていた部分もあったんです。そんな中で、2020年に新型コロナウイルスのパンデミックがやってきました。

小川:外出や渡航が制限されて、大変な時期でしたよね。トレーニング環境も大きく変化したはずです。

デブルナー選手:世界中の人たちと同じように、私もずっと家にいなければなりませんでした。でも、それがトレーニングに対する考え方を変えるきっかけになったんです。もっと新しい挑戦をしなければならないのではないかと。

スイスにはマルセル(フグ)やマニュエラ(シャー)(※)という、マラソンで活躍する先輩選手がいるので、私もマラソンに興味はありました。そんなとき、現在も担当してくれているオランダ人のコーチに出会い、マラソンに向けたトレーニングを始めることになったんです。ただ、パンデミックの時期で、オランダとスイスは700㎞以上離れているので、オンライン通話でコミュニケーションを取りながら練習を続けました。

※マルセル・フグ選手…男子車いす陸上選手。パラリンピックの車いすマラソンでは、2016年リオ、2021年東京、2024年パリで金メダルを獲得

※マニュエラ・シャー選手:女子車いす陸上選手。大分国際車いすマラソンで4度の優勝を誇り、東京マラソンも2023・24年に連覇

小川:トラック種目とマラソンでは、そもそも走る距離が全く異なりますし、駆使する技術も変わってくるのでは?

デブルナー選手:自分としてもマラソンで活躍できるかは半信半疑でした。トラック種目と異なり、マラソンでは下り坂や、コースごとに異なるコーナーなどでのテクニックを学ぶ必要があります。私は障がいのクラス分けではT53(※)の選手で、バランスを取る能力がT54の選手ほど強くないので、恐怖心を克服する必要がありました。それでも、少しずつ速いペースでカーブや下り坂を練習することで克服し、スピードを出せるようになりました。

※車いす競技のクラス分け…T53は両手から上は正常もしくはほぼ正常だが、腹筋・背筋の機能に障がいがあるクラスで、体幹機能を使うことが難しい。T54の選手は腹筋・背筋が機能し、バランスを保ちやすい。

小川:努力の積み重ねで一歩ずつ向上していったんですね。技術やフィジカルだけでなく、メンタルも鍛えられそうです。

デブルナー選手:目の前に課題があるとき、自分の持つ能力や技術の範囲から飛び出さずにやれることを制限するか、自分の限界を引き上げて課題をクリアしてくのか、2つの選択肢があると思います。私は、自分自身に挑戦して壁を打ち破りたいから、迷わず後者を選択しました。マラソンは、私を肉体的にも精神的にも成長させてくれる競技だと思います。そして、面白いことに、マラソンのトレーニングによってトラック種目でのレベルも大きく向上するというメリットも享受できたんです。

小川:その成果が、パリでの5つの金メダルですね。マラソンでの勝利をはじめ、400m、800m、1500m、5000mでは金メダルとともにパラリンピック新記録も樹立しました。

Hondaとともに挑戦し続ける

小川:Hondaの車いすレーサー「翔<KAKERU>」で戦うようになったのは、2024年からでした。新しいレーサーに慣れるのは大変でしたか?

デブルナー選手:Hondaのチームが私の希望通りの車いすを作ってくれたので、スムーズに移行できました。特に座席の高さや角度など、私の体型に完全にフィットしていて、トラックでもマラソンでも非常に快適です。これまで使用した中で最高の車いすだと思います。

少し難しかったのは、力の入れ方ですね。翔<KAKERU>はやや“硬い”印象で、より直接的に力が車輪へかかる感覚があって、力の掛け方を調整して慣れていかなければなりませんでした。特にスタート時に影響が出るので、そのためのテクニックも学ぶ必要がありました。でも、何度もトレーニングを繰り返して、最終的にはその硬さが私に自信を与え、より攻めた走りができるようになりました。

大分でのレースも抜群のスタートダッシュを見せたデブルナー選手

小川:Hondaのエンジニアとも、たくさんコミュニケーションを重ねてもらっていますが、彼らの仕事ぶりはいかがですか?

デブルナー選手:Hondaのエンジニアは、みんな大きな情熱を持って仕事をしていますし、それだけでなく、非常に高い技術力を持っています。勝利に向けた情熱と完璧主義とも言える仕事の徹底ぶりが、私の求めるものと一致しているんです。私がどんな要望を出しても、それを的確に実現してくれる、真のプロフェッショナルです。F1での成功を見ると、それがよく分かります。

小川:メーカーによっては、F1などのレースをやるチームと、量産車を開発するチームがはっきりと分かれていて交流がないところもあるのですが、Hondaは同じ傘の下でさまざまな交流があります。だから、航空機やF1のエンジニアが車いすレーサーのプロジェクトに参加し、その技術を活かすということも可能なんですよ。

デブルナー選手:Hondaのエンジニアは常に最高を目指して努力しています。彼らと一緒に働くことで、私もより高い目標を設定し、それを達成するためのモチベーションにつながっています。彼らはエンジニアリングで頂点を目指していますし、私は車いす競技でトップを目指しています。私は車いすの作り方についての知識はないですし、彼らは車いすに乗ることはできません。でも、その組み合わせがいいのだと思います。

専門家の中には、自分の意見が絶対で知識がない人の意見を聞き入れない方もいますが、Hondaのエンジニアとは、私が感じたことを伝えると、彼らが知識を教えてくれるというコミュニケーションができます。一緒に解決策を見つけるアプローチを採ってくれるのです。

私がHondaの車いすを使用していることを聞いて、ほかの多くの選手が興味を持っていますが、これはエンジニアたちの努力の結果だと思います。

小川:うれしい話をありがとう!これからも、どんな要望でもエンジニアたちにぶつけていってくださいね。

車いすレーサーの開発責任者・池内康と3人で

なぜ戦い続けるのか?世界一を目指す原動力

小川:カテリーヌ選手はこれまでに多くの勝利を収め、世界記録も多数保持しています。それでも挑戦を止めないモチベーションはどこから来ているのでしょうか?

デブルナー選手:自分自身に挑戦するのが好きでなんです。長い間、自分のトレーニング方法や目標設定が完全にはプロフェッショナルではないと感じていたことが課題でした。現在のコーチには、プロフェッショナルなアスリートであることの意味を理解するのを助けてもらいました。

栄養管理、メンタルヘルス、プライベートの環境など、自身を取り巻くすべてのものを整えなければなりません。海外に出て、家にいる時間が減ることにどう対処するかを家族も理解しなければなりませんでした。こうした環境や、トレーニング、車いすレーサーなどを含めて、大きな輪のようなもので、すべてが関係しています。そしてパリでは、すべてのピースが完璧に組み合わさり、私にとって最高の環境が整いました。

大分国際車いすマラソンでは、2位の選手に3分11秒という大差をつけて圧勝を飾った

小川:そうやって戦い続ける姿からは、ものすごく大きなメッセージが伝わってくるように感じます。

デブルナー選手:すべての人のモチベーションにつながってほしいと思っています。それが車いすに乗っている人でも、目が見えない人でも、健常者であっても関係ありません。ただ、自分の夢を追いかけてほしいのです。人間は、スポーツであろうと、アートであろうと、音楽であろうと、何であれ、自分が愛するものを見つけて、それに情熱を持って生きるべきです。情熱に満ちている人がまぶしく輝く姿ほど素晴らしいものはないと思います。

スイスや日本のような国では、こうしたチャンスを得る機会がたくさんあると思います。一方で、機会に恵まれない国も多く存在します。だからこそ、自分の環境や、得られた機会に心から感謝しています。私は、自分の人生で何かを成し遂げたいと思っています。そして、もっと多くのことが可能だと示し、自分自身を信じることの重要性を伝える、いいロールモデルになりたいと願っています。

大分国際車いすマラソンのゴール後に、勝利を祝福

小川:だからカテリーヌ選手の走りは感動を呼ぶのですね!最後に一つだけ聞かせてください。カテリーヌ選手にとって、挑戦とは?

デブルナー選手:コンフォートゾーン(Comfort zone)、つまり「自分が心地よいと感じる場所」から抜け出すことだと考えています。人は誰しも普段慣れ親しんだ環境にいるのが好きですが、そこから抜け出していくことを重ねるのが大切だと思います。スポーツを通じて、私は常にコンフォートゾーンを抜け出さなければなりませんでした。それが人生において、とても良い学びになってきましたし、アスリートとしてだけでなく、人間としての成長につながっています。

小川:素晴らしいお話をありがとうございました!Hondaとしても、あなたのようなアスリートをサポートできて誇りに思っています。これからもともに戦っていきましょう。」


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